賛美は麗しく、快い

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日曜礼拝・英語通訳付

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賛美は麗しく、快い

(詩編147)

永原アンディ

今日の詩は147編です。この詩は現代の私たちが歌う礼拝の歌の多くと同様に、一連の構成が数回繰り返す形となっています。今の言い方で言えば一節から3節まである歌です。今となっては、それがどのようなメロディーだったのか再現することはできませんし、当時のハープの音色がどのようであったかも想像するしかありませんが、礼拝で歌われた歌だということを意識しながら読んでゆきたいと思います。
 テキストを読む前に、曲の構成を確認しておきましょう。三つの部分は次のような四つの要素で構成されています。

a. 賛美の歌を共に歌おうという招き 青の部分
b. 神様の救いについて(2番にはない) 紫の部分
c. 神様の創造について 赤の部分
d. 神様の裁きについて 緑の部分

 それでは全体を読みましょう。

1 ハレルヤ。我らの神をほめ歌うのはなんとすばらしいことか。賛美は麗しく、快い。
2 主はエルサレムを築きイスラエルの散らされた人々を集める。
3 心の砕かれた人々を癒やしその傷を包む。
4 星には数を定めそれぞれに名を付ける。
5 我らの主は大いなる方。力に富み、その英知には限りがない。
6 主は苦しむ人々を支え悪しき者らを地に倒す。

7 主に感謝して歌え。琴に合わせて、我らの神をほめ歌え
8 主は天を雲で覆い地に雨を備え山々に草を芽生えさせる。
9 獣にも、叫び求める烏の雛にも食べ物を与える。
10 馬の勇ましさを喜ばず人の健脚も望まない。
11 主はご自分を畏れる人々をその慈しみを待つ人々を望む。

12 エルサレムよ、主をほめたたえよ。シオンよ、あなたの神を賛美せよ
13 主はあなたの城門のかんぬきを堅くしあなたの中に住む子らを祝福してくださった。
14 あなたの領土に平和をもたらし最上の小麦であなたを満たす
15 仰せを地に送ると御言葉は速やかに走る。
16 主は羊の毛のように雪を降らせ灰のように霜をまき散らす。
17 氷をパン屑のように投げる。その冷たさに誰が耐えられようか。
18 主が御言葉を送ると、それらは溶け息を吹きかけると、水が流れる。
19 主はヤコブに御言葉をイスラエルに掟と法を告げる。
20 どの国に対してもこうしたわけではなかった。彼らは裁きを知らなかった。ハレルヤ。

a. 賛美の歌を共に歌おうという招き

 各部分の最初に出てくるのは「賛美の歌の勧め」です。日本の教会では「賛美する」ということが、イコール(=)キリスト教的内容の歌を歌うこととして理解されています。私は、それは礼拝として神様に向かって歌う様々な歌の中の「神様をほめたたえる歌」だと考えます。ただ、賛美するつまりほめたたえることが礼拝の全てではないのです。

 「あなたを愛します」「あなたに従います」という意思の告白も、「どうぞ助けてください、癒してください」というように切に願うことも礼拝なのです。もちろん「賛美」することは、ここで取り上げられているように、礼拝の中でも重要な要素の一つです。
 ほめたたえることは、告白すること、願うことと同様に、私たちが神様に向かってすることです。私たちの歌う歌のほとんどが、神様に向かって二人称で書かれていることに気づいていらっしゃるでしょうか。
 私たちが一般に使われている讃美歌集の曲(特に日本語)をあまり歌わない理由の一つは、それが神様に向かって歌われているのではなく、神様がどのような方なのか説明するような歌が多いからです。神様に向かって神様がどのように素晴らしいか説明する必要があるでしょうか。 それより素直にストレートに、あなたは素晴らしい、あなたが必要です、あなたが大好きです、と歌う方が「賛美」に相応しいと思うのです。ですから、できるだけみんなが心を込めて、神様に向かって歌いかけられるように、率直で単純な歌を選んで歌っているのです。
 7節には、「琴に合わせてほめうたえ」とあるように、現代のハープの原型となるような楽器が人々の歌の伴奏に使われていたのでしょう。琴は伴奏するために用いられました。人々が神様に向かって歌うことが、賛美の、そして礼拝の本質だと私は思っています。このことをユアチャーチの礼拝では目に見える形で実践しています。

 私は「説教」が礼拝の頂点であると教えられてきました。たぶん卒業した神学校は今でもそういう考え方です。しかし私はある教会の礼拝に参加して考えが変わりました。神様に向かって歌うことこそが礼拝の中心だと考えるようになったのです。それでユアチャーチが始まりました。一人一人が心を込めて神様に向かって歌うことを頂点とした礼拝する教会を始めたかったのです。ワーシップリーダーが正面のステージで歌わないのは、神様と皆さんが主役だからです。
 皆さんは1節にあるようにワーシップするときが素晴らしいと感じているでしょうか?特別な時と感じられているでしょうか?麗しく、快い時でしょうか?

