知恵の呼びかけが聞こえていますか?

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日曜礼拝・英語通訳付

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知恵の呼びかけが聞こえていますか?

(箴言 8:1-11)

永原アンディ


 箴言のシリーズ、今日は8:1-11を読みましょう。

1 知恵は呼びかけていないか。英知は声を上げていないか。
2 知恵は道沿いの高き所の頂にまた街道の四つ辻に立ち
3 町の玄関である門のそばで入り口の扉で、喜び歌う。
4 「人よ、私はあなたがたに呼びかける。人の子らに声を上げる。
5 思慮なき者よ、熟慮とは何かを見極めよ。愚かな者よ、心を見極めよ。
6 聞け、私は唇を開いて語ろう高貴なことを、公平なことを。
7 私の口はまことを唱える。私の唇がいとうのは不正。
8 私の口の言葉はすべてが義でありそこには曲がりもゆがみもない。
9 その言葉のすべては、分別ある人には正しく知識を得た人にとってはまっすぐ。
10 銀ではなく、私の諭しを受け取れ 知識は金よりも望ましい。
11 知恵は真珠にまさりどのような財宝も、これに並びえない。

1. 今でも聞こえる知恵の呼びかけ

 前回、破滅の道に若者を誘う誘惑の声が今も昔も社会の中に溢れている、とお話ししました。今日のテキストでは、その同じ空間で、誘惑の声とは反対の幸福に至る道を指し示す「知恵の声」も聞くことができることを伝えています。

 私たちも今、この世界でそれを聞くことができるのでしょうか。社会の情報化は20世紀後半から加速度的に進んでいます。特に、今世紀になって誰もがインターネットに常時つながっているようになると、個人が得ることのできる情報の量は膨大なものとなってきました。

 情報の中には、根拠のない陰謀や、悪意に満ちた偽りがふくまれています。加工された写真や映像で嘘を真実と思い込む人も少なくありません。そして多くの人は、信頼できる情報かどうかより、耳触りの良い情報だけを受け取り、そうでないものは無視するという態度で情報に接しています。 そして、そのような風潮が社会を分断し、弱い者、小さい者が苦しむ状況を生み出しています。

 キリスト教会にもそのような時が来ることは使徒パウロも知っていました。 テモテへの第二の手紙の4章にこう記されています。

誰も健全な教えを聞こうとしない時が来ます。その時、人々は耳触りのよい話を聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話へとそれて行くようになります。(3-4)

 私は、パウロの警告した時が今来ていると思っています。キリスト教徒の中にも、神様の意思に反し、世の中の流れに迎合して弱い者たち、小さな者たちの苦しみを顧みない人々が少なくないからです。

 このような社会状況の中でも、人々は街角で「知恵」の呼びかけを本当に聞くことができるのでしょうか。わたしは聞くことができると思います。重苦しい状況の中でも、希望はあると信じています。なぜなら、皆さんがこの社会に存在しているからです。イエスを信じ、彼に従って歩んんでいる皆さんの存在、つまり教会の存在を通して、神様の知恵は人々に伝わります。

 パウロのこの警告は

御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを続けなさい。忍耐と教えを尽くして、とがめ、戒め、勧めなさい。(2)

という勧めと

しかしあなたは、何事にも身を慎み、苦しみに耐え、福音宣教者の働きをなし、自分の務めを全うしなさい。(5)

という勧めの間に置かれています。

 どうか、これがテモテという若い教会のリーダーへの手紙だからリーダーではない自分には関係ないと思わないでください。私は、この言葉がイエスに従いたいと願う者全てに向けられていると信じています。

 何度もお話ししてきましたが、イエスを信じ彼に従って歩む人は、その時置かれている場所で、牧師であり、教会です。イエスは皆さんを通して周りの人々にご自身を表されるのです。皆さんを通して人々を愛されます。人々は皆さんを通してイエスを知るのです。そしてイエスに聞き従うことこそが「神の知恵」に耳を傾けることなのです。 

次になぜ知恵がイエスにつながるのか、そのことをお話ししたいと思います。

2. イエスこそ「神の知恵」

 今日のテキストは、2節以降、擬人化された「知恵」自身が語りかける形で描かれています。いえ、実際に「知恵」は私たちに語りかけているのです。むしろ、擬人化されたという言い方をしない方がいいかもしれません。ルカによる福音書は 

それゆえ、神の知恵もこう言っている。『私は預言者や使徒たちを遣わすが、人々はそのうちのある者を殺し、ある者を迫害する。』 (11:49)

