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世界を照らす喜びの光
2023年待降節第4日曜日
ルカによる福音書2:8-20
池田真理
今日はクリスマス礼拝です。また、この教会では同時に、来週が休みなので、今年最後の礼拝でもあります。皆さんの今年一年はどんな年だったでしょうか?
聖書にはこんな言葉があります。
(1テサロニケ5:16-18) 16 いつも喜んでいなさい。17 絶えず祈りなさい。18 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて/神があなたがたに望んでおられることです。
有名な聖書の言葉ですが、今年一年これを完璧に実践したと断言できる人はいないと思います。誰にでも試練の時があり、悩み苦しむ時がない人は誰もいません。そして、世界の状況に目を向ければ、戦争も災害も増えるばかりで、心が痛まないニュースを聞かない日はありません。この世界は人の苦しみがあふれていて、それぞれの人生にも苦しみがつきまとうのだというのが、私たちが直面しなければいけない現実だと思います。それでも、「いつも喜んでいなさい」とは、一体どういう教えなのでしょうか?
今日読んでいくクリスマスの聖書の箇所には、天使のこんな言葉があります。
「恐れるな。私は、すべての民に与えられる大きな喜びを告げる。」
クリスマスは、「全ての民に与えられる大きな喜びの知らせ」です。クリスマスが、私たちが苦しい時でも、いつも喜んでいられる理由なのです。クリスマスは、辛い日常を忘れるためのひとときの楽しい非日常ではありません。私たちがクリスマスを祝うのは、苦しみがつきまとう私たちの世界に喜びをもたらす方が確かにいるということを覚えるためです。
前置きが長くなりました。今日はルカによる福音書2:8-20を読んでいきます。まず8-14節を読んでいきましょう。
A. 大きな喜びの知らせ
8 さて、その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。9 すると、主の天使が現れ、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。10 天使は言った。「恐れるな。私は、すべての民に与えられる大きな喜びを告げる。11 今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。12 あなたがたは、産着にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つける。これがあなたがたへのしるしである。」13 すると、突然、天の大軍が現れ、この天使と共に神を賛美して言った。14 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
1. 誰のための知らせ?
聖書の中にはイエス様の誕生を伝えるエピソードがいくつかありますが、イエス様誕生の知らせがイエス様の親族以外に伝えられるのはこの箇所だけです。このことから、私たちはイエス様の誕生の知らせは誰のためのものなのかということを知ることができます。この場面から分かることを少し詳しく読んでいきましょう。
まず、この場面は夜であるというところに意味があると思います。「夜通し羊の群れの番をしていた」羊飼いたちのところに、天使は現れました。羊飼いたちは、真っ暗な草原で、松明や焚き火の光だけを頼りに、狼を恐れながら、交代で仮眠をとりながら、羊たちの世話していたと思います。彼らは、夜の闇の中で、寒さと疲れと不安の中にいたと思います。そんな彼らのところに、天使は遣わされました。昼間の町のにぎわいの中に天使が現れた方が人目を引けたはずなのに、神様はそうなさいませんでした。王宮や神殿などの方が権力者たちを驚かせられたのに、そうもなさいませんでした。神様がイエス様誕生の知らせを最初に知らせたかったのは、暗闇の中で、土と草の匂いの濃い場所で、心細い思いをしている人たちだったのです。それは今も変わりません。クリスマスは、華やかな生活とは程遠い、私たちの心の闇の中に光を与え、社会の中で忘れられている人たちに光を与えるものです。
ただ同時に、イエス様誕生の知らせは全ての人のためであるということも重要です。それは、天使が「私は、すべての民に与えられる大きな喜びを告げる」と言っている通りなのですが、それ以前に、天使が羊飼いたちのもとに遣わされたということ自体に特別な意味があると思います。先にも少し言いましたが、イエス様誕生に関わるエピソードの中で、天使が現れたのはマリアとヨセフ、エリサベトとザカリアの四人で、四人は全員イエス様の親族です。彼らには特別な役割があったので、天使が彼らに現れたのは必然とも言えますが、羊飼いたちは、はっきり言って、イエス様と何の関わりもない、特別な役割もない、ただの赤の他人です。それなのに、神様が彼らに天使を遣わしたのは、イエス様の誕生は、それまで赤の他人であった者を家族とするからです。神様は、それまで神様とは何の関わりもなく生きてきた人でも、本当はご自分の子供として愛しており、そのことを知ってほしいと願われました。だから、イエス様としてこの世界に来られました。羊飼いたちにイエス様の誕生が知らされたのは、神様が私たちにもご自分の家族になるように招いていることを、こうして時代を超えて全ての人に伝えるためなのです。
2. どんな知らせ?
