イエスを見つけた羊飼い

Cartoon by David Hayward https://nakedpastor.com/collections/licensing/products/lgbtq-christmas-cartoon-1

❖ 見る

礼拝・英語通訳付


❖ 聴く(礼拝・日本語/英語訳)


❖ 読む

イエスを見つけた羊飼い

クリスマス礼拝・待降節第四日曜日・ルカ 2:8-20

永原アンディ


私は55年前に11才の時に東京都中野区からこの町田に引っ越してきて11年間、この教会の近くに住んでいました。その後、あちこちで暮らしましたが40歳になってこの町に帰ってきて、しかもここで牧師をすることになるとは思ってもいませんでした。まさに教会の前の道が町田と自宅を結ぶ道だったのです。11才で引っ越してきた時の町田は全く都会ではありませんでした。若い人には想像がつかないと思いますが、駅のこちら側にはビルはひとつもなく、夜が暗くて星が多かった。あちこちに牧場があって田舎の香りがしていた。確か羊を飼ってるところもあったと記憶しています。今日のお話の舞台イエスの生まれたベツレヘムはエルサレムから10キロほどのところにあるので、町田は都心よりもっと遠いのですが、東京都心がエルサレムだとしたら町田はのどかな日本のベツレヘムのようなのどかなところでした。今日は皆さんも日本のベツレヘム“町田”の羊飼いになったつもりで聞いてください。

さて、その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が現れ、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。

天使は言った。「恐れるな。私は、すべての民に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、産着にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つける。これがあなたがたへのしるしである。」

すると、突然、天の大軍が現れ、この天使と共に神を賛美して言った。

「いと高き所には栄光、神にあれ 地には平和、御心に適う人にあれ。」

天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行って、主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝ている乳飲み子を探し当てた。

その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使から告げられたことを人々に知らせた。

聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。

しかし、マリアはこれらのことをすべて心に留めて、思い巡らしていた。

羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の告げたとおりだったので、神を崇め、賛美しながら帰って行った。

1. あなたの天使は誰だった?(8,9)

さて、その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。 すると、主の天使が現れ、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。(8,9)

 イエスの誕生を両親マリア、ヨセフ以外で最初に知らされたのが、政治家でも宗教家でもなく夜勤中の羊飼いたちであったのは象徴的です。というのは当時、羊飼いは「宗教的に清くない」とされる職業だったからです。時々私は心が清くないからとてもキリスト教徒にはなれませんという言葉を聞くことがあるのですが、そんなことはありません。今日の週報の絵にある通り、イエスが来られたのは、今生き辛さを感じている人、苦しむ人、迫害されている人、軽んじられている人、普通の人か、それ以下と見なされている人のために来てくださり、全ての人をありのままで受け入れてくださる神様です。

 ところで、皆さんにもイエスとの出会いのきっかけとなる、天使のような人がいたのではないでしょうか?もし、まだそのような天使に会ったことがなかったとしたら、私があなたの天使かもしれません! 私たちは皆、イエスを知らない暗闇の中で導きの星の光のような存在を求めていました。そしてある時、このテキストの主の天使のような役割を果たしてくれた人に出会い、救い主の印がどのようなものであるのか、イエスがどのような方なのかを聞いたのです。そして自分でも救い主を見出すために歩み出して、あの羊飼いたちのようにイエスを見出したのです。

2. イエスの印 (10-12)

 恐れおののいている羊飼いたちに天使はこう言いました。

「恐れるな。私は、すべての民に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、産着にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つける。これがあなたがたへのしるしである。」

救い主イエスが来られたという「全ての民に与えられる大きな喜び」こそが私たち自身の人生の土台です。全ての民とは例外なく全ての人ということです。ですから問題は私に資格があるのか、ないのかではありません。私は受け取りたいのか、受け取りたくないのかという自分の意志の問題なのです。

ベツレヘムは、イスラエル史で最も有名な王ダビデの出身地名ので「ダビデの町」です。前回、イザヤ書の預言を読み、ダビデの王エッサイを紹介しましたが、エッサイはクリスマスの出来事の約700年前、そこで羊飼いを職業として生きていたのです。救い主の生誕はダビデの家系、ベツレヘムという場所と預言されてはいました。しかしヨセフと身重のマリアはここの住民ではなくガリラヤ地方から約150キロの道のりを数日かけて旅してきていたのです。その経緯は今日のテキストの直前の2:1-7に書かれています。その印は王の末裔とは思えないものでした。救い主いは、お城の暖かい寝室のふかふかのベッドではなく、家畜の餌を入れる桶の中の赤ちゃんだというのです。それは生まれた赤ちゃんがどのような意味で「救い主」であるのかをよく象徴しています。そしてそれはイエスの地上での生涯に反映されていました。常に、小さいもの弱いものに目を向けられ、差別されるもの、苦しむものと共におられました。その結果が権力者、宗教家たちに忌み嫌われた結果の十字架だったのです。

 さて次の部分に、実は羊飼いたちに告げられたのは、救い主の誕生とその「しるし」だけではなかったことが記されています。あの言葉だけであったら羊飼いたちは職場を離れることを躊躇していたかもしれません。しかし天使の言葉が終わるや否やその場はさらに輝きを増して異様な状態になりました。読んでみましょう。

