“あなたは”わたしに従いなさい!

永原アンディ

見る

第一礼拝(日本語)
第二礼拝(日本語・英語 )

 

聴く

第一礼拝 (日本語)

第二礼拝 (日本語 / 英語)


あなたはわたしに従いなさい! (ヨハネ 21:15-22)

A. わたしの羊を飼いなさい (15-17)

15 食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。
16 二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。
17 三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。

 なぜこのような会話となったのかが良くわかるエピソードが、十字架の出来事の直前にありました。紹介したいと思います。十字架にかかる前の過越の食事の後、イエスは聖餐式を行いました。その直後のイエスとペトロの会話がマタイによる福音書の26章に記録されています。

そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう』/と書いてあるからだ。
しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」
するとペトロが、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と言った。
イエスは言われた。「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」
ペトロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言った。弟子たちも皆、同じように言った。(マタイ26:31-35)

ペトロは強く否定しましたが、69-75節でイエスが予告した通りになったことがわかります。

ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言った。
ペトロは皆の前でそれを打ち消して、「何のことを言っているのか、わたしには分からない」と言った。
ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言った。
そこで、ペトロは再び、「そんな人は知らない」と誓って打ち消した。
しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」
そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。
ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。(マタイ26:69-75)

 イエスは、ペトロが預言通り三回イエスを知らないと言ったことを責めて同じように三回、私を愛するか?と繰り返したのだとしたら、イエスはずいぶん意地悪な方だということになります。しかしそうではありません。イエスを、これからのイエスの働きを担うリーダーとして、その心を整えるために、このようになさったのです。
始めに確認しておきたいことは、裏切ったのはペトロだけではなく全員だったということです。

ペトロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言った。弟子たちも皆、同じように言った。(マタイ26:35)

 ペトロは全て裏切り者である弟子の代表として、自分の弱さによって主を裏切るという体験をしたのです。他の弟子たちだけでなく、私たちも同じ裏切り者です。 あの場所にいれば、弟子たちと同じように言ったし、ペトロと同じように聞かれれば彼と同じことをしたに違いないからです。ペトロは、イエスと共に活動していた頃、ずっと弟子たちのリーダーでした、学問はなく、単純で、熱い心を持っていました。イエスに従う人に必要な資質は、知識人であることではありません。それよりも単純で熱い心です。そして、もう一つ欠かせないことは、自分が「どうしようもなく弱い」ことを知るということです。
先週、イエスが大漁の奇蹟を弟子たちに再体験させて、新しい歩みに向かう彼らの心を整えたように、イエスはこの十字架の前後にわたってペトロの心に「どうしようもなく弱い私を通して、神様の大きな恵みが表される」ことを確信させたのです。

 


B. わたしに従いなさい! (18-19)

18 はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」
19 ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。

 この主との会話を通して、自分の弱さを徹底的に思い示されたペトロですが、このプロセスは、同時に癒しのプロセスであり、リーダーとしての任命のプロセスでもありました。疑い深く試されるように三回繰り返された「私を愛するか?」の正解は、ペトロが答えたように「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」身の危険が迫れば主を知らないと言ってしまうような私たちでも、主は「従って来なさい、あなたが私を愛していることはよくわかっている」と言ってくださる方なのです。その従い方は人によって様々です。次の部分でお話するように、他の人の従い方を気にしすぎては、自分に求められている歩みを間違ってしまいます。誰もがペトロのように殉教の死を遂げるわけではありません。ただイエスは、あなたの全てをご存知の上で「わたしに従いなさい」と招いておられます。

 


C. あなたはわたしに従いなさい!(20-22)

20 ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、裏切るのはだれですか」と言った人である。
21 ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。
22 イエスは言われた。「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」

 ペトロは本当に愛すべき人です。パウロにも言えることですが、キリスト教会の初代ボスとは思えない人間臭さに、私たちはほっとします。ここでも、私たちが自分の小ささを棚に上げて「ペトロ、小せー」と言いたくなることをペトロは言ってしまいました。ペトロは、若いヨハネをライバル視していたのです。彼が自分よりイエスに愛されているのではないかといつも気になっていました。しかし正直に考えれば、上から目線で「ペトロ、小せー」と言える人はいないはずです。自分よりも恵まれているように思える人のことが気になり、自分はあまり愛されていないのではないか?と思ってしまうのです。特に、目に見える、人の持つ物とか才能とか地位を自分と比べて穏やかではいられなくなります。そんな時にはこのイエスの言葉を思い起こしましょう。「(〇〇さんが△△であることを)、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」
イエスはあなたに他の誰にも与えられない特別な恵みによって、あなただけに与えた特別な計画に従って歩ませて下さいます。

 


メッセージのポイント

 イエスは、自分の身に危険が迫ると、主を知らないと言ってしまう私たちの弱さをご存知の上で、何度失敗しても見捨てずに、従って来なさいと言ってくださいます。イエスに従うとは「イエスの羊を飼うこと」 それは、イエスが愛する人々を愛することです。ペトロは、それ以後「イエスの羊を世話する者」としての生涯を全うしました。私たちにもイエスは「わたしに従って来なさい」と呼びかけておられます。他人のことも気になりやすい私たちですが、主は「あなたはわたしに従って来なさい」と言われます。

 

話し合いのために

1) なぜイエスは三回もペトロに尋ねたのでしょう?
2) ペトロはヨハネに対してどのような気持ちを持っていたのでしょうか?

 

子供たちのために

マタイ26:31-35, 69-75の内容とともに15-17節のお話を伝えて、なぜイエスが3回も同じように尋ね、ペトロは悲しく思ったのか教えてください。その上で、どんなに主を悲しませても、失敗しても、見捨てないで招いてくれるイエスに従って、人々を愛する人になることを励ましてください。