最悪のフェイクニュース?それとも・・・

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最悪のフェイクニュース?それとも・・・

ヨハネによる福音書 1:1-5, 9-18

永原アンディ

 今日は待降節、イエスキリストの誕生を待ち望む最後の日曜日で、今週の金曜日がクリスマスです。例年のようにクリスマスイヴに集まることはできませんが。24日は、Facebook Liveで夜8時からイヴ礼拝を配信しますのでご参加ください。(ちなみに25日からPAWSはお休みで、1月15日から再開します。)
 今朝は、ヨハネの福音書の一章から、イエスの誕生が、私たち一人ひとりにとってどのような意味があるのか考えてみましょう。

1. すべてを創られた神としてのイエス (1-5) 

 初めに5節まで読みましょう。

1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
2 この言は、初めに神と共にあった。
3 万物は言によって成った。言によらずに成ったものは何一つなかった。
4 言の内になったものは、命であった。この命は人の光であった。
5 光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった。

 ヨハネは最初の2節を使って、イエス・キリストの誕生どころか、世界の誕生以前のことを書き記すことで、彼の福音書を始めました。

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。

なぜ「言」と書き、「言葉」ではないのでしょうか?少し漢字の勉強になってしまいますが、「言葉」は「言の葉」つまり、発せられた、記されたものです。それに対して「言」はその本質だ、という違いを表しているのだと思います。ですから「言」とは、日本語だとか英語だとかの言語(language)よりももっと本質的な「コミュニケート=働きかけをなさる神様」というように受け取って下さい。

 旧約の時代は預言者を通して、神様は私たちに語りかけてくださいましたが、神様ご自身を見ることも、言葉を聞くこともできませんでした。 しかし、あの最初のクリスマス、神様が目に見える形で、しかも語りかける人としてこられました。それがクリスマスの意味の核心なのです。

 世界を創られた神様が、作った世界の中に入ってきた?そんなバカな話があるでしょうか?もしこの時代にトランプ大統領がいたら「これは最悪のフェイクニュース」だとツイートしたに違いありません。事実、当時の人々はごく少数の人々を除いて、フェイクと断定してイエスを十字架につけてしまいました。そのことが次に取り上げる部分に記されています


2. イエスと共に生きる人の幸い (9–13)

 6−8節は先々週お話しした洗礼者ヨハネについての箇所なのできょうは読みません。9-13節です。

9 まことの光があった。その光は世に来て、すべての人を照らすのである。
10 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
11 言は、自分のところへ来たが、民は言を認めなかった。
12 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には、神の子となる権能を与えた。
13 この人々は、血によらず、肉の欲によらず、人の欲にもよらず、神によって生まれたのである。

 光も言もイエスを指しています。世の初めから、預言者を通して語りかけてくださっていた言である神・イエスは、世界に来られ、真の光として私たちの心の闇、社会の闇を照らして、私たちのすべきことを明らかにされました。それは神様との関係回復です。アダムとエヴァの背反にもかかわらず、神様はかれらの子孫を保護し、私たちが望みさえすれば、本来の健康な関係に立ち戻ることができるように、神様はご自身をイエスとして表されました。

 書かれていた通りに、大多数の人はそれを受け入れることを拒みましたが、12節に書かれているように、最初の弟子たちを中心とした、ごく少数の人々は、イエスを信じ、従いました。私たちはこの系譜に連なるものです。どのようなことであっても少数者は苦労します。時には迫害を受け、なかなか理解してもらえません。

 イエスを信じ、彼に従って歩み始めた人を、ヨハネは「神の子」と表現しています。イエスご自身も神の子と表現されますが、ここでは、皆さんを指して「神の子」と言われるのです。 それは13節で言われているように、ただあなたと神様との間の関係によって成り立つものです。そこには誰も介入することはできません。何の家柄も、宗教的背景も、民族も、性自認も、性指向性関係ありません。神様がイエスとして来てくださり、それぞれの心の扉をノックしてくださったのです。わたしたちは、イエスに心を開き、彼を迎え入れて、「彼と共にに生きることが何よりも幸せである」ということの証人となったのです。