それでは次に、その知らせはどんな知らせだったのかを、もう少し読んでいきましょう。
まず、11節にこうありました。「今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」「救い主」「主」「メシア」という呼び名が並んでいます。「救い主」は、日本語だと「救世主」の方がニュアンスが伝わるかもしれませんが、人間の優れた指導者などにも使われる言葉です。でも、「主」と「メシア」は、とても宗教的な意味合いの深い言葉です。詳しい説明は省きますが、「この方こそ主メシアである」という言葉は、「この方こそ、世界の創造主である神様であり、人間との約束を果たすためにこの世界に来られた方である」という意味です。つまり、神様は人となられてこの世界に来られたということです。
でも、次に天使が告げたのは驚くべき内容でした。12節「あなたがたは、産着にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つける。これがあなたがたへのしるしである。」神様が自ら人となってこの世界に生まれてこられたという前代未聞のことが起こったのに、神様は家畜小屋の家畜の餌箱の中に寝ているということです。そして、それが「あなた方へのしるしである」と言われています。神様は、王様が使うふかふかのベッドの中にいたのではなく、本来人間が寝る場所ではない、急ごしらえにベビーベッドに代用された家畜の餌箱の中にいたのです。このことは、イエス様がやがて十字架で殺されるために生まれてこられたことと深く関係しています。私たちを救う神様の力は、人間社会の中での権力や裕福さとは無関係で、人から見れば無力で貧しい弱い存在の中にあります。神様自らが弱い存在となり、人々に見捨てられた存在となることで、私たちのどんな弱さも間違いも、神様はご自分のものとして共に担ってくださるのです。
それでは、この喜びの知らせを受けた羊飼いたちはどうしたのでしょうか。後半の15-20節を読んでいきましょう。
B. 羊飼いたちの喜び
15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行って、主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝ている乳飲み子を探し当てた。17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使から告げられたことを人々に知らせた。18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。19 しかし、マリアはこれらのことをすべて心に留めて、思い巡らしていた。20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の告げたとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
1. なぜ彼らは喜べたのか?
この場面で喜んでいるのは羊飼いたちだけで、そこにいた人々は「皆、羊飼いたちの話を不思議に思った」だけで、マリアにもよく理解できませんでした。それは仕方ないことだと思います。赤ちゃんが生まれることは喜ばしいことだとしても、その赤ちゃんは見た目では他の赤ちゃんと何も違わず、むしろ若い貧しい夫婦の元に生まれ、家畜小屋に寝かされている状況は普通よりも貧相です。その赤ちゃんが救い主、主、メシアであると言われても、すぐに信じて大喜びできる人はそんなにいないと思います。それではなぜ、羊飼いたちは興奮して喜び、「神をあがめ、賛美」することができたのでしょうか?その理由は、大きく分けて3つあるのではないかと思います。
一つ目の理由は、羊飼いたちは天使に出会う前から救いを求めていたことです。私たちは、神様を信じていてもいなくても、自分の人生を正しく導く指針を求めますし、人には満たすことのできない心の深い部分を満たしてくれる存在を求めます。人間なら誰でもそのような漠然とした不安と、深い心の渇きを持っています。それに応えてくれる存在がいるのかも分からないまま、それでも求めずにいられません。羊飼いたちも同じだったのではないかと思います。彼らは聖書の神様を知っていましたが、その神様が自分たちが今抱えている孤独や不安や無力感にどう応えてくださるのか、確信を持てず、それでも助けを求めていました。だから、天使が現れた時に、神様が確かに自分たちの願いを知っておられることが分かって、喜ぶことができました。
それが、羊飼いたちが喜ぶことができた理由の二つ目につながると思います。彼らは、天使に直接話しかけられ、天の大軍の賛美を聞くという超自然的な体験をしたから、前代未聞の出来事を信じて喜ぶことができたと言えると思います。彼らは、文字通り、夜の闇を天の光に変えられる体験をしました。
三つ目の理由は、最も大きな理由だと思いますが、羊飼いたちが天使の話が本当かどうかを自分たち自身で確かめたことです。彼らは、天使の話を聞いただけで終わらせず、自分たちでベツレヘムに行くという行動を起こし、イエス様を探し当てるために努力しました。ただ、それは彼らの意志の強さと努力の成果ではなく、彼らの中にそうしないではいられない興奮と期待があったからだと思います。天使が自分たちに現れた事実と、天使に告げられた救い主誕生の知らせが、彼らにそれが本当かどうかを確かめずにはいられないように、行動せずにはいられないように動かしたということです。
2. どうしたら私たちもその喜びを共有できるか?
