たたえずにはいられないイエス

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たたえずにはいられないイエス

(詩編 65)

永原アンディ

 これまでも賛歌と題された歌を読んできましたが、賛歌とは言いながら、嘆きだったり、呪いだったりで、みんなウンザリしていたと思いますが、今日は大丈夫です。ネガティヴワードは1節しかありません。しかし私たちはわがままです。詩人が、ただ喜んで神様をほめたたえていると、自分とは違う、同感できないと思ってしまうのです。でもそれは思い違いです。今、皆さんがどんな境遇にあっても、イエスをほめたたえずにはいられない理由を三つお話します。どうか自分が、イエスをほめたたえずにはいられないほど幸せであること知ってください。はじめに5節まで(英語では4節まで)読みましょう。

A. 家族に迎え入れてくださるから (1-5)

1 【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。歌。】
2 シオンにいます神よ
あなたには沈黙も賛美。あなたへの誓いが果たされますように。
3 祈りを聞いてくださる方よ
すべての肉なるものはあなたのもとに来ます。
4 数々の過ちが私を責めたてます。
私たちの背きを、あなたが覆ってくださいます。
5 幸いな者
あなたに選ばれ
あなたに近づけられ
あなたの庭に住む人。
私たちはあなたの家
あなたの聖なる宮の恵みに満ち足ります。

 新しい日本語の聖書は、2節で賛美と沈黙について今までのどの訳とも異なる意味を与えています。色々な訳が考えられる部分です。確かに「沈黙」は軽視されてきました、声を上げてほめたたえたり、歌ったりことが重要で、静まっている事は、そのインターバルでしかないと考えられることが多かったのです。しかし、沈黙は何もしていないことではありません。口を閉ざして主の前に静まる事もまた、主をほめたたえる一つの表現です。口を開いて主を賛美することと同様に大切なことです。このことについては深く考えてみる価値のある主題ですが、今日は3節以降にフォーカスしたいので、先に進みます。

 詩人は、自分の、また民族の神様に対する過去の背きや過ちをよく自覚しています。そのことだけ考えるなら、押しつぶされてしまいそうだとも感じています。しかし、それ以上の事実として、神様は、そのような私たちを覆い包んでくださる方なのです。そのことを詩人は喜んでいます。

 「神様に選ばれ、近づけられ、その庭に住む人は幸いな人と」誰が呼びかけられているのでしょう?それは、ここで共に主に礼拝を捧げている私たちです。私たちは神様の家、神様の聖なる宮の恵みに満ち足ります。私たちの目に見せられている神の家族、教会はここにある人間関係です。それは、完璧には程遠いものです。互いに傷つけ合ってしまう事もあります。同じ家族であっても、誰かは遠く離れたところに引っ越さなければならないという事も起こる。

 イエスを知るまでの私たちは、肉親としての家族しか知りませんでした。そこで修復できない傷を受ければ、家庭に居場所を失うことにもなりました。しかしイエスを知った今、見方はすっかり変えられたのです。人間としてのつながりの基礎は、実は親子、戸籍上の家族ではなく、イエスとの関係であったということを知ったからです。

 それは決して裏切られることのない関係を手に入れたということです。イエスとの関係を基礎とした人間関係でも壊れることはあります。しかしイエスとの関係は、あなたが望まない限り、決して壊れることはありません。そしてそのことを知ると、人々との関係も変わってゆきます。イエスと私という変わらない軸があるので、それを中心に人々との関係を、よりよく築くことができるからです。

 イエスとの関係を考えれば、私たちはほめたたえずにはいられないのです。


B. 世界をコントロールしていてくださるから (6-10)

6 我らの救いの神よ
あなたは義によって
恐るべき業によって答えます。
遠い海、地の果てに至るすべてが信頼する方。
7 強い力によって山々を固く据え
大いなる力を身に帯び
8 大海のどよめき、波のどよめき
そして諸国の民の騒ぎを鎮める方。
9 世界の果てに住む者はあなたのしるしを見て畏れ
朝と夕べの始まる所に
あなたは喜びの歌を響かせてくださいます。

 神様の創造の出来事の偉大さが今も変わらず、神様の秩序があって喜びの歌が響いている。この表現も、この世界を見るとき素直に受け入れられないと感じられるのではないでしょうか? 取り巻く環境は自然であれ、社会であれ、問題は以前に増して深刻になってきているように感じます。様々の物質による汚染、温暖化、国際関係のこと、「なんで神様は・・・してくれないんだー」と叫びたくなります。半世紀前、私は中学生でしたが、何かの雑誌で「化石燃料 (fossil fuel)は数十年で枯渇する」というのを読んで本気で心配になったことを、覚えています。技術者だった父は事も無げに「いや、その頃には水素や太陽光をエネルギーに変えられるようになる」と教えてくれたのですが、その時には納得できずしばらくクヨクヨしていました。

