信条

ニカイア第一公会議(325年)
手にしているのは381年のニカイア・コンスタンティノポリス信条(325年)
コンスタンチヌス帝(中央)と司教たち
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日曜礼拝・英語通訳付

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信条

(ニケア信条・使徒信条)

永原アンディ

 今日は箴言のシリーズを離れて信条についてお話しします。日本人に聞けば、多くの人は日本ハムファイターズの新庄さんを思い浮かべると思いますが、礼拝では新庄さんの話はしません。

 「信条」は、一般的には自分の価値観に基づいて固く信じている事柄という意味で使われます。キリスト教会では、特に信仰の内容を告白の形式に要約した文章で、ほとんどの教派で用いられています。 

 今日お話しするのはこの「信条 」についてです。そして、その中でも「使徒信条」と「ニケア信条」と呼ばれる二つの信条についてお話しします。

1. 信条とは

 キリスト教の歴史の中で生まれた信条とは、私たちの信仰の内容をもれなく、しかも簡潔に言い表した文章のことです。

 聖書があればそれでいいのではないかと思う人がいるかもしれませんが、一人で聖書を読んで、そこから正確に信仰内容を理解できる人はいないでしょう。 聖書は信仰の内容を体系的に伝えるものではないからです。

 歴史的には、二つの理由から「信条」が必要となりました。一つは、ローマ帝国で、長く迫害されてきたキリスト教が公認宗教となって、信じてバプテスマを受ける人が格段に増えたことです。それで、洗礼を希望する人に信仰内容を正しく理解させ、彼らが簡潔に表現できるようにする必要があったのです。その要請に応えて2〜3世紀にできたと思われるのが古ローマ信条と呼ばれる信条です。それが現在の「使徒信条」の原型です。

 もう一つの必要は、信仰の核心的内容についての論争を決着させるためでした。 実際、聖書の表現をどう解釈するかの違いで、キリスト教会ではその初期の段階から、異端として排斥されるグループが出たり、大きな分裂が起こったりしてきました。信条はそのような中で私たちの信じる内容を整理して、その論争となっている信仰内容に決着をつけるために、当時の教父と呼ばれた指導者たちが集まって議論し、キリスト教会全体の考えとして信仰内容を言い表したのです。

2. 二つの代表的信条

 現在の教会で最も多く用いられているのは「使徒信条」です。礼拝の中で皆で声に出して告白する教会が多くあります。西方教会と呼ばれるプロテスタント教会、カトリック教会で用いられています。 ロシア正教会、ギリシャ正教会などの東方教会では用いられません。

 使徒信条は先にお話しした通り、その原型となった古ローマ信条が洗練されて4世紀頃には今の内容となり、「使徒信条」という名も知られるようになっていましたが、いつどこで定められたのかはわかっていません。

 ではこの使徒信条を読みましょう。

 

(使徒信条)
わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。
わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、おとめマリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、
十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、
三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。
そして、全能の父である神の右に座しておられます。
そこからこられて、生きている者と死んでいる者をさばかれます。
わたしは聖霊を信じます。
きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、
永遠のいのちを信じます。
アーメン (教会教育用口語訳、第14回日本基督教団総会承認)

 もう一つの代表的信条は381年にできた、ニケア信条です。正確にはニケア・コンスタンティノポリス信条といいます。なぜなら、それに先立つ325年に、ニケアで開かれた教会会議で元々の「ニケア信条」が定められたからです。

 ニケアはイスタンブールから南東に100キロほど離れた、現在はイズニック(Iznik)と呼ばれる場所です。ニケアで開かれたこの会議は、キリスト教会史上初めて、全教会の指導者が集まった重要な会議でした。キリスト教信仰に大きな危機が訪れたと判断されて開かれたのです。その危機とは、イエスが神ではなく、被造物・人間だとする考えが教会の中で広まり始めたことです。教会はこの会議で、イエスが父とが同一の神様であることを宣言する信条を発表したのです。

 しかし、イエスが神様とは異質だという勢力が衰えないだけでなく、他にも、完全に同質ではないが大体同質派とか、イエスは人だが誰よりも神様と似ている派とかが出現して、混乱は止まらず、半世紀が過ぎて再びコンスタンティノポリスで教会会議が召集されました。コンスタンティノポリスは今のイスタンブールです。しかし、決められた内容はニケア信条を再確認してさらに強化したものだったので、ニケア・コンスタンティノポリス信条とされたのです。これが、私たちの週報に毎週載っているニケア信条です。

