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主の変わることのない愛
詩編 90
永原アンディ
1. 歴史を超えた永遠の神様 (1,2)
私たちは、神様が自然現象や石や木、またそれらで作られたものではなく、人格的な存在であることを知っています。それは大切なことですが、それによって私たちは、神様にも私たちと同じように時間的、空間的限界があると思ってしまいがちです。言い換えれば、神様も、自分にとっていたりいなかったり、頼りになったりならなかったりする存在だと思ってしまうということです。
今日の詩は、そのような私たちに、神様がどのような存在なのか、最も基本的なことを忘れてはいけない、という励ましから始まっています。2節までを読みましょう。
1 【祈り。神の人モーセの詩。】わが主よ、あなたは代々に我らの住まい。2 山々がまだ生まれず あなたが地と世界を生み出される前から いにしえからとこしえまであなたは神。
神様は、私たちに語りかけてくださり、私たちに耳を傾けてくださる親しい方ですが、それ以前に私たちが存在する前からおられ、これからも変わることなく、私たちが身を寄せることのできる方であることがわかります。
私たち自身は、次の部分で詳しくお話ししますが、歴史の中に限定された存在です。時間と空間の中にといってもいいでしょう。しかし神様は、その限界に支配されない方です。時間も空間も神様の被造物だからです。前回もお話ししたのですが、その神様が、ご自身に似た者として私たちをお創りになったのは、私たちが歴史の中で神様のパートナーとして生きることを望まれたからです。
2. 歴史の中のごく一部に生きる私たち (3-6)
3「人の子らよ、帰れ」とあなたは言い 人を塵に返される
4 まことに、あなたの目には 千年といえど過ぎ去った一日のよう。 夜回りの一時にすぎない。
5 あなたは人を死の眠りに落とされる。人は朝に萌え出る草のよう。
6 朝には咲き誇り、なお萌え出るが 夕べにはしおれ、枯れ果てる。
永遠の神様から見れば、地上での歩みの長さは、120年生きるのも、子供の時に亡くなるのも、実は変わりありません。人にとってはそれが全てなので、命の長さを比べたがります。またこの時間の中で人は多くのことを経験するので、長く生きることに価値があると感じています。もっと多くを得るために長生きを願い、若くいられることを望みます。しかし、皆さんはそれが間違った考えであることをイエスに出会って分かったのではありませんか?イエスを通して神様につながることによって、皆さんの視野は「この世界」から「永遠」に広げられました。そのことに気づいていらっしゃるでしょうか?このことを理解しないと、神様のパートナーとして正しく歩むことはできません。弱い者、小さい者、老いた者、差別された者に、本当に共感することができないからです。そして結局、この世界で支配的な、強い事、賢い事、若い事、富む事、人気がある事が善だという価値観に支配され続けることになります。
神様は、皆さんがそのような価値観に縛られずに日々を生きることを望んでおられるのです。7−10節に目を移します。
3. 神様の怒りとは何か?(7-10)
7 あなたの怒りに私たちは消え入り あなたの憤りに恐れおののく。
8 あなたは私たちの過ちを御前に 隠れた行いを御顔の光にあらわにされる。
9 私たちの日々はあなたの激しい怒りに ことごとく過ぎ去り 私たちは吐息のように年月を終える。
10 私たちのはよわいは七十年 健やかであっても八十年。誇れるものは労苦と災い。 瞬く間に時は過ぎ去り、私たちは飛び去る。
「神様の怒り」ということも、私たちが誤解しやすい事柄です。私たちの「怒り」で類推して、神様の「怒り」を想像してしまうからです。 自然災害など、何か悪いことが起こると、神様が怒って罰を与えたのだと考えがちです。そのような神様の怒りを鎮めるために、動物どころか、人間までも犠牲にするような習慣が古い宗教にはありました。
しかし本当の神様は、その人の行いの一つ一つを監視して、ご褒美を与えたり、罰を与えたりする方ではありません。
