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主なる神が何を語られるかを聞く
詩編85編、1テサロニケ 5:7-10、マタイ17:4-8
永原アンディ
A. 罪を自分の罪として考えよう (1-4)
1 【指揮者によって。コラの子の詩。賛歌。】 2 主よ、あなたはご自分の地に恵みを示し ヤコブの繁栄を回復してくださった。
3 民の過ちを取り除き その罪をすべて覆ってくださった。〔セラ
4 あなたの憤りをことごとく抑え 燃える怒りを収めてくださった。
今までもお話ししてきましたが、イスラエルは周りの強力な国々の攻撃、侵略によって絶えず苦しんできました。詩編の中には、それらの敵をやっつけてくださいと神様に懇願する内容のものも少なくはありません。しかし、その一方で詩人は、起こってきた災いの根本にイスラエル民族の罪、過ちがあることを忘れてはいません。これは大切なことで、私たちにとっても同様です。
私たちも様々な困難を経験しますが、自分には全く問題がなく、自分以外の人や物事に100%責任があると考えてしまいがちです。そして恨みに思います。対人関係であれば自己中心、国際関係であれば自国中心の考え方です。今は、第二次世界大戦を振り返るのに一番ふさわしい季節です。あの戦争について、“正義のために”朝鮮半島や中国の一部を支配した日本は全く悪くないのに、諸外国が圧力をかけ、戦争せざるを得なく“させ”られ、原爆を落と“され”た被害者だと言い張る人がいます。しかし、どちらかが100%正しい争いはありません。
また一見、自然災害と見えるような出来事であっても、利己的な人間の行動が自然のバランスを崩して起こることも多いのです。人間による過剰な富の追求、便利さの追求、競争が災いをもたらします。
自分の罪の性質が、問題を引き起こしている原因の全てではありませんが、すべての人の内にある罪の性質が、自分のうちにあることを認めなければなりません。それらが複雑に絡みあって、困難や悲しい出来事を引き起こすのです。ですから、相手を非難する前に、誰もが私(たち)の過ちを取り除き その罪をすべて覆ってくださいと祈らなければならないのです。癒しと回復はそこからしか始まりません。
B. 何を回復していただきたいのか?
(5-8, 1テサロニケ 5:7-10)
5 我らの救いの神よ、私たちを元に返し 私たちに対する憂いを鎮めてください。6 あなたはとこしえに私たちを怒り その怒りを代々に及ぼすのですか。 7 再び私たちを生かし 民があなたを喜び祝うようにしてくださらないのですか。 8 主よ、慈しみをわたしたちに示し 救いを与えてください。
それでは、彼らは自らの過ち、罪によって、何を失い、もう一度取り戻したいと願ったのでしょうか?私と同世代のシンガーソングライターに松任谷由実という人がいるのですが、彼女は「あの日に帰りたい」という曲で「あの頃の私に戻って、あなたに会いたい」と歌っています。
詩人が取り戻したかったのは、見失った神様との関係です。それは正しい願いでした。困難があってもなくても、敵がいてもいなくても、必要なのは「神様との関係回復」です。
神様との関係が壊れていれば、すべての災いは神様の怒りと感じるでしょう。しかし、関係が回復すれば、どんな状態にあっても、生かされている恵みを喜び祝うことができます。それは、神さまの憐みと慈しみに気付くことをきっかけに手に入れることができます。罪から救われるとは、この神様との関係回復が起こるということです。教会では、イエスを信じて従う決心をして歩み始めることを「救われる」と言いますが。この言葉自体はそんなに狭い意味には止まりません。他の民族に先立って、神様がご自身を表され、神様に従って歩み始めたユダヤ民族も、神様との関係を損ない「救われたい」と願いました。いつ救われたか(イエスに従う決心をしたか)より、今イエスと共に生きているかが大切なのです。パウロは、テサロニケの教会の人々にこう書いています。
(1テサロニケ 5:7-10) 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔います。 しかし、私たちは昼に属していますから、信仰と愛の胸当てを着け、救いの希望を兜をかぶり、身を慎んでいましょう。 なぜなら、神は、私たちを怒りに遭わせるように定められたのではなく、私たちの主イエス・キリストによって救いを得るように定められたからです。 主は、私たちのために死んでくださいました。それは、私たちが目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。
「主と共に生きる」 これが私たちの人生のテーマなのです。どうしたら迷うことなく「主と共に生きる」 ことができるか?それはどのような生き方なのか?それを次の部分から考えてみましょう。
C. 主なる神が何を語られるかを聞こう (9-14,マタ17:4-8)