 神様の創造の業は、創世記の表現では7日目に完成し、神様の自己評価は「極めてよかった」でした。しかし神様は私たち人間に、その全てを最初から開示されたわけではありませんでした。神様は作られた世界の原理を、人間の状態に合わせて少しずつ教えてくださっています。それを人は科学の進歩と呼びますが、それは人間の創造的な働きではありません。神様が完成された世界についての知識がより正確にわかるようになったにすぎないのです。神様の作られた世界は完璧です。社会は悪くなっていく一方だという考えも、社会の進歩を疑わない考えもどちらもナイーヴすぎます。社会は勝手に悪くなっても、良くなっても行かないのです。世界が絶望的に見えるようになったのは、核兵器が溢れた20世紀からではありません。新約の時代、もう世界の終わりは数年後に来ると信じられていました。戦争や天変地異はどの時代にもあったのです。ペストもエイズもガンも世界を滅ぼすと恐れられましたが、征服されつつあります。

 世界の不都合の現実は人間が作り出したものです。人間は創造者に従おうとはせず、自分の欲望に従った結果です。「罪」は一人一人の人間の心に働くものですが、それは人類全体で複雑に絡み合って、大きな力を発揮して災いを引き起こしています。まだ危険が去ったわけではありませんが、20世紀の核兵器の時代に地球が滅びてしまわなかったのは神様の憐れみでしょう。
人のエゴは無くなりませんが、イエスに従う人は、イエスが再びこられる日を災いとしてではなく、完成形を見せられる日として楽しみに待つことができます。しかしその時まで、私たちは問題と思えることも、神様の与えてくださる知恵で克服して行けると信じて歩み続けることができます。

 このことを知っているので、私たちはほめたたえずにはいられないのです。


C. 豊かに養ってくださるから (11-14)

10 あなたは地を訪れてこれを潤し
大いに豊かにします
神の水路は水をたたえ、あなたは穀物を備えます。
あなたがそのように整えたのです
11 畝を潤し、土をならし
豊かな雨を注いで柔らかにし
萌え出たものを祝福してくださいます。
12 あなたは恵みを年の冠とされます。
あなたの過ぎ行かれる跡には油が滴っています。
13 荒れ野の原にも滴り
どの丘も喜びをまとい
14 牧場は羊の群れをまとい
谷は穀物に覆われています。
辺り一面、喜びの叫びを上げ
歌声を響かせています。

 イエスをたたえずにはいられない三つめの理由はこれです。でもこの事について、誰ががお話しするよりは、イエスが最も分かりやすいメッセージをしてくださっていますからシェアしたいと思います。

 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。(中略)
だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。(マタイ6:26-33)

 私たちは自分に本当に必要なものをわかってはいません。ルネ・ジラールという人類学者は、人が何かを欲しいと思う理由は「誰かは持っているのに、自分は持っていない」だと言っています。子供の要求はいつも「みんな持ってるのに、自分は持っていない」です。これは罪の原理でもあります。アダムとエヴァは神様のよう(な知識を持つ者に)になりたいと思ったのです。
 こうなると、いつでも満足感はありません。欲望には際限がないのです。しかし、第二の理由のところでも話ししたように、神様は、私たちに十分に良いものを用意して下さっているのです。そのことを信頼して委ねるなら、神様が豊かに与えてくださることを知るでしょう。

だから私たちはほめたたえずにはいられないのです。


メッセージのポイント

 自分の取り巻く世界を見るとき、多くの人々は、うまくいかない人間関係、心配な環境変化、貧困や生活苦を見て絶望します。しかしイエスに従う人は絶望しません。目に見える世界にかかわらず、イエスはその人を完全に守り、導き、養ってくださるからです。

話し合いのために

1) なぜ沈黙も賛美なのでしょう? 
2) どこに13-14節のようなことが起こっていますか?

子供たちのために

子供たちになんでイエスを信頼できるのか聞いてみましょう。それから、5節で「私たちを家族として迎え入れ、神様との関係も、お互いの関係も良いものとしてくださる方」7-8から、「環境の全てをコントロールしていてくださる方」11, 13-1から「心も体も成長させてくださる方」でもあるということを伝えてください。