それでは今日は最後に、どうしたら私たちも羊飼いたちが持っていた喜びを同じように持つことができるのか、考えたいと思います。それは、羊飼いたちが喜べた三つの理由を私たちも体験すればいいのですが、それは具体的にどのような体験でしょうか?
まず一つ目は、私たちには誰でも、人や物では決して満たすことのできない、神様にしか満たせない心の渇きがあると認めることです。それは、人間関係の傷つきからの回復を望むことだけではありません。社会になぜ不正義があるのか、不公平な世界で何のために生きるのかという、根源的な問いに向き合うこととも言えます。そして、自分にはそれらに対する答えがないことを謙虚に認めることが必要です。
二つ目は天使に会うということなのですが、これは私たちに当てはめると、少し解釈が必要です。私たちのほとんどは本物の天使に会うことはありません。でも、重要なのは本物の天使に会うことよりも、羊飼いたちが体験したように、神様は私たちのことを忘れておられず、覚えておられたということを知る不思議な体験をすることです。それは多くの場合、天の大軍が現れるような派手な出来事ではなく、教会の礼拝や教会の人たちを通して体験する些細な出来事です。神様は私のことを知っておられるのだと確信でき、心の中に神様が入ってきてくださる体験です。それは、私たちの力で起こすことは不可能で、神様が起こしてくださる奇跡です。
三つ目は、自分でイエス様を探しに行くことです。イエス様がどこにいるかのヒントは、今日お話ししてきた通りです。イエス様は、暗闇の中で、貧しい人たちの間で、他人の助けを借りずには生きられない弱い存在の中におられます。それは、自分の心の闇の中でイエス様に出会うことかもしれませんし、他人の弱さの中にイエス様を発見するということかもしれません。自分の病気や大切な人の病気で、とても喜べない状況の中にいながら、神様を信頼して歩もうとしている方たちがいます。不安や恐れが繰り返しやってきても、神様を信じたいという願いを持ち続けている姿に、私はその人たちの中にイエス様を見ます。笑顔のなかった人に笑顔が戻る時、イエス様がそこで一緒に喜んでおられることを感じます。泣き言しか出てこない日に、それに付き合ってくれる友人に、イエス様を見ます。
イエス様は、今日も、私たちに探し出されることを待っておられるはずです。それは、私たちがこの世界でいつも喜びを失わずに生きることを願っておられるからです。
(お祈り)主イエス様、あなたがお生まれになったこと、この世界に来てくださったこと、ありがとうございます。どうか私たち一人ひとりの心に、そのことが事実であるということ、その事実の大きさを、教えてください。そして、私たちが不安や恐れの中で希望を失い、喜べなくなる時、どうかあなたの霊を注いで導いてください。あなたは確かに私たちを知っておられ、この世界を愛しておられることを、私たちに分かるように教えてください。そして、私たちがこの世界であなたの愛を伝えて、あなたが喜ばれる世界に少しでも近づくことができるように、私たちがまず身近な人たちと愛し合うことができるように助けてください。互いの苦しみの中で支え合うことができますように。主イエス様、あなたのお名前によってお祈りします。アーメン。
メッセージのポイント
この世界では戦争も災害も増えていて、喜びよりも悲しみの方が多いように思われます。一人ひとりの人生においても、喜びしかない人はおらず、誰もが苦しみを抱えています。それでも、二千年前のクリスマスに生まれたイエス・キリストは、どんな世界情勢においても、どんな人生の試練の中でも、私たちを喜びに導く光です。希望を失ってはいけない理由とも言えます。イエス様は、暗闇の中で、貧しい人たちの間で、他人の助けを借りずには生きられない弱い存在の中におられ、今も私たちに探し出されることを待っておられます。
話し合いのために
1. この1年を振り返って、あなたが喜んでいた時の理由、とても喜べなかった時の理由を思い返してみましょう。
2. なぜ私たちはどんな状況においても喜んでいられるのですか?
子どもたち(保護者)のために
この場面を絵本なども使って一緒に読んでみてください。羊飼いたちが天使に言われて見つけた赤ちゃんのイエス様は、本当は私たち全てを救う神様ご自身だったということを、改めて話してください。神様は人間になってこの世界に来られたこと、神様なのに何もできない弱い小さい赤ちゃんになったこと、それは全て神様が私たちが弱い時も悲しい時も一緒にいるよということを教えるためでした。子どもたちの周りには、このことを知らない友達が多いと思います。子どもたち自身も分からなかったり疑ったりするのは全然問題ありません。でも、保護者の皆さんが何を信じているのかをはっきり伝えて、信じるかどうかは子どもたちが決めていいのだと伝えてください。