元に返してください!

 

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元に返してください!

(詩編 80 )  

永原アンディ

  題名とした一節を読んだ時、最初に思い起こしたのは、不謹慎にもYoutubeの「ポンコツ車レストア、ビフォー・アフター」みたいなコンテンツのことです。動かなくなってサビだらけの廃車をピカピカに復元する過程を見せるものです。しかし、出来上がりは元どおりではなく、元どおり以上、クラシックな外観からは想像できない、オリジナルの走行性能を遥かに超えたモンスターマシンになっているという話です。 今日は、神様はサビサビ・ポンコツな私たちをスーパーカー(死語ですが)にしてくださるというお話をします。読んでゆきましょう。最初は8節までです。

1 【指揮者によって。「百合」に合わせて。証し。アサフの詩。賛歌。】2 イスラエルの牧者 ヨセフを羊のように導かれる方よ 耳を傾けてください。 ケルビムの上に座しておられる方よ 輝き出てください3 エフライム、ベニヤミン、マナセの前に。力を奮い起こし、救いに来てください。4 神よ、私たちを元に返し 御顔を輝かせてください。その時、私たちは救われるでしょう。5 万軍の神、主よ、いつまでなのですか 民の祈りにもかかわらず、怒りの煙を吐かれるのは。6 あなたは彼らに涙のパンを食べさせ 溢れんばかりの涙を飲ませました。7 あなたは私たちを隣国のいさかいの的とし、 敵は私たちを嘲ります。8 万軍の神よ、私たちを元に返し 御顔を輝かせてください。その時、私たちは救われるでしょう。

 

A. 変わってしまった私たち

 この時イスラエルはボロボロの状態でした。これはイスラエル北方の部族エフライム、ベニヤミン、マナセの名が出ていることから、国が南北に分裂した後、南より先に滅ぼされた北の王国についての描写であることがわかります。イエスが生まれる700年くらい前の時代です。最初に出てくるヨセフの名は、彼がエフライムとマナセの父であり、ベニヤミンの兄なので、しばしば北王国の象徴として記されています。日本では国が滅びるということの実体験を持つ人は数少なくなりましたが、それは日本にも起こったことです。イスラエルの過酷な体験に比べれば、様々な問題はあるにせよ、アメリカの占領は紳士的でした。日本に民主主義を植え付けてくれたことはありがたいことでした。しかし、それを良くは思わず、以前の日本に戻したいと考える人もいるのです。 今また、今度は世界中が、危機の中に置かれています。私たちのライフスタイルはすっかり変わってしまいました。しかし、コロナ前に帰れば良いというわけではありません。

一体、私たちに戻るべき本来の社会というものがあるのか?そうだとすれば、それはどこにあるのか?個人としても同じことが言えます。本来の自分というものがあるのか?しかし、誰も過去に戻ることはできません。それでは未来に向かって本来の姿を求めて進むということが可能なのか?一緒に考えてみましょう。

 


B. 私たちの帰るべき元の姿

 

1. 神様との元の関係

9 あなたはエジプトからぶどうの木を引き抜き 諸国民を追い出して、これを植えられました。
10 あなたはそのために地を開き、根を下させ、地を満たされました。
11 その陰は山々を覆い その枝は神の杉を覆いました。
12 大枝は海にまで 若枝は大河にまで伸びました。
13 なぜ、あなたはその石垣を崩されたのですか。 道行く人は皆、実を摘み取っていきます。
14 森の猪はここを食い荒らし 野の獣は食べ尽くします。

 

 イスラエルはこの詩で、エジプトから解放されてカナンの地に定着した頃の時代を、戻るべきところと想定しています。 民族の栄光の時代です。あの時代に帰してと神様に叫んでいるのです。

しかし彼らの「あの時代」とは、辛いエジプトでの奴隷状態からの解放の後で導かれた場所でした。しかし、そこには無理がありました。元々そこにいたのに追い出された諸国民にとってはイスラエルが侵略者です

ですからこの詩の出来事も、イスラエルにとっては侵略でも、追い出された諸国民にとっては自分の土地を取り戻す試みだったのです。 そしてパレスチナ問題は現在も解決されないままそこにあります。

 民が戻るべきところとは、地理的な場所ではありません。それはアダムとエバが放棄した神様との関係です。神様が私たちをどのような者として創られたのか、私たちは創世記を何度も読み返してきました。 それはイスラエルの民にだけ言えることではありません。すべての人がこの回復に招かれているのです。旧約聖書の時代、その招待状は旧約の預言者たちによって何度も民に差し出されましたが、民はその度に受け取りを拒み、ある時には使者である預言者を殺してさえしまいました。 そしてついに神様ご自身が、イエスとなって招きにこられた。それがクリスマスから十字架に至る、福音書に記された時だったのです。

