ה (へー):神様に願い求めるべきこと


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ה (へー):神様に願い求めるべきこと

シリーズ “律法への賛歌<詩編119編>から福音を発見する” 5/22
詩編119:33-40

永原アンディ


 律法への賛歌と呼ばれる詩編119編のシリーズ5回目は、5つ目の段落、各行の初めにヘブライ語のアルファベット5番目の字、へーが置かれた33-40節です。この文字の起源は残念ながら明らかではありません。

 今日は、それぞれの節に記されている詩人の神様への願いに注目して読んでゆきましょう。それらは昔も今も変わらない、神様が喜んでくださる良い願いであるばかりか、私たちの魂にとって呼吸のように生きていくために不可欠なものなのです。 目覚めた時の祈りとして習慣にしても良いくらい私たちの日々の歩みにとって大切な願いです。

今日は一節ごとに取り上げてお話ししたいと思います。

1. 教えてください (33)

主よ、あなたの掟 の道を示してください 私が終わりまでそれに従うことができるように。

”あなたの掟”の道とあります。 前回お話しした時から少し間が空いたので確認しておきたいのですが、他の節のアンダーラインを引いた言葉と同様に「掟」は「律法」を言い換えた言葉です。旧約聖書の時代を生きたイスラエル人にとって律法は法律、道徳である以上に、神様からの語りかけであり、歩む道を照らす光でした。

 私たちは聖書を読み、道を確かめようとしますが、それが苦労せずできれば、今頃みんな余裕で歩いていることでしょう。しかし、わたしたちは聖書を読むだけで悟れる者ではありません。「あなたの掟の道を教えてください」は、わたしたちがこの地上での生活を終えるまで、日々求め続けなければ、魂の健康を保てない大切な願いです。

2. 悟らせてください (34)

私に悟らせてください
あなたの律法 に従い
心を尽くしてそれを守れるように。

日本語の「悟る」という言葉は、簡単に言えば”わかる”ことなのですが、それは自分の力で考えて到達することができる理解ではありません。神様が教えてくださる理解です。だから願わなければならないのです。 それは、神様に従うことをもっと容易にしてくれるような、心から喜んで従っていけるような理解です。

しかし、この部分には「何を」に当たる目的語が省かれています。どうやらそれは「律法」より広い言葉だと思います。「神様ご自身」ということでしょうか?残念ながら被造物である私たちは神様の全てを「悟る」ことはできません。それどころか、そのように「神様がわかる」という誤解は、人を傲慢にさせてしまうでしょう。神様がわかったと思ったとたんに、神様をその人の考えの中に閉じ込めてしまうことになるからです。

 そうではなく、わたしたちが願って悟ることができるのは「神様と私」の、誰も立ち入ることのできない関係です。私たちは、何か困ったことが起こり動揺すると、確かであったはずの神様と自分の関係でさえ、簡単に錯覚であったかのような気持ちになってしまいます。ですからここもぜひ繰り返していただきたい祈り・願いなのです。

3. 導いてください (35)

あなたの戒め の道に導いてください。
私はそれを喜びとします。

皆さんには、神様の戒めに導かれて人生を歩んでいるという実感があるでしょうか?この詩が書かれたのはイエスが一人の人としてこの世界に来てくださる前でした。この時代を生きていた人々は、どのように神様に導かれていたのでしょうか?

彼らは律法の諸書に書かれていることを暗記し、心において人生の道標としていました。しかし、それはなかなか困難なことであったと思います。 彼らに比べれば、私たちにはもっと分かりやすい、そして決定的な導きがあります。イエスです。私たちは、「主イエスよ、私をあなたの道に導いてください。私はそれを喜びとします」と祈ることができます。

4. 心を傾けさせてください (36)

不当な利益にではなく
あなたの定め に私の心を傾けさせてください

この日本語訳では「不当な利益」と訳されていますが、英語では「自己中心的な利益」です。人の心は自己中心的な利益を求めるものです。あなただけがそうなのではありません。それは、わたしたちの誰もが持っている罪の性質です。
しかし自分の利益に心が向けられれば、神様の思いは心に届かなくなってしまいます。神様の律法の本質は、この「不当な利益」を求めることの対極にあります。
それは神様の利益を求めることです。神様の利益は、私たちの利益と相反するものではありません。むしろ私たちが利己的に求めるよりもはるかに大きな益を、わたしたちにもたらします。それは物質的な益ではありません。物質的な益はどれだけ手に入れても、満足できることはなく、かえって争いや不和をもたらします。ですから心の向きを傾ける方向を間違えないように「あなたの定めに私の心を傾けさせてください」と祈り続けましょう。

5. 空しいものから私の目をそらせてください (37)