 ニケア信条の最大の貢献は「イエスが父と同一」としただけでなく、聖霊を含め、父、子、聖霊の三位一体をはっきりとさせたことです。以降、東方教会でも西方教会でも主要な信条として用いられ続けてきました。 

 私たちが信じているキリスト教の普遍的で根本的な教義である三位一体(「神様は一人しかおらず、父・創造主として、子・救い主として、聖霊・助け主としてご自身を表される」)は、このニケア・コンスタンティノポリス信条として381年に確定したわけです。

 それではニケア信条を読みましょう。

(ニケア信条)
私は信じます。唯一の神、全能の父、天と地、見えるもの、見えないもの、すべてのものの造り主を。 私は信じます。唯一の主イエス・キリストを。主は神のひとり子、すべてに先立って父より生まれ、神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、 造られることなく生まれ、父と一体。すべては主によって造られました。主は、私たち人類のため、私たちの救いのために天からくだり、聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、人となられました。ポンティオ・ピラトのもとで、私たちのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書にあるとおり三日目に復活し、天に昇り、父の右の座に着いておられます。主は、生者(せいしゃ)と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。その国は終わることがありません。 私は信じます。主であり、いのちの与え主である聖霊を。 聖霊は、父と子から出て、父と子とともに礼拝され、栄光を受け、また預言者をとおして語られました。 私は、聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会を信じます。罪のゆるしをもたらす唯一の洗礼を認め、死者の復活と来世のいのちを待ち望みます。アーメン。(日本カトリック司教協議会訳)

3. なぜニケアなのか

 さてユアチャーチの週報の裏側に載っているのは使徒信条ではなくニケア信条です。プロテスタント教会では、圧倒的に使徒信条の方が多く使われています。私たちは、使徒信条を否定しているわけではありません。ニケア信条と使徒信条に優劣があるわけではありません。使徒信条を週報に載せていた時期もあります。

 簡潔さという観点で言えば使徒信条の方が優れています。一方、父、子、聖霊の関係性についての表現の厳密さはニケアの方が優れています。

 私が、ニケア信条を紹介したいと思ったのは、皆さんがイエスとの関係を深めるために有益だと思ったからです。イエスがどのような方であるかがより詳しく述べられているからです。多くのプロテスタント教会では、“イエスの名によって” 父に祈ることがほとんどですが、私たちはイエスにも、もちろん聖霊にも祈ることができるのです。私たちは礼拝の中で信条を告白することをしませんが、書かれていることは私たちの信仰の根幹です。

 どうぞ時々、ゆっくりと味わって、できれば声に出して読んでみてください。 自分の信仰が曖昧なものではなく、具体的な意味を持っていることを確認することができるでしょう。

(祈り)神様、私たちがあなたの思いを正しく理解して従っていくために、教会に信条を与えてくださったことを感謝します。

あなたが信条という形で与えてくださったガイドラインによって、教会があなたの教えからそれてしまわずに、今あなたと共に歩むことができます。

私たちがこれからも間違うことなく、あなたに従って歩むことができるように導いてください。

教えと導きを感謝して、私たちの主イエス・キリストの名前によって祈ります。


要約

使徒信条とニカイア信条は、キリスト教の歴史の最初の5世紀に制定され、今日でも私たちの信仰のガイドラインとしてキリスト教会で使用されています。信条は私たちの信仰内容をはっきりと示して、信ずべきことを教え、イエスに従って歩む道からそれてしまわないように教会を守ります。
これらの信条は、過去の貴重な信仰文書として保管しておくべきものではなく、今も重要なガイドブックとして私たちの信仰の歩みを導いてくれます。

話し合いのために

1. 信条はなぜ作られたのですか?

2. 使徒信条とニケア信条と読み比べて気付いたことをシェアしましょう。

子どもたち(保護者)のために

信条は聖書の一部ではなく、昔の教会の人々が、聖書に記されている、私たちの信じていることがらをわかりやすくまとめた文章であることを説明した上で、使徒信条を一緒に少しづつ読み、言葉(例えば「造り主」「全能」など)を説明したり、質問に答えたりしてみましょう。