ああベツレヘムよ

 

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ああベツレヘムよ

讃美歌「ああベツレヘムよ」より)   
待降節第二日曜日 (ミカ書 5:1, マタイによる福音書 2:1-6) 

永原アンディ

 

(ミカ書 5:1) エフラタのベツレヘムよ/あなたはユダの氏族の中では最も小さな者。/あなたから、私のために/イスラエルを治める者が出る。/その出生は古く、とこしえの昔にさかのぼる。

(マタイ2:1-6) イエスがヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は祭司長たちや民の律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは王に言った。「ユダヤの地、ベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、あなたはユダの指導者たちの中で決して最も小さな者ではない。あなたから一人の指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」


A. ベツレヘム

 

1. 悲しみの記憶

 世界で最初のクリスマスイヴ、身重のマリアが夫ヨセフと共にベツレヘムに向かう物語は多くの人々に知られていますが、それより遥か昔、同じように身重の女性が夫と共にベツレヘムを目指していました。創世記に記されているヤコブと妻のラケルです。向かう道の途中で産気づいたラケルは難産の末、男の子ベニヤミンを生みましたが自分は命を失い、ベツレヘムに向かう道のそばに葬られたとされています。ヨセフもマリアもその悲しい出来事を知っていたはずです。彼らは、権力者の都合で命の危険を犯して、日本でいえば本籍地であるベツレヘムに向かったのです。
 イエスはベツレヘムで無事に生まれました。しかし、ベツレヘムはイエスがそこで誕生したことによって多くの子供が殺されることになります(2:16-18)。ベツレヘムは虐殺の町としても記憶されるようになってしまいました。

 

2. ダビデを生んだ栄光の町

 ここ町田は一応、東京の一部ですが、都心からは大体30km、横浜からは20kmで東京でも“区”がつくところに住んでいる人からは、町田って神奈川県だっけと言われるので、町田市民は神奈中バスではなく、都バスかせめて小田急バスが走ってほしいと思っています。ベツレヘムは都エルサレムからどのくらい離れているか知っていますか?10kmくらいです。都心からだと世田谷区くらい、町田の負けです。ベツレヘムはイスラエル史上最も有名な王、ダビデの町として知られていました。救い主=メシアはダビデの子孫として現れると信じられていた事と、今読んだミカの預言が成就するために、ガリラヤ地方に住んでいたヨセフとマリアは、神様の見えない手に導かれて、ベツレヘムに行き出産することになったわけです。

 

3. 現在のベツレヘム

 ご存知のように、イスラエル王国、ユダ王国と相次いで滅ぼされた後、第二次世界大戦が終わるまで、ユダヤ人は領土を持たない民族として世界各地に散らされて暮らさなければならず、ナチス占領下で起きた迫害をはじめとして、その時々の情勢に苦しめられることが多くありました。イスラエルが欧米諸国の後押しで領土を持つことになりましたけれど、もちろんそこにはパレスチナ人が住んでいたのですから、新しい摩擦が起こり、それは今も進行中です。世界中の壁に落書きして有名になったバンクシーはベツレヘムでは9点も作品を残しています。それはベツレヘムがイスラエルの建設した分離壁 (isolation wall)、イスラエル側は安全フェンス(Security fence)と呼ぶコンクリートの壁に面している町だからです。世界には隔ての壁を壊した人々もいれば、これから立てようとする人もいますが、ベツレヘムのように現在、壁が存在する町もあるのです。それが、隔ての壁を打ち壊すためにこられたイエスの生まれた町だというのはなんと皮肉なことでしょう。ところで、バンクシーはベツレヘムで、絵を書いただけではなく、世界一眺めの悪いホテル(The walled off hotel)をオープンしました。分離壁までわずか4メートルの位置にあるので、どの部屋からも分離壁と監視塔を見ることができる、というのがセールスポイントで、そのため客室に直射日光が入るのは1日わずか25分なのだそうです。値段の高い部屋なら壁の向こうの、国際法下では違法な、イスラエルの入植地を見ることができるのです。

 


B. ナザレでもなくエルサレムでもなくベツレヘムで生まれたイエス

 

