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イエス – 関係づくりの達人
ルカ19:1-10, ヨハネ13:14-17,34,35, ヨハネ15:4,5, ロマ12:9-17, ヨハネ20:19-23
永原アンディ
2020年は誰にとっても衝撃的な年でした。コロナウイルスのパンデミックは、ほとんど全ての人の生活に大きな影響を与え、ユアチャーチも礼拝のあり方を中心に大きな変化を経験しました。それは大変な経験でしたが、同時に教会の本質がよりはっきりと見えるようになったという意味では、神様は私たちのこの経験をも良いものに変えてくださると思います。それは、この出来事が、教会は建物でもなければ、集会でもない、関係でありつながりであることをはっきりさせたということです。教会は「イエスを中心とした人間関係」です。福音書を読むと、イエスが神殿にいる祭司のようでもなければ、机の前で聖書を研究する学者のようでもなく、どちらかといえば活動家(activist)です。それも、何か事業を成し遂げるというよりも、関係を作ることに力を注がれました。前回、クリスマスの礼拝で「語りかける神」としてのイエスを紹介しましたが、イエスが私たちに語りかけられるのは、私たち一人一人と親しくなるためでした。イエスの関係づくりの達人としての地上での歩みから、その弟子である私たちの人生の歩み方を学ぶことから、2021年を歩み始めたいと思います。
1. イエス – 関係づくりの達人
a. 人とつながる神・イエス(ルカ19:1-10)
ルカによる福音書19:1-10を読みます。
イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
徴税人とは、当時イスラエルを支配していたローマ政府への税金を集め、そこからの手数料で収入を得ていた人々で、ユダヤ教の信仰者として正しい生き方をしていない罪深い者として軽蔑されていた人々です。その社会の中で常識的に生きようとすれば近づきたくない人物ですが、イエスは迷うことなくザアカイに声をかけ、あなたの家に泊まりたいと言いました。イエスはザアカイの本当の必要を知っていました。彼は徴税の仕事で裕福でしたが、人々に嫌われ、自分は神様に近づく資格のない者と思い込まされていたのです。そのザアカイにイエスは近づき、共に食事をし、泊まらせてもらえるような関係をあっという間に作ってしまいました。12人の弟子たち、サマリアの女性やカナン人。皆、教えを説いて信じなさいと言ったのではなく、一人の人として近づき、当時、軽蔑されていたような人々の友となりました。社会の中で最も神様に遠いと思われていたような人々につながった神様なのです。
b. 人と人をつなげる神・イエス(ヨハネ13:14-17,34,35)
イエスは、最初に弟子となる12人に近づき招いて、最初のコミュニティーを作り、およそ3年間、十字架の時まで彼らと共に過ごしました。その最初に12人の背景はバラバラでした。漁師、ザアカイと同じ徴税人、ローマの支配で利益を得る徴税人からすれば、正反対の反ローマ過激派。イエスがいなければ一生知り合うチャンスのなかった人々です。しょっちゅう喧嘩をしていたのも無理はありません。十字架にかけられる直前、そんな彼らにイエスは意外な方法で、彼らに新しい掟を与えました。ヨハネによる福音書13:14-17,34,35です。
ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。はっきり言っておく。僕は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。このことが分かり、そのとおりに実行するなら、幸いである。
あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。
人との関係を築くといっても、それがどのような関係であるかということが重要です。イエスは自身を、弟子たちの主、師であることを自覚していましたが、イエスが教えようとした関係は今までの主人と僕、師と弟子に関係とは全く異なるものでした。足を洗うのは僕の務めです。イエスが来られるまで、僕の足を洗う主人などいなかったのです。それは、人と人を幸せに結びつけるたった一つの方法「互いに愛し合うこと」を教えるために、弟子たちの足を洗いました。愛し合うということは、大切にし合う以上のことです。さらに時間や労力といった犠牲を払うこと以上のことです。人々を主として、自分を僕として仕え合うことです。こうしてイエスはこの2021年後まで続くイエスを中心とした共同体の基礎を作ったのです。
2. つながりの達人の弟子として
皆さんがイエスを主、神と信じているなら、皆さんはこの「つながりの達人」の弟子なのです。今読んだヨハネによる福音書をもう一度読みます。
互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。
この達人の弟子に相応しく歩むための三つのプロセスを確認したいと思います。それは、a. 達人につながる、b. 人とつながる、c. 人を達人につなげるで、この順番は変えられません。
a. 達人につながる(ヨハネ15:4,5)
わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
書いてある通りです。人とうまくつながれないとしたら、まず自分が神、イエスとしっかりとつながっているかどうか確かめてみる必要があります。心からの礼拝を欠かさずに日々を過ごしていらっしゃるでしょうか?誰よりもイエスと親しくしているでしょうか?イエスにつながっていること、それがあらゆる人間関係のベースなのです。
b. 人とつながる(ロマ12:9-17)
愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。。
なぜ a が先で b があとなのか?それは、私たちがここに書かれていることを自分の意志、力ではできないからです。イエスにつながっているということは、常に聖霊の働きを得て、ここに書かれていることを行うことができるということです。そして、イエスにつながっていることによって、人とつながることができてはじめて、次のことにつながります。それは、人にイエスを紹介するということです。自分に与えられた愛の源を人に紹介すること。つまり自分の師であるイエスをその人に紹介し、その人がイエスにつながることをイエスは私たちに期待しています。
C. 人を達人につなげる(ヨハネ20:19-23)
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」。
恐ろしいほどの責任だと思いませんか?人が神様につながることを、達人は弟子である私たちに委ねたのです。実際そのようにして2000年、私たちはイエスを紹介し続けてきました。それが教会の働きです。聖霊の助けなしにはできないことですが、私たちの先輩たち聖霊の助けを得て、人々をイエスにつなげてきました。そして今、それは皆さんに委ねられています。もう気付かれた方もいるとおもいますが、この a. 達人につながる、b. 人とつながる、c. 人を達人につなげる はユアチャーチのメンバーとして歩む誓い、神を愛する、互いに愛し合う、人々(世界)を愛する「ユアチャーチカヴェナント」に重なっています。どうぞ今年も、ユアチャーチカヴェナントを互いに誓い合い、聖霊に満たされて、イエスに仕え、互いに仕え合い人々に仕えてゆきましょう。
(祈り)
主よ、あなたの守りによって2021年を迎えることができました。2020年は私たちの生活に大きな影響を受けましたが、私たちがあなたの体につながっていることを妨げるものは何もないことを知ることもできました。あなたが私たち一人一人を呼んでつながってくださるだけではなく、私たち同士をあなたの愛でつないでくださいました。同じ時間、同じ場所に集まることができなくても、共に礼拝を捧げ続けることができました。この新しい年、あなたに連なり、互いにつながり合うことによって、あなたを必要としている人々に、あなたを指し示すことができるように、私たちを用いてください。主イエスキリストの名前によって祈ります。
メッセージのポイント
イエスに従って歩むことは、神様とつながって歩む事です。しかしそれは人を避ける事でも、同じ信仰を持つ人々と共に排外的なコミュニティーの中で生きることでもありません。イエスは誰とでも、特に他の人が顧みないような人々の中に飛び込んでゆき友となりました。
話し合いのために
- イエスの関係作りの秘訣はどこにあると思いますか?
- あなたが関係づくりで困難だと思うことは何ですか?
子供たちのために(保護者のために)
友達のことについて話してみましょう。イエスがどのように人々の中に入っていったかを示すエピソード(例えばザアカイとの出会いなど)を読み聞かせて、イエスが自分にとっても、子供たちにとっても1番の友であることを確認しましょう。