空しいものを見ないよう、私の目をそらせ
あなたの道 で私を生かしてください。

今、お話しした「不当な利益」は、この節でお話しする「空しいもの」の一つです。それは神様の利益と相反するとお話ししました。すると真面目すぎる人は、神様ではなく、自分を喜ばせることはみんな空しいことなのではないかと思い、あらゆることで「〇〇から私の目をそらされください」と願わなければいけないと勘違いするかもしれません。

 ここで、詩人が願っていることは、自分が神様以外のことを注視してしまい、それから目が離せなくなってしまうような状況から救い出してくださいということです。人生の歩みにおいて、イエスの背中を見て歩むということは、決して彼の背中から目を離さず、周りの景色を楽しんではいけないということではありません。イエスと共に人生を楽しむべきなのです。しかし分かれ道に来たようなときにイエスの動向を見ていなければ、子供が何かに夢中になっているうちに親とはぐれてしまうように困ったことになってしまいます。

一つだけこのテキスト自体に関してお話ししておきます。日本語訳で「あなたの道」となっているところが英語訳では「あなたの言葉」となっています。どちらかが間違いというわけではありません。聖書は印刷技術が発明される前までは、人が写して伝えてきました。その過程で、どちらが正しいと判断できない複数のテキストが存在するようになりました。そして、それぞれの聖書を翻訳するチームの選択でこのような違いが生じます。

他にも古代語からの翻訳であり、どちらとも取れる箇所で相違が生まれるということもあります。そのようなわけで、聖書の一字一句が誤りのない神様の言葉なのではなく、全体として誤りなく私たちを導くという意味で、聖書は神様の言葉なのです。

6. あなたの仰せを実現させてください (38)

あなたの僕のために
あなたの仰せ を実現させてください。
それはあなたを畏れ敬うためです。

愛、正義、平和を追求しなさい。言い換えるなら、神の国を求めなさいと私たちは神様に励まされています。私たちの目から見ると、この世界はそこに全く近づいてはいないように思えるかもしれません。しかし、神の国は私たちのただなかに来ているのです。どこに?ここにです。この私たちのただなかに!私たちの力で世界は簡単には変わりません。責任を負わされてもいません。けれども、ここユアチャーチに神の国、つまり愛、正義、平和を表すことについて私たちは責任を負っています。私たちは神の国の「ショーケース」なのです。私たちのうちに、あなたの意思を実現してくださいと祈りましょう。

7. そしりを遠ざけてください (39)

私の恐れるそしりを遠ざけてください。
あなたの裁き はまことに優れています。

謗られることを恐れるのは私たちが持つ自然な感情です。しかし誰かに謗られることを恐れて、するべきことをしないなら、するべきでないことをするならそれは神様を悲しませることになるでしょう。どのようなことであっても、ある人はあなたがそれをすれば謗り、他の人はそれをしないことを謗るのです。誰かの顔色を気にするのではなく、神様の思いに耳を傾けましょう。
 しかし、それは誰の忠告にも耳を傾けず、好き勝手に生きようと勧めているのではありません。神様は誰かを通して教えてくださることもあります。もちろん、あまりにも理不尽な謗りを私に近づけないでください、そのような声から私の心を守ってくださいと祈りましょう。

8. あなたの義によって生かしてください (40)

御覧ください。私はあなたの諭し を慕います。
あなたの義によって私を生かしてください。

この危険だらけで問題だらけの世界で生き抜いていくために、私たちは小さ過ぎ、弱すぎる存在です。神様の正義が現実でなければ、飲み込まれてしまいそうです。しかし、この世界を造られた神様を慕う者が、この世界を支配する力に倒されてしまって良いわけがありません。イエスは、一人一人は小さく弱くても、憐れみ、守り、導いてくださる方です。私たちの歩みは、神様の正義によって守られています。それと同時に、神様の正義は私たち・信じる者を通してこの世界に実現されるものでもあるのです。

(祈り)神様、あなたが私たちの願いに応えてくださる方であることをありがとうございます。どうぞわたしたちにあなたの掟の道を教えてください。心に悟りを与え導いてください。あなたに想いを寄せ、あなたを見失うことなく、あなたと共に歩み続けることができますように。私たちのうちにあなたの国が輝いて、人々の希望となれますように。感謝して、主イエスキリストの名によって祈ります。


メッセージのポイント

私たちは神様にどのようなことでも心の願いを申し上げることができます。知らず知らずのうちに相応しくないことを求めることもありますが、それを気にする必要はありません。しかし、ここには私たちが積極的に願うべきことが記されています。これらのことを大胆に願い求めてゆきましょう。

話し合いのために
  1. これらの願いの中で、自分にとって一番切実なのは?
  2. 神様の義によって生きるとは?
子供たちのために(保護者の皆さんのために)

祈ることについて考えさせてください。祈りには感謝、願い、告白といった内容が含まれますが、今日の箇所で注目したのは「願い」です。祈りの中でどんな願いをしたことがある聞いてみてください。それから、今日の八つの願いから、いくつかを取り上げ、願うことを勧めてください。