1. 苦しみの中に、悲しみの中に、痛みの中に

 イエスは、政治家でも、宗教家でも、王族でもない、普通の夫婦の子として生まれました。当時の支配者、ローマ皇帝の人口調査さえなければ、ガリラヤ湖畔の町ナザレで生まれていたはずでした。実際、イエスは誕生の後はベツレヘムに留まることもなく、都エルサレムで暮らすこともなく、30年以上ガリラヤ地方に暮らし、社会的に知られることもありませんでした。ヨセフは大工であり、イエスも早逝した父と同じ仕事をしていたと伝えられています。当時の社会は、階級の間の流動性はほとんどなく、ガリラヤに生まれ育った子供なら、漁師、農民、あるいはそれに関連する商工業者として一生をそこで生きるのが普通でした。ダビデの血筋とはいえ、すでにエルサレムの宮殿に住むような王族ではないイエスが、人々の心に影響力を持ち始めたので政治的、宗教的支配者たちは、イエスを反逆者やテロリストのようにみなして十字架にかけてしまいました。イエスは結局、民族のマジョリティーに受け入れられることなく殺されてしまいました。イエスは、人と人の間に壁を作りたい、作った壁を守りたい人々には邪魔な存在だったのです。しかしイエスは甦られました、今も愛と正義を求める人の希望であり続けています。

 先週の水曜日、アフガニスタンの人々を慢性の食糧不足と栄養失調から救うため、医療活動にとどまらず、水を引いて広大な土地を砂漠から農地に変えて人々の命を救ってきた中村哲医師が殺されてしまいました。直接は知らない方でしたが、足が震え、涙が出てきました。中村さんはイエスに従って生きた方です。政治信条や宗教を問わず、そこで最も苦しんでいる、弱っている人々のために地上での歩みを捧げられました。中村さんのお手本はイエスでした。イエスのように人々の、苦しみの中に、悲しみの中に、痛みの中に飛び込んでいって、彼らと共に泣き、彼らと共に喜んで、そして天に帰ってゆかれました。中村さんはもう地上で働くことはできませんが、イエスと中村さんの思いを継いで、アフガニスタン中に緑が広がるまで、ペシャワール会の働きは続けれれてゆくでしょう。イエスはご自身について、

一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。(ヨハネ12:24) 

と言われましたが、それはイエスの道に従う者についても言えることなのです。

 

2. イエスを心に迎えよう

 実は、中村さんのニュースの前日に読んだネットの記事にも私は衝撃を受けていました。「世界の18才(実際には17-19才)の意識調査」というものでしたが、それを読んで日本の若者は残念な意味でとてもユニークであることを発見しました。9つの国の18才に行ったアンケート調査で「将来の夢を持っている」のは、日本では約60%でした。他の8カ国の中で最も少ないのが韓国の82.2%、それ以外はどの国も90%を超えています。「自分は責任ある社会の一員だと思う」と答えた日本の18才は44.8%。しかし他の8カ国の中で最も少ないのはやはり韓国ですが、それでも74.6%、それ以外はどの国も80%を超えているのです。
 もう一つだけ紹介すると、自分の国の将来について「良くなる」と答えた日本の18才は9.6%。他の8カ国で少ない順からドイツ、韓国、イギリス、アメリカが20-30%で、残りのインドネシア、ベトナム、インド、中国は50%を超えているのです。この国の若者は、自分に対しても、社会に対しても将来に明るい夢が持てていないということです。「ああベツレヘムよ」ではなく「ああニッポンよ」と言わなければなりません。
 日本の若者がダメという話ではないのです。そのような社会を作ってきた私たちに責任があるのです。しかし私たちのうちに確かな希望の光がなければ
、どうして若者に希望を持てと言えるのでしょうか?自身も、希望もないのは若者だけではありません。
 しかし、私たちにはできることがあります。苦しみの中に、悲しみの中に、痛みの中に飛び込んで行き、そこで人々と共に笑い、泣き、歩んだイエスを紹介することです。イエスに従って歩んだ中村さんが見せてくれた悔いのない人生の歩み方を伝えることでもあるのです。
 日本ほどではありませんが、似たような傾向を示していたのがお隣、韓国です。世界に誇るキリスト教国とも見られていますが、残念ながら”キリスト教”という宗教が希望の光となっているわけでもないことがわかります。希望の光はイエス・キリストです。あなたが次の世代に希望を持ってほしいなら、まずあなたが希望の光、イエスを心の中心にお迎えすることです。

 


メッセージのポイント

ベツレヘムは聖書的なアミューズメントパークではありません。イスラエルの歴史の初めから今に至るまで、悲しみや苦しみをもたらす現実が今もそこにあるところです。クリスマス=イエスの誕生は、商業主義に都合の良いファンタジーではなく、恐れる、悲しむ、苦しむ心に平安をもたらす救い主の訪れの時です。

話し合いのために
  1. ベツレヘムはどのような町ですか?
  2. イエスがベツレヘムに生まれたことはあなたにとってどのような意味がありますか?
子供たちのために

 イエスの生まれたベツレヘム、育ったナザレ、そして十字架につけられたエルサレムの位置的関係を略地図などで教えて下さい。聖書の巻末にある地図などが参考になります。なぜヨセフとマリアは暮らしていたナザレではなく遠く離れたベツレヘムでイエスを産まなければならなかったのか、ベツレヘムはどんな町だったのか伝えて下さい。