というイエスの言葉を記録しています。ところが、マタイによる福音書はこのエピソードについて次のように記しています。

だから、私は預言者、知者、学者をあなたがたに遣わすが、あなたがたはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、ある者を会堂で鞭打ち、町から町へと迫害して行くであろう。(23:34)

『私は預言者や使徒たちを遣わすが、人々はそのうちのある者を殺し、ある者を迫害する。』 は、引用した言葉なのではなく、イエスご自身の言葉なのです。

 初代教会の理解でも、「神の知恵」とはイエスに他なりませんでした。使徒パウロはこう記しています。

 

ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。(Iコリント 1:22-24)


 イエスは神様の力、神様の愛としてご自身を表されたように、神様の知恵のあらわれなのです。ですからイエスに従って人生を歩むことが、箴言の言う「神様の知恵」を聞いて歩むことなのです。

3. 知恵は正しさを告げる

 知恵は世間一般の使い方では、人生のさまざまな局面で適切に行動するための知的財産のことです。しかし、聖書による意味では今まで読んできたように、神様の語りかけです。神様は、私たちの歩みの中でも折にふれて心に語りかけてくださいますが、最も大切なことは、その語りかけの核となる事柄です。6-8節をもう一度読んでみましょう。

6 聞け、私は唇を開いて語ろう高貴なことを、公平なことを。
7 私の口はまことを唱える。私の唇がいとうのは不正。
8 私の口の言葉はすべてが義でありそこには曲がりもゆがみもない。

 知恵の言葉が私たちに呼びかけるのは、「正しさ」を守ること、不正を憎むこと、その言葉に真っ直ぐに従って生きることです。この言葉は「正しさ」が神様の知恵の根幹であることを伝えています。

 対立する者は自分が正しいことを互いに主張します。しかし神様の見解は、パウロがローマの信徒への手紙の中で紹介しているように「正しい者は誰もいない」のです。そこで私たちは、正しさを求めて、イエスに聞こうとするのです。それは聖書の記述を手がかりにイエスならどう思われるのだろうか、イエスならどうなさるのだろうかと考えることです。

 そのために私たちは礼拝を捧げ、祈り、聖書を読み、人々と語り合って、イエスの思いを知ろうとするのです。

 そのイエスの思いに従って日々を過ごすとき、皆さんに接する人々は神の知恵、イエスからの語り掛けを聞いていることになるのです。

4. あらゆる富に勝る富

さまざまな賢人たちの言葉や書物は私たちの人生を豊かにしてくれます。しかし、私たちが受け取り、それを糧として生きているイエスの言葉は別格です。9節以下をもう一度読んでみましょう。

9 その言葉のすべては、分別ある人には正しく知識を得た人にとってはまっすぐ。
10 銀ではなく、私の諭しを受け取れ 知識は金よりも望ましい。
11 知恵は真珠にまさりどのような財宝も、これに並びえない。

 神様からいただいている恵みの価値を皆さんは安く見積りすぎてはいませんか。私たちに中には資産家も大きな権力を持つ者もいませんが、それらに勝る富を得ていることを自覚してください。皆さんを通して発せられている、イエスの呼びかけが、この世界に公正をもたらし、より良い未来を開くのです。

(祈り)神様、あなたが私たちの心に語りかけていてくださることをありがとうございます。
 あなたの声をかき消すように、さまざまな誘惑の声が多く、大きいこの時代に、私たちが心の耳を澄ませて、あなたからの呼びかけを聞き分け従って歩むことができるように助けてください。
 私たちが直面する問題を、あなたの思いに叶って取り組んでゆくことができるように助けてください。
 イエス・キリストの名によって祈ります。


要約

さまざまな誘惑の声が飛び交う世界にあっても、神様の知恵の声はイエスの語りかけとして教会を通して人々に届きます。それが、教会がこの世界に置かれている理由です。教会とはイエスを信じ彼に従って歩む人々の集まりです。しかし、教会もまたイエスの声を聞きつつ歩むのでなければ道を誤りその役割を果たすことができなくなってしまいます。イエスの声に聞き従って歩む恵みはあらゆる富に優って人生を豊かにしてくれます。

話し合いのために

1. 神様の知恵とは何ですか?

2. 私たちはどうしたら正しく歩めますか?

子どもたち(保護者)のために


子供達にテキストを読み聞かせ、簡単な言葉に置き換えて説明してください。そして神様がくださる知恵とはイエス自身であること。礼拝を通して、祈ることを通して、聖書を読むことを通してイエスが心に語りかけてくださることを教えて、礼拝すること、祈ること、聖書を読むことを励ましてください。