正義を求める者の幸い

By David Hayward https://nakedpastor.com/

❖ 見る

礼拝・英語通訳付


❖ 聴く(礼拝・日本語/英語訳)


❖ 読む

正義を求める者の幸い

詩編 112

永原アンディ


 今日の112編も前回と同じ、各行がヘブル語のアルファベットの順番に並べられている詩です。 神様の正義を賛美して歌い、最後に主を畏れることの大切さで閉じた111編に続き、主を畏れることから始まって、神様の正義を行う人の幸を歌っている112編は、同じ主題を、神様ではなく、神様に従う人間にスポットを当てて歌った続編であり、同じ詩人によるものと考えられています。初めに4節までを読みます。

A. 正しい者への祝福 (1-4)

1 ハレルヤ。
幸いな者、主を畏れ
その戒めを大いに喜ぶ人。
2 彼の子孫はこの地で勇士となり
正しい人々として祝福される。
3 その家には富と宝があり
彼の正義はいつまでも続く。
4 正しい人には闇の中にも光が昇る
恵みに満ち、憐れみ深く、正しい光が。

先週から「正義とは何か?」を考えずにはいられない事態が、私たちの住むこの世界に起こっています。突然、隣国に侵略する者でも、自分が正義だと主張します。このことは、家族の中での人間関係から、国と国の戦争まで当てはまることです。そしてそのような生き方が、いつも神様をほめたたえられずにはいられないような祝福を得るという結論でした。

それは物質的な財産を代々にわたって築くことができるというようなものではありません。しかし、正しいことのために必要なものは必ず与えられます。なぜなら、大切なことは正しい人と認められることではないからです。
前回お話ししたように、私たちはすでに正しくないままで正しいものと認められているのであり、問われているのはこれからの歩みだからです。つまり正しい者に与えられる恵みとは、正しい者としていきるためのリソースだからです。
正しい者と認めていただいた私たちは、その恵みを用いて正しい者として生きることができるということです。この後の部分には、その具体的な指針が示されていますので、少しづつ読んでゆきましょう。


B. 正しい者の生き方 (5-10)
1. 公正 (5,6)

一つ目の指針は公正です。5,6節を読みます。

5 恵みに富み、貸し与える人は良い人。その人は公正に事を行う。
6 決して揺るがされることなく正しき人としてとこしえに記憶される。

 生徒にとっては先生が、子供にとっては保護者がえこひいきをすることは大変辛いことです。
この辛さを職場で味わう人もいるのです。人々を公平に扱う。物事を公正に判断する。誰でもそう扱ってほしいと願いますが、現実はそれが行われずに、苦しむ人がいるというニュースが絶え間なく流れてきます。
 私たちに求められているのは、自分も公正な判断をし、人を公平に扱うこと。そして社会にも公平、公正を求めることです。「私のこの態度、判断は公正なものか」 時々、問い直してみる必要があります。

2. 信頼 (7,8)

二つ目は神様への信頼です。7,8節です。

7 悪評も恐れず
その心は主に固く信頼している。
8 その心は堅固で恐れず
ついに彼は敵を見下すに至る。

人の評判がとても気になってしまう私たちの性質は、時として神様に信頼を置くのではなく、人の評判を気にしてしまいます。
私たちに、権威ある者、力を持った者に対して不要な忖度をしてしまう傾向があることが2017年の当時の総理大臣をめぐる事件によく現れています。
主に固く信頼をしていれば、誰かを恐れず、正しいと思える行動をとることができます。
創世記に出てくるヤコブの12人の息子のひとり、ヨセフを知っていますか?
彼は、B-1の項のように、父ヤコブのえこひいきにによって他の兄弟から嫌われエジプトに売られてしまった人です。
しかし、彼自身は大変な経験をしながら、神様を信頼し続けて最終的には民族を大飢饉から救った人でした。

ヨセフの物語をまだ読んでいなければ是非、読んでみてください。創世記29章の彼の父ヤコブと母ラケルの出会いから読むと、なぜ彼がえこひいきされたのかがわかます。37章以降では、彼が人の評判を気にせず、ただ神に信頼を寄せ続けたので、イスラエルを大飢饉から救った人として尊敬されるようになったのかがわかります。

3. 憐れみ (9)

神様にあって正しいとされた者の生き方の指針、三つ目は「憐れみ」です。9節を読みます。

9 貧しい人々には惜しみなく分け与え
その正義はいつまでも続く。
彼の角は栄光の中、高く上げられる。

神様ご自身が憐れみ深い方であることも前回お話ししましたが、旧約聖書の中には、神様の憐れみが際立って表されている一人の女性の物語があります。ルツ記です。これも物語でしかも短いので読みやすいと思います。まだの方は読んでみてください。

人が神様の憐れみを見るといっても、実際には神様に正しいとされた者の行動としてそれを見るのです。
4月から再開する「エンドウマメ」の活動が、そのような場になることを期待しています。しかしそれは第一歩です。もっとさまざまな形で、イエスはわたしたちを通して、その憐れみを表そうとしておられると思います。

4. 希望 (10)

最後に希望を持ち続けるということをお話しして終わろうと思います。10節を読みます。

10 悪しき者はそれを見て怒り
歯ぎしりして消え去る。
悪しき者らの野望は滅びる。

実はこの詩人の置かれていた状況は、まだ危機が去り、敵が消え去ってはおらず、悪しき者らの野望が砕かれた状況ではありませんでした。私たちのうちの誰にとってもそうだと思いますが、目の前にある現実にはそのままであってほしくはない物事が多くあります。
それでも前を向き歩き続けられるのは、主がくださった信仰があるからです。
弟子たちの目の前からイエスが見えなくなくなった時から今に至るまで、目には見えない助け手、聖霊が私たちのうちに住み、私たちの歩みを支えています。
聖霊がもたらすものは、癒し、不思議、奇跡である場合もありますが、大抵の場合は、感情の高揚をもたらすこともなく、大げさにご自身を主張されることもなく、静かにしかし力強く働いてくださっています。

新約聖書はこう呼びかけています。

信仰とは、望んでいる事柄の実質であって、見えないものを確証するものです。 (ヘブル 11:1)

今、目に見えている問題が深刻でも、神の国の完成の約束を期待しながら、一日一日、一歩一歩、支え合いながら進んでゆきましょう

(お祈り)神様、あなたに“正しい者”とされて生きることのできる恵みとあなたの期待を、畏れつつ、責任を覚えつつ、しかし、子とされた喜びを持って受け取ります。日々の歩みの中で、あなたに聞きながら、“正しい者”にふさわしく歩むことができるように助けてください。どうか私たちの歩みを通して、あなたの憐れみがこの地域に現されますように。あなたに期待して、感謝して主イエス・キリストの名によって祈ります。


メッセージのポイント

主を畏れる者、すなわち神様の正義を求めて生きる”正しい者”を神様は祝福されます。その幸いが続くのは、正しい者がそれにふさわしい歩みを続けるからです。それは、公正、神様への信頼、人々への憐れみ、希望をもって生きるということです。

話し合いのために

1) あなたにとって幸いとは何ですか?
2) 公正とはどのような態度を指しますか?

子供たちのために(保護者の皆さんのために)

目に見えない神様に従うとはどのようなことなのかを考えさせてください。保護者に従うということと対比させて考えると良いかもしれません。

それは神様の思いを人に対して、社会に対して行おうとすることです。イエスは、いじめをどう思われるだろうか?戦争をどう思われるだろうか?子供は神様の意志をどのようなところで、どのような方法で表すことができるでしょうか?