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日曜礼拝・英語通訳付
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知恵に耳を傾けるなら
(箴言 1:20-33)
永原アンディ
箴言のシリーズ、3回目の今日は一章の20節以下を読んでゆきます。この部分は、前回のような父が子を諭すという形ではなく、「知恵」が語りかけるという形で書かれています。
語りかけるという擬人化された「知恵」について日本語の聖書では明らかではないのですが、女性であることが英語の聖書NIVからわかります。 箴言を読み進めてゆくと、9章に擬人化されたもう一人の女性が登場します。そちらの女性も「知恵」と同様に人々に語りかけるのですが、彼女の言葉は、「知恵」とは正反対の方向に人を誘導する声です。
それでは「知恵」の言葉に私たちも耳を傾けてゆきましょう。初めに23節まで読みましょう。
1. 知恵の正体 (20-23)
20 知恵は巷で喜び歌い広場で声を上げる。
21 城壁の頂で呼びかけ城門の入り口で語りかけて言う。
22 「いつまで思慮なき者は思慮のないことに執着し嘲る者は嘲り続け愚かな者は知識を憎むのか。
23 私の懲らしめを受け入れるなら私の霊をあなたがたに注ぎ私の言葉を知らせる。
擬人化された知恵の正体は、この部分を読めば明らかです。それは、私たちの日常の中で、喜び歌われる声であると同時に、城壁の頂、城門の入り口で語りかける声です。つまりそれは神様ご自身の語りかけであるということなのです。そして、イスラエルの民はそれをいつも聞くことができました。
しかしそれをしっかりと受け取り、その声に従って人生を歩もうという人は多くはなかったのです。そしてイスラエルは荒廃してゆきました。それは知恵に聞かず、9節に出てくるとお話しした別の女性に聞き従ってしまったからです。
それは異教の神々の声、偶像の声でした。例えば、北イスラエル王国のアハブという王はバアル神を拝む国の女性を妃に迎え、偶像礼拝をイスラエルに持ち込ませました。アハブ王は預言者イザヤの時代の王です。イザヤなどの預言者を通して神様に聞き従おうとすればそれは可能でした。しかし、彼らはあえて聞こうとしなかったのです。
それが、「知恵」の言葉として語られた神様の無念な気落ちをよく言い表している22節の言葉です。
23節に希望の言葉が記されています。今からでも聞き従うことができ、聞き従うなら、「知恵」の霊、つまり神様の霊、すなわち聖霊が注がれるというのです。神様の言葉が私たちの内に注がれ、良い結果をもたらすと言っているのです。
預言者イザヤは自分への聖霊の注ぎを体験しましたが、それだけでなく繰り返し、主の霊が多くの人々に注がれることを預言しました。しかし結局イスラエルは、神様の言葉に従うことなく没落し、イエスの時代にはローマ帝国の支配のもとにありました。イエスは、その宣教活動の初期に、イザヤ書61章を人々に読み聞かせたことがルカによる福音書の4章に記録されています。
16 それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとしてお立ちになった。
17 預言者イザヤの巻物が手渡されたので、それを開いて、こう書いてある箇所を見つけられた。
18 「主の霊が私に臨んだ。貧しい人に福音を告げ知らせるために主が私に油を注がれたからである。主が私を遣わされたのは捕らわれている人に解放を目の見えない人に視力の回復を告げ打ちひしがれている人を自由にし
19 主の恵みの年を告げるためである。」
20 イエスは巻物を巻き、係の者に返して座られた。会堂にいる皆の目がイエスに注がれた。
21 そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。
イエスは、自分の宣教によってイザヤの預言は成就すると宣言したのです。それは当時の支配層とそれと結託していた宗教家たちに対する鋭い批判であり、彼らは、3年後にイエスを十字架に架けてしまいました。それで終われば、イエスはイスラエル史の中で数多く現れた反逆者の一人として記録された過去の人で終わっていたでしょう。なぜそうならずに、むしろ2000年以上にわたって聞き従う者が起こされ続けてきたのでしょうか?