3. 神の国が来ている (13,14)

すると、突然、天の大軍が現れ、この天使と共に神を賛美して言った。
「いと高き所には栄光、神にあれ 地には平和、御心に適う人にあれ。」

 私には天の事、地の事をバラバラに言っているのではなく<神様の栄光と地の平和>一つのこととしてイエスの誕生で実現するという宣言に聞こえます。イエスによって神の国が現実となることの予告編のような光景だったのだと想像します。そしてそれは私たちがユアチャーチに、未完成ではありますが出現しているのです。つまり教会はやがてくる神の国のショールームです。私たちがここで毎週共に献げる礼拝は、このことの再現なのです。私たちがイエスのすべての人に対する愛を、少しでも示すことができるように、祈って、聞いて、考えて、やってみる、一週間の歩みの出発点が、このお話の後に共に歌うワーシップタイムです。

4. 私たちに仲間が必要な理由 (15,16)

  羊飼いたちは、天使たちが去り静寂がもどるとすぐに慌ててイエスを探しに行ったわけではないことが次の部分でわかります。

天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行って、主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝ている乳飲み子を探し当てた。

 羊飼いらは話し合いました。一人ではないので、夢や幻ではないことはわかっていました。それでも、自分たちがすべきことを共に確認してから、ベツレヘムの町に向かったのです。神様を信じることは個人的なことで、別に人々と共にいることや、何かをする必要なんてないのではないか?という質問をいただきます。しかし、私たちがとても道に迷いやすい者なのです。イエスの意思を聞いているつもりで、悪魔に耳を貸していたということさえ起こります。健全であった教会がカルト化してしまうことさえ起こります。私たちが霊的な健康を保つためには、この仲間が必要なのです。

5. イエスの紹介者として生きる (17-19)

その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使から告げられたことを人々に知らせた。
聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
しかし、マリアはこれらのことをすべて心に留めて、思い巡らしていた。

 わたしたちも、それぞれのあの夜“魂のクリスマスイヴ”にイエスのしるしについて、天使に告げ知らされ、天の軍勢に励まされ(聖霊の働きによって)救い主イエスを探し当てました。そして今を歩んでいます。告げる人がいなければ、誰もイエスを知ることができません。イエスを紹介することは教会の重要な働きの一つです。教会とは何でしょう?この建物でも、この礼拝でも、いろいろな集会でもありません。私たちが教会です。私たちはこの羊飼いのように、イエスを見つけて黙ってはいられなくなり、人々に知らせたように、イエスを紹介しています。それは牧師という職業の人がすることでもなく、皆さんに負わされた義務でもありません。イエスを紹介することは、私たちがイエスとの歩みを喜んで歩むときに自然に起こっています。それはあなたが誰かのために天使の役割を果たしている、ということです。

6. 私たちはイエスに派遣されてそこにいる (20)

羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の告げたとおりだったので、神を崇め、賛美しながら帰って行った。

 羊飼いたちは持ち場に戻っていきました。今日のたとえでカバーできないのは、私たちは羊飼いであると同時に、羊の一匹でもあるという点です。中には、呼び名通り牧師だけが牧者で、自分は羊だと思っている人もいるかもしれませんが、羊飼いでもあるのです。私たちには、イエスという大牧者と呼ばれる方がいて私たちを守ってくださるという意味でみな羊です。しかし同時に、互いにお世話しあう者でもあるのです。今日読んだ出来事は、私たちの礼拝の原型です。私たちは毎週ここにきて、天使と共にイエスを礼拝しそれぞれの持ち場に帰って行きます。そこは私たちの家庭であり、職場であり、学校です。そこには、あなたを必要としている人が待っています。

(祈り)神様、あなたがこの世界に来てくださった恵みが今私たち一人ひとりに届いていることをありがとうございます。十字架の死と復活によって、私たちがあなたと共に歩むことができるようにしてくださいました。まだあなたを知らず、重荷を負ったままで人生を歩んでいる人があなたに出会い、私たちがいただいた平和と喜びを得ることができますように。そのために私たちを用いてください。


メッセージのポイント

クリスマスイヴの夜に羊飼いたちに起こった出来事は、形を変えて私たち一人ひとりに起こる(起こった)ことです。イエスを知り、イエスに出会い、イエスと共に歩み始めた私たちの日常の営みは、イエスを知らなかった頃と比べて、表面的にはあまり変わったようには見えないかもしれませんが、実は私たちの生活の本質はすっかりと変わっています。それは神様という土台にしっかりと据えられたものとなったということです。


話し合いのために

1) あなたにイエスを知らせる天使の役割を果たしてくれたのは誰ですか?

2) イエスに出会ってあなたの人生はどう変わりましたか?


子供たちのために(保護者の皆さんのために)

今回はこのテキスト毎日一項目ずつ分けて、子供たちと共に読み、感想を聞いてみてください。今日から初めてクリスマスイヴに終わります。羊飼いになった気持ちで読むことを勧め、子供たちがワクワクしながらクリスマスを迎えることが目標です。