永原アンディ
復活の日曜日
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つながりのしるし(マタイ12:38-41)
Acquired by Henry Walters with the Massarenti Collection, 1902
さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。(マタイによる福音書 28:1-6a)
イースターです。十字架につけられたイエスが死んで葬られてから三日目、イエスは復活し弟子たちにその姿を現されました。ユダヤ教では週の中で最も重要な日は安息日、つまり土曜日です。天地創造の七日目に神様が全ての創造を終えて休まれたその日、人々もあらゆる労働を避け、礼拝を捧げました。ユダヤ教の1日は日没から日没までです。安息日は金曜の夜から土曜の夕方ということになります。
イエスとその弟子たちも、律法主義的にではありませんが、安息日を大切に考えていました。イエスはご自身の復活を預言していましたが、安息日より自分のよみがえった日曜日を大切にしなさいとは言われませんでした。しかし、イエスを信じた人たちは復活の衝撃と畏れと喜びによって、週の終わりの日ではなく、週の初めの日を最も大切な日とするようになったのです。それで、私たちはイエスの復活を覚えて日曜日に共に集って礼拝しているのです。イエスの復活は私たちにとっては一年に一度思い出して祝うものではありません。毎週日曜日がイースターなのです。主が共に歩んでくださることを喜び、感謝して、礼拝から一週間の歩みをスタートするわけです。復活のパワーを一年に一度だけ味わうのはもったいないことです。毎週毎週味わっていただきたいのです。そこで、なぜイエスの復活があなたの日々を喜んで歩く力となるのかということをお話ししていきたいと思います。
序:ヨナのしるしはイエスと私たちのつながりのしるし
すると、何人かの律法学者とファリサイ派の人々がイエスに、「先生、しるしを見せてください」と言った。イエスはお答えになった。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。(マタイ12:38-41)
prophet Jonah being thrown into the Sea, catacombe di Priscilla (Paleochristian art before V c. photo by Wilpert, Joseph. Die Malereien der Katakomben Roms, 1903)
旧約聖書にはイエスの復活を暗示する箇所が多くあります。イエスもご自身の復活をこのように預言されました。イエスの言われたヨナのしるしとは、ヨナ書に記されている、ヨナが大きな魚に飲み込まれ、三日三晩その中にいて陸地に吐き出されたことです。「三日三晩」とありますが、イエスは金曜の夜に十字架に架けられ日曜の朝よみがえられたのですから厳密には三日三晩ではありません。当時は金曜の朝から日曜の朝まででも、時間の経過に三つの日がが入っていれば三日という数え方をしていたのでそうおっしゃったのでしょう。それではヨナ書にあたってみましょう。
彼らがヨナの手足を捕らえて海へほうり込むと、荒れ狂っていた海は静まった。人々は大いに主を畏れ、いけにえをささげ、誓いを立てた。さて、主は巨大な魚に命じて、ヨナを呑み込ませられた。ヨナは三日三晩魚の腹の中にいた。(ヨナ 1:15-2:1)
主が命じられると、魚はヨナを陸地に吐き出した。(ヨナ 1:15-2:1, 2:11)
ヨナ書は、旧約聖書の中では短く読みやすいものです、今週はこの部分だけではなく、ぜひ全体を読み返してみてください。そうすると、ヨナのしるしというのは、単にイエスの死と復活を暗示しているだけではなく、イエスが世界に来られた意味、十字架の意味、今共にいてくださる意味を暗示していることがわかります。しかし、この印の持つさらに重要な意味は「イエスとあなたをつなげる」ということにあります。イエスの死と復活が、どうあなたの人生に関わるのか?預言者ヨナのしるしを通して考えてゆきましょう。
1. イエスと私たちの再生のしるし
イエスがなぜ十字架に架けられ処刑されたのか?私たちはこの一週間深く心にめぐらしてきました。ヨナはなぜ海に投げ込まれなければならなかったのでしょうか?神様の命令に背いて、自分の好きなようにしたいと思っていたことが原因でした。神様はヨナに、ニネベという大都市の人々が悪から離れるよう警告するという任務を与えたのです。船に乗って逃げ出したら大嵐に遭遇したのです。船には色々な国の人が乗っていたので、それぞれがそれぞれの信じる神々に必死で助けを求めていましたが、ヨナはぐっすり寝ていたので、船長は「寝ている場合か、お前の神に祈れ」と言いました。ヨナは祈っても意味のないことを知っていました。それは自分に対する神様に警告だと直感したからです。自分を海に放り込めば、嵐は静まり、船の人々は皆助かると知っていて、人々に自分を海に投げ込むように勧めました。人々はすぐにヨナを犠牲にしようとは思いませんでした。むしろ、ヨナを乗せたまま船を陸に戻そうと努力したのです。しかし事態はますます悪くなり、彼らはついにこう叫びました
「ああ、主よ、この男の命のゆえに、滅ぼさないでください。無実の者を殺したといって責めないでください。主よ、すべてはあなたの御心のままなのですから。」(ヨナ 1:14)
ヨナが無実だというのは神様の前に罪がないということではなく、正式な手続きなしに処刑(この場合は嵐の海に投げ込まれる)することを言っています。だから彼らはその時まで躊躇していたのですが、耐えられなくなってついにヨナを海に放り込みました。結果的にはヨナを海に投げ込んだことは正解でした。海は静まり彼らは助かったのです。