神様が私たちに求めることはただ、「利己的に生きるのではなく、神様を愛し互いに愛し合い、人々を愛して生きなさい」ということなのです。このこともし完全に実現すれば、災いはなくなるでしょう。しかし、残念ながら、私たちはこの歴史の中でそれが実現することを見ることはできません。
私たちの生き方、社会のあり方が災いを招いているのですが、そのような状態に陥ると、神様のことを正しく知らない人は、神様による罰だ、神様は怒って恐ろしい目に合わせている、と思うしかありません。詩人はまだイエス・キリストの存在を知らない時代に生きていたのです。
確かに神様は不正義に対して、愛のない行い、言葉、思いに対して怒っておられます。しかしそれで、その国や人に火を送ったりはなさいません。しかし、その怒りに気付かず、あるいは気付いても無視する社会には、結果として災いが起こります。そのことを神様の怒りとして表現しても良いかもしれませんが、それは神様の感情剥き出しの報復のようなものではないのです。 神様はむしろ、そのような状態から抜け出せないでいる私たちを憐まれ、私たちを歴史の中の悲劇から解放するために、聖書の中心のメッセージである一つの行動をとられました。残りの部分を読みましょう。
4. 永遠の神様とともに生きる新しい朝は来ている (11-17)
11 あなたの怒りの力を誰が知りえよう。あなたを畏れるほどに その激しい怒りを知っていようか。
12 残りの日々を数える術を教え 知恵ある心を私たちに与えてください。
13 主よ、帰って来てください。いつまでなのですか。あなたの僕らを憐んでください。
14 朝には、あなたの慈しみに満たされ すべての日々を楽しみ、喜ぶことができますように。
15 あなたが私たちを苦しめた日々と 私たちが災いを見た歳月に応じて私たちに喜ばせてください。
16 あなたの業があなたの僕らに 輝きがその子らに現れますように。17 我らの神、わが主の麗しさが 私たちの上にありますように。私たちの手の働きを 私たちの上に確かなものにしてください。私たちの手の働きを力あるものにしてください。
人生は虚しい、どんなに楽観的な人でもそう思ったことが何度かはあったでしょう。 誰でも、与えられた日々を平和に喜んで生きる知恵を切実に望んでいることでしょう。
「ああ、神様がすぐ近くにいてくれたら、もっと幸せで充実した日々を送ることができるのに。目覚めたらそのような日となっていたらなあ」と詩人は嘆きますが、その朝は、今からおよそ2000年前に来たのです。
それこそが聖書の中心のメッセージ、神様がイエスキリストとしてこの歴史の中に来られたことです。そのことを記念するクリスマスがあと二ヶ月でやってきます。イエス・キリストは、神様の私たちに対する、何があっても決して変わることのない愛の現れです。私たちはイエスと結ばれることによって、あらゆる拘束や限界から開放されて永遠を生きる者とされるのです。
(祈り) 神様、あなたの変わることのない愛で、私たちを愛していてくださることをありがとうございます。私たちは、様々な苦痛、心配事にとらわれて、心の平和を失いやすい者です。どうか今、あなたがここのおられることをはっきりと一人一人の心に表してください。あなたの聖霊で私たちを満たし、喜びと平安のうちになすべき働きをさせて下さい。感謝して、期待して、主イエス・キリストの名前によって祈ります。
メッセージのポイント
私たちは歴史(世界、時間)の中に生きています。私たちを作られた神様は歴史を超えた存在ですが、イエスという一人の人として、あえて歴史の中に存在されました。イエスに結ばれた人は、イエスの変わることのない愛によって励まされ、神様の働きを担い、永遠にイエスとともに存在します。
話し合いのために
- 神様の怒りとは何でしょう?
- あなたに与えられている永遠の命とはどのようなものですか?
子供たちのために(保護者のために)
子育ての中で、神様を引き合いにして子供を叱ってしまったことはありませんか?子供を言い聞かせるために、神様のご褒美や罰を引き合いに出したら、子供たちは神様を誤解してしまいます。私たちを忍耐強く見守っていてくださる神様が、クリスマスにイエスという一人の人としてこられ、言葉と行いで教えてくださったことは、イエスと共に歩みイエスのように愛することです。イエスに祈り、イエスに聞き、イエスと歩むことを、“背中”と口で教えてあげてください。