9 主なる神が何を語られるかを聞こう。 主は平和を語られる その民に、忠実な人たちに。 彼らが愚かさに戻らないように。 10 確かに、救いは主を畏れる人に近く 栄光は私たちの地に住む。11 慈しみとまことは出会い 義と平和が口づけする。 12 まことは地から芽生え 義は天から目を注ぐ。 13 主はまた恵みを与え 我らの地は実りをもたらす。14 義は主の前を進み 主の歩まれる道を備える。
まず心に留めなければならないのは、私たちが「聞こうとしなければならない」ということです。主がどのように生きなさい、と教えてくださるからです。と言っても、教えてくださることの本質はいつも変わりません。イエスの教えは一貫しています。ただ、そのことに忠実であるために、私たちは絶えず聞く必要があります。それは私たちの方が一貫ぜず、迷いだす傾向を持つものだからです。
富士山の麓に青木ヶ原と呼ばれる樹海(海のように広大な森林)があります。地質によって磁石が正確に方角を示さず、木の枝が張って空の星も見えにくいので、一度迷うと出てくるのが困難なのです。そこで人は、真っ直ぐに進んで外に出ようと試みるのですが、実は人間の「まっすぐ」の感覚は正しくなく、結局同じあたりをグルグル回ってしまうそうです。私たちの魂の感覚も「罪」によって歪んでいるので、「罪」を中心にグルグル回ってしまうということです。そこから抜け出すために、イエスの声を聞き続けなければなりません。聞くことをやめた途端、どんなに信仰深かった人でも、罪の周りをグルグルし始めることになってしまいます。
先ほど、イエスの言葉は一貫していると言いましたが、今の箇所にはどのように一貫しているのかも書かれていました。
主は平和を語られる − 確かに、救いは主を畏れる人に近く 栄光は私たちの地に住む。11 慈しみとまことは出会い 義と平和が口づけする。
それは、平和です。それも抽象的な言葉ではありません。それをもたらすものが何かもちゃんと説明されています。平和は、愛、誠実、正義によってもたらされます。皆さんが争いをもたらす者ではなく、平和をもたらす者でありたいなら、主の霊の助けを借り、主に聞きながら、愛すること、誠実であること、正義を求め行なってゆきましょう。
最後に福音書のエピソードを一つ紹介して終わります。
(マタ17:4-8)ペトロが口を挟んでイエスに言った。「主よ、私たちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、ここに幕屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのために。」 ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、雲の中から、「これは私の愛する子、私の心に適う者。これに聞け」という声がした。弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。イエスは近寄り、彼らに手を触れて言われた。「立ち上がりなさい。恐れることはない。」 彼らが目を上げて見ると、イエスのほかには誰もいなかった。
(お祈り) 神様、私の罪を知らせてくださってありがとうございます。自分の持つ罪の性質を知ることによって、自分の力や、間違ったものに頼らず、あなたに従って生きることができます。あなたに従って歩むことによって、災いをもたらす者でなく、平和をもたらすものとして歩むことができることができます。ほんの少しでも、あなたの香りを放つものとして生きることができることがうれしいです。あなたの恵みによって、あなたの子とされ、あなたの愛と、あなたの正義を求め、あなたの平和を実現するものとして歩ませてください。主イエス・キリストの名によって祈ります。
メッセージのポイント
世界の情勢はとても混乱しています。コロナウイルスの感染から身を守ることさえ大変なのに、争いが国と国の間で、民族の間で深刻になり、日常生活が困難になる人々も増えてきました。愛、誠実、正義、平和をこの地に実現するために必要なことは、主なる神が何を語られるかを聞くことです。イエスに耳を傾け、必要なことを教えていただくために、心からの礼拝を捧げ続けましょう。
話し合いのために
1. あなたはどのようなことを神様に回復してもらいたいですか?
2. どうしたら神様の語りかけを聞くことができるでしょうか?
子供たちのために
神様の考えを聞くという話題を親子で話してみてください。神様は見えないし、普通に語りかけてくれるわけでもありませんが、私たちは、神様の言葉を聞いて歩んでいます。それをどう子供たちに伝えられるでしょうか?メッセージにあるように、前提は自分たちの弱さや罪の性質を自覚しているということです。
みんなが神様に真剣に聞かずに自分の思い通りに振る舞った結果が今の目に見える世界の状態です。
民族や国や肌の色に関わらず、共に仲良く生きるという理想は、子供たちの方が容易に理解できることです。それが、神様と人間、人間同士の失われた関係です。
それを取り戻すために、イエスは来られました。イエスに聞いて行動するために、私たちは共に礼拝し、祈ります。
家庭でも一緒に礼拝したり、一人でいる時に祈ることを勧めてください。<子供たちのために>まず大人が始めなければなりませんね。