ヨナ自身も、大きな魚に飲まれるという恐ろしい体験を経て、生かされました。死にはしなかったのですから、イエスのように復活したのではありませんが、この出来事を通してヨナの新しい人生が始まったのです。それは私たちの印でもあるのです。私たちは皆、神様を知らない者として、自分を神のようにして、自分を中心として生きてきました。ヨナのしるしは、イエスの死と復活のしるしであるだけではなく私たちの新しい人生の始まりのしるしなのです。船員たちが、ヨナを海に投げ込んで助かったように、人類はイエスを十字架にかけなければ、恐れや悲しみや苦しみに支配され続けなねればならない存在だったのです。イエスを十字架に架けたことは道徳的には誤りでしたが、救いの道はそれしかなかったという意味では正しかったのです。私たちは、船員たちが言ったように、「主よ、すべてはあなたの御心のままなのですから。(for you, O LORD, have done as you pleased.)」と言って胸を叩きながら十字架を見上げるしかないのです。
しかし、神様は私たちの背信を赦しただけで、主を十字架にかけて殺した自分を責め続けさせることにしたわけではありませんでした。三日目に、イエスは復活されました。神様は、イエスを神と信じイエスの十字架と復活を信じる者に新しい命を与えます。それは十字架を見上げて自分の罪深さを嘆き続けるだけの命ではなく、復活されたイエスと共に歩む命なのです。どうぞあなたへの再生のしるしとして受け取ってください。
2. イエスと私たちの勝利のしるし
イエスの勝利は、当時の人の望む勝利とは違っていました。このことが多くの人々を戸惑わせ、彼らがすぐには従うことができなかった理由です。イエスの勝利は罪と死からの勝利でした。当時の人々の望みは戦争や革命による民族の勝利でした。富と体の安全が目的です。イエスは、あなたを繁栄させるために共にいてくださるのではありません。この勘違いはキリスト教会の中にも蔓延っています。イエスの勝利は、私たちの魂を生き返らせ、死を恐れず、罪を離れて生きられるようになるという勝利です。罪から離れるということは神様に近づくことです。罪と死からの勝利の報酬は永遠に主とともにいられるというこです。ヨナは飲み込まれた魚のお腹の暗闇の中で祈り、死と罪から解放されました。ヨナの祈りを聞きましょう。
7 わたしは山々の基まで、地の底まで沈み地はわたしの上に永久に扉を閉ざす。しかし、わが神、主よあなたは命を滅びの穴から引き上げてくださった
8 息絶えようとするときわたしは主の御名を唱えた。わたしの祈りがあなたに届き聖なる神殿に達した。
9 偽りの神々に従う者たちが忠節を捨て去ろうとも
10 わたしは感謝の声をあげいけにえをささげて、誓ったことを果たそう。救いは、主にこそある。(ヨナ書2:7-10)
イエスの十字架を思う時、私たちは自分の罪深さにおののきますが、復活によって、そこから解放されたことを知ります。あなたがイエスを信じて進み出す時、罪はあなたを支配することはできません。主の永遠にあなたといるという約束によって、死も力を失うのです。
3. イエスと私たちの働きのしるし
ここまででも、すばらしい約束のしるしです。でも、ヨナの印はイエスと私たちを結ぶもう一つの意味を持っています。それは、ヨナの印が、私たちに委ねられているこの世界での働きを示す印だという意味です。ヨナはこの出来事の後、神様の指示に従ってニネベに行き、言われた通りに人々に警告を伝えると、人々は後悔して悪から離れ、神様は裁きを回避されました。すべての人を救う神様の働きをヨナは担ったのです。しかし彼の心は不満でした。神様の恵みは表され、人々は喜びましたが、ヨナは預言を外した預言者となってしまったからです。私たちも神様の偉大なミニストリーの一部を担わせていただいています。それが恵みであるのに、私たちも、つい自分の思い通りにならなかったり、人からの賞賛を得られなかったりすると神様に文句を言いたくなる性質を持っています。この印は、私たちただ神様の仕事をさせていただけるということだけでなく、自分のではなく、ただ神様の栄光を実現するための働きに召されているということの印でもあるのです。
あなたもこの預言者ヨナのしるしをイエスと自分を結びつけるしるしと認めてください。そうすればこれからの人生は意味深く満足できるものとなるでしょう。その長さ短さは、新しい人生の質とは関係ありません。私たちの人生はもはや目に見える世界に限られてはいないからです。今日この週の初めの日から、さらに新しい歩みを進めましょう。
メッセージのポイント
イエスの復活は旧約聖書のいくつかの箇所で預言されています。イエス自身が十字架と復活の預言をした時に、具体的にヨナを取り上げています。ヨナのしるしは私たちを主イエスにしっかりとつなげるものです。イエスの復活によって、私たちはもはやイエスから遠く離れた者ではなく、イエスと共に新しくされた者、イエスと共に罪と死に勝利した者、イエスと共に神の国の働きをするものとされました。
話し合いのために
1)イエスとヨナの似ているところ(異なるところ)は?
2)つながりのしるしとはなんですか?
子供たちのために
ヨナの話を思い出させてください。そしてマタイの福音書の2箇所がイエス復活の預言として受け取っていることを確認しましょう。そして復活とはただイエスが蘇っただけではなく、イエスと共に私たちが、新しい命をいただいたこと、イエスと共に歩む限り勝利者として何も恐れることがないこと、イエスと共に神様の素晴らしい仕事を担って生きてゆく者であることを伝えて励ましてください。