イエスが復活され、弟子たちがそれに勇気付けられ、彼らに聖霊が注がれたからです。そしてそれがキリスト教会の出発点だったのです。
イエスを信じ、彼に従って歩んでいる皆さんは、神様の声に、ここで言う「知恵」の声に聞き従っている者なのです。豊かに神様の霊が注がれる資格を持った者であることに自信を持ってください。
2. 私たちの持つ罪の性質が知恵に聞くことを拒む (24-31)
それでは24-31節までを読みましょう。
24 だが呼びかけてもあなたがたは拒み手を伸べても意に介さず
25 私の忠告にすべて知らぬ振りをし私の懲らしめに応じなかった。
26 あなたがたが災いに遭うとき、私は笑い恐怖に襲われるとき、私は嘲る。
27 恐怖が嵐のように襲うとき災いがつむじ風のように起こり苦難と困難があなたがたを襲うとき
28 その時に、彼らは私に呼びかけるが、私は答えない。探し求めても、私を見いだすことはできない。
29 彼らが知識を憎み主を畏れることを選ばず
30 私の忠告に応じず懲らしめをすべて軽んじたからだ。
31 彼らは道端の果実を食べ自らの計画に満足している。
恐ろしい言葉が続きます。これは、他の宗教を信じる人々や無神論者に対する脅し文句ではありません。 しかし時々、このような脅し文句によって人々をキリスト教徒にさせようとする人々を今でも見かけます。
昔、伝道集会と呼ばれるイベントで「もし、ここで信仰を持つことを決心せずに会場を出て、帰りに事故に遭って命を落とせば、あなたは地獄に落ちるしかありません。」というセリフを聞いたことがありました。これは脅迫であって宣教、伝道ではありません。それは「私の親分は、従わなければ恐ろしい目に遭わす怖い人だから、あなたも従った方が身のためですよ」と言っているようなものです。
子供に向かって「そんなことをしていると、神様が酷い目に合わせますよ」と叱ったことはありませんか。それも、教育ではなく脅迫です。
私たちはイエスの手下ではなく弟子なのです。
それではこの部分を私たちはどう理解すれば良いのでしょうか。まず、これは神様に聞き従ってエジプトから導き出され長い時間をかけてカナン地方に定着し国を築き上げたイスラエルの民である若者に向かって語られている言葉であることを忘れてはいけません。
神様の恵みを知っているにもかかわらず、神様の道に背いたのは、その中の“ある”人々なのではなく社会全体が神様の意思に背を向けて歩み、国は滅亡への道を突き進んでいたのです。一見、敬虔な宗教的国家に見える社会の内実は、その装いに反して不信仰な状態でした。
神様が、擬人化された知恵に語らせた、ほとんど呪いのようなこれらの言葉は、すでに彼らの中で現実となっていたのです。
大谷翔平さんの通訳だった水原一平さんが大谷さんのお金で違法賭博をし、先日5年近くの禁固刑と26億円の大谷さんへの賠償を命じる判決が出たことをお聞きになったかと思います。彼は野球選手の通訳として大谷さんの通訳にあたる前から、誠意のある面倒見の良い優秀な通訳だったそうです。それでも、心に語りかけられた誘惑の声に負けてしまったのかもしれません。
私はこのニュースを聞いて、もし彼に神様からの知恵の言葉を聞くチャンスがあったなら、こんなことにはならなかったろうにと気の毒に思いました。
しかし、彼と同様に、神の知恵に触れることがなかったにもかかわらず、悪事を働いても発覚せずに人生を終える人も多くいるのです。不公平と言えば不公平です。
しかし、神様につながっていない悲惨は、犯罪者として服役していようと、社会の中で何不自由なく暮らしていようと、神様につながっていないと言う意味では同じなのです。彼らの人生はは高層ビルの間に渡された綱を命綱なしで渡るようなものなのです。幸運にも渡れる人もいるでしょう。しかし、足を滑らせればそれで終わりです。
それでは、知恵の言葉、神様の言葉に聞き従う人の人生はどのようなものなのでしょうか。それが残りの部分に書かれています。読んでみましょう。
3. 聞き従う人に備えられている人生 (32, 33)
32 思慮なき者の背きは自らを殺し愚かな者の安らぎは自らを滅ぼす。
33 私に聞き従う人は安らかに暮らし災いを恐れず、安心して過ごす。」
神様の知恵に聞きつつ歩む人の人生も綱渡りのようにスリリングかもしれません。しかし決定的な違いがあるのです。命綱に守られていると言う点です。
この命綱は目には見えないので、同じように危険な綱渡りをしているようにしか見えないかもしれません。躓き、足を踏み外すことはあっても奈落の底に突き落とされるようなことはありません。神様はこの命綱を握り離さない方です。私たちが聞くことをやめて背かない限り切り離されることがない、神様につながる命綱なのです。
神様の言葉は私たちの魂の命綱であることを覚え、感謝して、自分から解いてしまわないように歩み続けましょう。
(祈り) 神さま、あなたが私たち一人ひとりの人生を守り導いていてくださることをありがとうございます。
私たちはただあなたに聞き従って歩みますから、私たちの思いをあなたから来る知恵で満たしてください。
そして、起こってくる出来事に対して、正しい態度を取ることができるように助けてください。
主イエスキリストの名によって祈ります。
要約
擬人化された知恵の語りかけとは、私たちへの神様ご自身の語りかけです。私たちはそれを礼拝の中で、祈りの中で、日常生活の中でも、直接自分の心に、あるいは人の言葉を通して、聖書を通して、他の書物を通して聞くのです。 この語りかけを聞いて従うことによって、私たちは安らかに暮らし災いを恐れず、安心して過ごすことができるのです。
話し合いのために
1. 知恵とは何ですか?
2. 知恵に聞き従うことによって得られるものは何ですか?
子どもたち(保護者)のために
メッセージで三つに分けたテキストを順番に読み聞かせてください。語彙の理解度に合わせて言い換えて説明し、なぜこの戒めを守るべきなのかを話し合いましょう。
20-23, 32,33節を読んで、知恵が神様から来るものであること、聞き従うか、背くかは私たちの決心にかかっていること、聞き従う者は安心して生きることができることを伝えてください。