3. 恵みと真理はイエスを通して現われている (14-18)

 それでは14節以降です。

14 言は肉となって、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
15 ヨハネは、この方について証しをし、大声で言った。「『私の後から来られる方は、私にまさっている。私よりも先におられたからである』と私が言ったのは、この方のことである。」
16 私たちは皆、この方の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを与えられた。
17 律法はモーセを通して与えられ、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。
18 いまだかつて、神を見た者はいない。父の懐にいる独り子である神、この方が神を示されたのである。

 私たちは今週、この「言が肉体となって生まれこと」をお祝いします。イエスの教えを(福音・Gospel)と表現しますが、それはもっと普通の言葉で言えば、良い知らせ(Good News)ということです。 ご自身を一人の人、イエスとして私たちが、聞いたり、ついて行ったりできるような姿で表された神様の人となられた記念日です。 

 今、読んだところに、二回「恵みと真理」という言葉がでてきました。イエスのうちに恵みと真理が満ちていて(14節)、イエス・キリストによってその恵みと真理が私たちに届いたというのです。「私たちは皆、この方の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを与えられた」というヨハネの信仰と、私たちの信仰は同じものです。皆さんはそのような実感をお持ちですか?豊かに恵みをいただいて安心していられる、正しい道はこの方とともにあるのだから、この方と共にいつまでも歩いてゆこう。もしそのような確信が持てないでいるとしたら、それは、イエスとの付き合いが足りないということです。 

もう一度最後の18節を読みます

いまだかつて、神を見た者はいない。父の懐にいる独り子である神、この方が神を示されたのである。

 

 私たち人間にとって、神様を知る方法は、イエスを知ることしかないということです。イエスを知ろうとすることより大切なことはありません。そして私たちの持っている時間はそれほど多くはありません。聖書には様々なことが書かれています。それらを材料に多くの書物もあります。しかし聖書の内容の学びだからといって、全てがイエスに従って歩む助けになるとは限りません。イエス自身から、私たちの目を逸らせてしまうような内容の“聖書についての” 本がいくらでもあります。皆さんには、礼拝を通して、聖書を通して、祈りを通して、人々とのつながりを通して、イエスともっと親しくなることを追求していただきたいと思います。どうかその思いを、今年のイエスへの誕生日のプレゼントとして下さい。

(祈り) 主よ、あなたが、あなたの創られたこの世界に、私たち一人一人に出会うために来てくださったことをありがとうございます。私たちが、あなたの思いになかなか心を向けられず、またそれを知っても行うことのできない者であることを、あなたはよく知っておられます。しかし、私たちはあなたに従って歩むことが、最善の道であることを知っています。命のある限り、この地上でもあなたに従って歩んでいきたいと思います。どうぞ、私たちの心に親しく語りかけてくださり、歩みを導いて下さい。感謝して、期待して、イエスキリストの名によって祈ります。


メッセージのポイント

人の目に見えない、直接語りかけない神様が、ご自身の被造物である人に現れ、語りかけるために、イエスという一人の人として世界に来られたと主張するこのテキストは、最悪のフェイクニュースなのか?それとも究極の平和をもたらす良い知らせなのか?それを人は、信じている私たちを見て判断します。

話し合いのために
  1. なぜ世は言を認めなかったのでしょうか?
  2. どのような意味で、イエスは『言」なのでしょうか?
子供たちのために(保護者のために)

 イエスが天地創造の神様であったとか、言・光・命といった抽象的なビッグワードで説明されているので、子供たちにはわかりにくいかもしれませんが、是非そのまま、語り聞かせてください。そして質問に答えてあげてください。短いテキストの中で、イエスが神であること、私たちがイエスとして神様を認識するしかないことが告げられています。そして自分たち(保護者)はこの事を「福音」として受け止めていることを話してあげてください。