 今日も他のことを全部わきにおいて、全身全霊で主に向かって歌い礼拝してください。皆さんが心を込めて歌うときに、主は新しいことをしてくださるでしょう。今日も期待して礼拝しましょう

b. 神様の救いについて(2番にはない)

7節から11節の2番目の部分にはありませんが、1番目、3番目の第二の部分では、神様が自分たちにしてくださったことを歌っています。一言で言えば、「救ってくださること」についてです。それがどのような内容なのか見てゆきましょう。

 イスラエルの民にとって、エルサレムは単なる都ではなく神殿が置かれた精神的な拠り所でした。この都は、何度も侵略され、破壊され、人々は異国に散らされる経験をしていますが、他の多くの宗教都市のように忘れ去られることはありませんでした。  むしろ、散らされた人が集められ、心の砕かれた人々を癒しその傷を包むような拠り所だったのです。

 救いとは、本来あるべき神様との関係が回復されることです。実際の困難、痛み、悲しみは様々で、神様は私たちをそれらから救ってくださいますが、事の本質は神様との関係にかかっているのです。

 イスラエルの民ではない私たちにとってのエルサレムとは何でしょう。疎外された状態から帰って来られるところ、絶望を癒やされるところ、必要を満たされ心の平安のあるところ。つまりそれは救いはどこにあるのかという質問です。

 その答えは教会です。誤解しないでほしいのですが、教会とはこの建物のことではありません。イエスはこう言われました。

二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである。」(マタ 18:20)

そして 使徒パウロは、こう言っています。

「神は天地の主ですから、人の手で造った神殿などにはお住みになりません。」 (使 17:24) 「あなたがたは神の神殿であり、神の霊が自分の内に住んでいることを知らないのですか。」 (1コリ 3:16)

 パウロはよく教会をキリストの体であると表現していますが、それは、目に見える建物ではなく、イエスを中心としたコミュニティーだという事です。そして、パウロによれば、私たち一人一人が、それぞれその体を構成する欠かす事のできない一部です。つまり私たちは、「神様の救い」を協力して人々に届けるという役割を持ってこの世界に存在しているのです。

c. 神様の創造について

 これらの部分は私たちに、神様が人間とその社会の主であるばかりでなく、社会よりさらに広い自然界を作られた創造者であるということを思い起こさせてくれます。
 創世記1章の最後に神様が、作られたすべてのものを見て「それは極めて良かった」と思われたことが書かれています。人は神様の造られた世界を正しく管理する役割を与えられ、神様に似せて造られた存在です。けれども今、その人間の営みによって極めて良かったはずの世界の自然が狂い始めています。それは人間がより豊かな生活を求めるあまり、自然を守る事を怠ってきたからです。 
 その典型的な例が地球温暖化でしょう。18世紀の産業革命によって化石燃料の使用が激増することで大気中の二酸化炭素は約40%増えました。一方で二酸化炭素を吸収して炭素を蓄え酸素を放出してくれる森林は開発によって少なくなります。人間の暮らしは大変便利になりましたが、それと引き換えに神様が極めて良かったとおっしゃった絶妙な大気バランスを崩してしまったのです。
 科学者も、政治家も多くは危機感を持って取り組んでいますが、目先の利益を考えて温暖化自体を否定する者もいます。信仰者はこのことについて、科学者、政治家に任せていればいいのでしょうか。私にはそう思えません。創世記に書かれている、神様の創造された世界を正しく治めるという責任があると信じるからです。人には自身の幸せや豊かになることを追求する自由があります。でもそれを他の人の犠牲の上に手にいれる権利はありません。環境破壊は神様の創造に対する反逆です。人間には神様の創られた世界を破壊する権利はありません。二酸化炭素の排出に限らず、環境を癒すための働き、呼びかけも教会の使命の一つだと思います。世界を創られた神様を信じる者なら発言し、行動するべきだと思うのです。 


d. 神様の裁きについて

 各部分の最後に置かれているのは、神様が人間に対してどのような生き方を望まれるのかを対比的に表現しているところです。それは教会のあり方のガイドラインになるものであり、個人としての善悪の判断の基準ともなるものです。

 これらの節を読むと、神様が差別され苦しめられる側に立ち、差別し、抑圧する者を倒す事がわかります。また神様は国々が戦力を競うことや、人が強さを誇ることを望まず、神様の力を信じその慈しみが表されることを待つことを望まれます。

 前の部分で地球温暖化について触れましたが、それは正義の問題でもあるのです。地球温暖化の原因である二酸化炭素で言えば、先進国と言われる数ヶ国が排出量のほとんどを占めていて、それによって生じる富もそれらの国が享受しています。そして、それら以外の国々の人々は貧しいままで、温暖化による災害被害だけを被るのです。神様の正義を知らせるために教会は何をすべきでしょうか。

 b. で教会はキリストの体であるコミュニティーだとお話ししました。正義は虐げられている者への救いです。反対に差別する者を責めることも正義です。その両方が教会が神様の正義を表すためにできることです。それはイエスが実践したことです。宗教家たちから罪人と見下された人々を愛された一方で、神殿を金儲けの場にしている者の売り台をひっくり返された、リベラルどころかラディカルな方です。私たちのお手本はそういうイエスなのです。

(祈り)神様、私たちはあなたを心からほめたたえて礼拝します。
あなたが導いてくださることを喜びます。
あなたを知らず荒野の中でさまよっていたような私たちを、近くに引き寄せ、負った傷をいやし、ご自身の体の一部としてこの世界に生きる使命を与えてくださっている事を感謝します。
私たちがあなたの意志に従って、あなたの救いと正義を指し示し、この世界に実現することができるように教え、導いてください。私たちの主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

要約

神様は私たちを様々な困難や苦しみ、悲しみから救ってくださる方です。私たちを取り巻く問題の本質は神様から遠く引き離された状態であり、神様はそのような状態にある私たちを集め、癒し、強め、その働きのために用いてくださいます。また正義とは神様の意思を行うことです。教会は神様の救いと正義を世界にもたらすイエスを中心としたコミュニティーです。

話し合いのために
  1. なぜ神様をほめたたえることが大切なのですか?
  2. 「救い」とは何ですか?
子どもたち(保護者)のために

この詩を一緒に読んで、神様がどのようなことから救って下さるのか、神様の創られた自然がどれほど緻密で素晴らしいものか話してみましょう。そして神様を信じる者の役割について教えてください。