 イエスは、「私のタイムマシンに乗って創世記の過去に帰ろう」という代わりに「私に従ってきなさい」と言われました。イエスに従って歩むことが、本来の神様との関係に戻る道なのです。今の私たちと神様との関係は未だに完璧ではありません。ですから世界には様々な問題が起こり続けています。残念ながら、この世界の中でその完成された姿を見ることはできません。しかしそのような世界の中をイエスと共に歩み続け、歩み通した先に戻るべきところはあるのです。聖書はそれを「神の国」「天国」と表現しているのです。 教会は「神の国のショーケース」です。 しかし完全な形ではありません。教会もまた完成を目指しているのです。そのような意味で、イエスは「神の国」という言葉を既にきているものとしても、向かっている先にあるものとしても用いられるのです。

 

2. 元に戻されることとしての救い

 

15 万軍の神よ、帰って来てください。 天から目を凝らして御覧ください。 このぶどうの木を顧みてください
16 あなたの右の手が植えた株と ご自分のために強めた子を。
17 それは火に焼かれ、切り倒されています。 あなたの叱咤によって彼らが滅びますように。
18 その手があなたの右にいる人の上に ご自分のために強めた人の子の上にありますように。
19 私たちはあなたを離れません。 私たちを生かしてください。 私たちはあなたの名を呼び求めます。
20 万軍の神、主よ、私たちを元に返し 御顔を輝かせてください。 その時、私たちは救われるでしょう。

 最後の部分をもう一度読みます。

 万軍の神、主よ、私たちを元に返し 御顔を輝かせてください。 その時、私たちは救われるでしょう。

神よ(4節)、万軍の神よ(8節)、そして「万軍の神、主よ」と少しずつ呼びかける言葉が変わりますが、同じ内容を繰り返しています。いかにも歌われたものらしい形式です。もちろん重要なので繰り返されるわけです。「私たちを元に返し 御顔を輝かせてください その時、私たちは救われるでしょう。」 教会では「救い」という言葉がよく使われますが、今週はこの「救い」という言葉の「元に戻される」というニュアンスを考えながら過ごしていただきたいと願っています。一般的なイメージとしては、罪からの「救い」、救われる=イエスを信じて従う者になる、罪な生活が変わる、と言ったことを思い浮かべるのですが、実はそれは「本来の姿に戻される」「本来の生き方のトラックに戻される」ということなのです。 「罪」という言葉の本質も、嘘ついちゃった、昨日飲みすぎちゃったというところにあるのではなく「神様との関係が損なわれている」という状態を指すのです。「神の国のショーケースの一つのフィギア」として神の国に向かって、今週もイエスとともに歩みましょう。

 


メッセージのポイント

コロナ以前と以降では世界は大きく変わるだろうと言われる一方で、早くコロナ以前に戻りたいという言い方もされます。歴史は後戻りできません。コロナ後の世界はコロナ前の世界とは違います。過去のあの時点に戻りたいというのは、その人がそこに世界のあるべき姿を求めるからです。私たちが戻るべき元の姿、それは創造直後の神様との関係です。しかしそれは、過去にではなく、未来に向かってイエスに従って歩む先に待っていることなのです。

 

話し合いのために

1)自分の戻るべき姿とはどのようなものですか?
2)どうしたらそこに戻ることができますか?

 

子供たちのために(子供たちと共にいる大人のためにも)

 突然の世界の有様の変化に、子供たちは口には出さなかったとしても、大きな影響を受けているはずです。ここは、両親が背中で?信仰を見せる時ではないでしょうか?聖書に出てくる多くの人々は、以前の状態を懐かしみ、昔は良かった、あの日に戻りたいと神様の、指導者に文句を言っています。しかし預言的指導者は、いつも行くべきところを指し示し、人々を励ましました。アブラハム、モーセ、詩人、イザヤを初めとする預言者たち、イエス、新約の記者たち。そして子供たちの親である皆さんにもその系譜の中にいてほしいのです。過去にもパンデミックがあったこと、独裁者のもとで、ユダヤ人が屋根裏部屋に隠れていなければならなかったこと、その時代を乗り越えて、今があること、コロナの先に新しい世界が待っていることを聖書のエピソードを読んで話してみてください。