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現代の洗礼者ヨハネ
ルカによる福音書 1:67-80
永原アンディ
先週から始まった待降節、私たちはどのような思い出この時期を過ごすたら良いのでしょうか?イエスの誕生を喜ぶことは素晴らしいことですが、その前に、この待ち望む時期自体を意識することにも大きな意味があるのです。イエスの誕生に先立って生まれた洗礼者ヨハネは、イエスの活動に先立って、イエスを迎える活動を始めた人物です。今日はこの洗礼者ヨハネに焦点を当てて、神様が教えてくださることに耳を傾けましょう。
1. イエスに先立って遣わされた洗礼者ヨハネ (67-77)
洗礼者ヨハネについて、すべての福音書が触れていますが、それぞれに特徴があります。マルコはクリスマスの出来事には全く触れずに、洗礼者ヨハネの活動から彼の福音書を書き出しています。彼は<福音の初め>として、洗礼者ヨハネの登場を預言する預言者イザヤの言葉を記しています。
「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わす。彼はあなたの道を整える。荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を備えよ その道筋をまっすぐにせよ』」
マタイは、イエス誕生の記事に続けて3章でヨハネの働きについて述べています。ヨハネ福音書は、独特の表現でクリスマスの意味を語ることから始まっていますが、その中でヨハネの役割について触れています。
一人の人が現れた。神から遣わされた者で、名をヨハネと言った。この人は証しのために来た。光について証しするため、また、すべての人が彼によって信じる者となるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
今日取り上げるルカによる福音書は、他の福音書が書かなかった洗礼者ヨハネ誕生のエピソードを記録している点で貴重です。77節までを読みましょう
「67 父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。
68 「イスラエルの神である主はほめたたえられますように。主はその民を訪れて、これを贖い
69 我らのために救いの角を、僕ダビデの家に起こされた。
70 昔から聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。
71 それは、我らの敵 すべて我らを憎む者の手からの救い。
72 主は我らの先祖に慈しみを示し、その聖なる契約を覚えていてくださる。
73 これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは
74 敵の手から救われ 恐れなく主に仕える
75 生涯、主の御前に清く正しく。
76 幼子よ、あなたはいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を備え、
77 主の民に罪の赦しによる救いを 知らせるからである。
ヨハネの父、ザカリアは神殿の祭司として神様に仕える人でした。しかし天使ガブリエルがヨハネの誕生を告げても、高齢の夫婦に子供が与えられるわけはないと信じられませんでした。そのザカリアが、実際に子供ができて、その子が単に年老いた夫婦の慰めとなるだけではなく特別な働きをする人だと知らされたときには、それを信じて、このように預言したのです。「救い主の登場に先立って現れ、人々に心備えさせる役割を果たす人になる」と。
なぜ神様は、イエスとして現れる前に洗礼者ヨハネを遣わしたのでしょうか?特に彼が来なくてもイエスの宣教には何の支障もなかったのではないか?そんなふうに考えることもできそうです。
しかし、洗礼者ヨハネが後(3章)に人々に勧めた内容を見ると、イエスを受け入れるためには、人には心の準備が必要であること、それを最初にしたのが洗礼者ヨハネであったことがわかります。その準備とは「自分が神様に対しても、人に対しても正しい歩みをしていない」という自覚です。
すべてはこの自覚から始まるのです。このことを自覚し、変わることを望むと、それが自分の力では無理であることを知ります。私たちの持つ罪は自分で償うことができるほど軽くはないということです。そこから救われるためには、神様に赦していただくしかありません。その最初の自覚を促すのが洗礼者ヨハネに与えられた使命でした。
76、77 幼子よ、あなたはいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を備え、主の民に罪の赦しによる救いを 知らせるからである。
と書いてある通りです。
2. あなたは現代の洗礼者ヨハネ (78-80)
それでは78節以下を読みましょう。
78 これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって 高い所から曙の光が我らを訪れ
79 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし 我らの足を平和の道に導く。」
80 幼子は成長し、その霊は強くなり、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。
ザカリアの預言はこの最後の部分でイエスが何のためにこの世界に来てくださるのかを告げて終えています。神様がその憐みの心によって、私たちの罪を赦し、そこからくる苦しみから解放するために、イエスとして来てくださったのです。無自覚な罪によって、暗闇の中で身動きが取れなくなっているような私たちに力を与え、正しい道、平和の道を歩ませるためです。
なぜ私たちは自分が『罪人」であることを知ったのでしょうか?私とパウロのように神様が直接呼びかけてくださったのでしょうか?それは例外的なことです。そうではなく誰かが教えてくれたのです。ちょうど洗礼者ヨハネによって、自分の心の状態を知って救われたいと願った人たちのように。
イエスを実際に見ることも、彼から直接聞くこともできない今、どうしたら人々はイエスに出会うことができるでしょうか?人々は、イエスを信じイエスに従って歩んでいる皆さんの紹介によってイエスに出会うことができます。だから皆さんは現代の洗礼者ヨハネなのです。私たちの役割はキリスト教を信じなさいと宣伝することではありません。私たちに与えられた愛と恵みをシェアすることによって、私たちの罪の深刻さと神様の救いの偉大さを伝え、人々の心に備えをすることなのです。
(祈り) 神様、イエスとして世に現れる直前に、洗礼者ヨハネを世に送られたように、私たちをここに置いてくださっていることを知りました。一人でも多くの人があなたを知り、変わることのない愛、慰め、平和、喜びを受け取るために、私たちを、あなたの大きな愛を知った者として用いてください。そのため私たちを、あなたの霊で満たし、あなたの愛を伝えるのにふさわしい者と変えてください。
メッセージのポイント
洗礼者ヨハネは、イエスの少し前に活動を始めた、救い主の到来を預言する最後の預言者で、イエスから声を聞くことになる人々の心に備えをする役割を担っていました。この意味で私たちは現代の洗礼者ヨハネです。私たちの役割はキリスト教を信じなさいと宣伝することでなく、私たちに与えられた愛と恵みをシェアすることによって人々の心に備えをすることなのです。
話し合いのために
- 洗礼者ヨハネは人々がイエスに出会うためにどんな準備をしましたか?
- なぜ私たちは現代の洗礼者ヨハネと言えるのですか?
子供たちのために(保護者のために)
このイエスの直前に生まれた人について、1章と3章からダイジェストして子供たちに話してあげてください。(天使の予告、マリアの訪問、ヨハネの誕生、ザカリアの預言、ヨハネによる悔い改めの勧め、イエスへの洗礼)
そして私たち、イエスを信じ、彼に従って生きるものの役割は、イエス様の素晴らしさ(愛、力、恵み、正義)を表して生活することなのだと伝えてください。