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日曜礼拝・英語通訳付
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知恵を伝えることは信仰を伝えること
(箴言4)
永原アンディ
箴言のシリーズ、今日は4章です。1-9節、10-19節、20-27節と三つのまとまりからなっています。私たちはこのシリーズで今までに、箴言が伝える「知恵」が単に生活を快適にする優れた洞察力のようなものではないことを学びました。そして「知恵」は神様が時に適って教えてくださるものであることであり、頭の中に蓄積するものではないことも確認しました。そこで、箴言で勧められている知恵を得て、それを離さないということは、つまりイエスをよく知ること、イエスから離れず、彼と共に人生を歩むことなのだとみなさんはすでに知っています。聖書は多くの箇所で「主を畏れることは知恵の初め」と教えてくれています。今朝もこのことをしっかりと心に留めて“父”の言葉を聞いてゆきましょう。まず9節までです。
1. 信仰という知恵を次世代に伝える (1-9)
1 子らよ、父の諭しを聞け。分別をわきまえるために思いを向けよ。2 あなたがたに良い教訓を授ける。私の教えを捨ててはならない。3 私も父の子であり母にとっては、いとしい独り子であった。4 父は私に教えて言った。「私の言葉を心に留め私の戒めを守って、生きよ。5 知恵を得よ、分別を得よ。私の口が語ることを忘れることなくそこからそれるな。6 知恵を捨てるな、それはあなたを守る。分別を愛せ、それはあなたを見守る。7 知恵の初めとして知恵を得よ。あなたが得たすべてを尽くして分別を得よ。8 知恵を尊べ、それはあなたを高める。知恵を抱けば、それはあなたを重んじる。9 それはあなたの頭に麗しい花冠を与え誉れある冠を贈る。」
ここで“父”が強調しているのは、「知恵」が次世代に継承されてゆくものだということです。父自身が彼の父から今自分が息子にしているように知恵の大切さを伝えられたことを息子に言っているのは、やがて息子にも自分と同様に、知恵の大切さを自分の子に伝える義務を負っていることを知らせるためなのです。伝統を大切にするユダヤ人の感覚がよく現れている呼びかけです。少数民族の彼らが強力な周辺諸国の中で生き延びてゆくために知恵を頼りに、すなわち神様と共に神様に聞きつつ歩むことは何よりも重要なことでした。しかし旧約聖書の中で歴史書と呼ばれる諸書を読めばわかるように、彼らのは何度も道を外れて国家的なピンチを招いてしまいました。
またこの神様の知恵に従おうとする態度が、気を付けていなければ変質してしまうことも起こりました。イエスがきびしく批判した「律法主義」がその変質の結果です。それは、神様の意思を大切にするのではなく、そこから派生的に生み出された形式的な決まりを大切にしてしまうという誤りです。それは、神様の意思を大切にしているつもりで、実は神様の意思に反することになってしまっていました。
残念なことに、この誤りは現代のキリスト教会にも引き継がれてしまっています。ある指導者たちは、信仰が「するべきことをし、してはならないことをしないこと」のように教えてきました。しかしそれは神様の意思なのではなく、自分たちの価値観に沿った要求でしかありません。それらを、それらしく聞こえる聖書の言葉で正当化して人々に要求し、それを守ることが信仰だと教えてきました。
例えば酒やタバコなどの嗜好品の禁止とか、男性優位の正当化とか、性的少数者差別の正当化とか、献金や礼拝出席を強く求めるといったことです。そして、そのような価値観を次世代に継承することも求められてきました。しかし、年長者の権威を用いて、子供達に目に見える行為をさせても何の意味もありません。信仰は行いではなく、神様への信頼という一人一人の内面的な事柄だからです。
そこで私たちが伝えられることといえば、私たちのありのままの神様への信頼をそのまま見せること以外にはありません。そしてそれは、子供達のありのままを受け入れ愛することに他なりません。彼らが目に見える教会につながっているかどうかを気にする必要は全くありません。
以前からお話ししていますが、教会とは建物ではなく私たち一人一人の集合です。ですから、あなたにつながっている人は教会に、つまりイエスに繋がっているのです。男性中心主義を擁護するためにいつも利用されるパウロでさえこう言っています。
信者でない夫は、妻によって聖なる者とされ、また、信者でない妻は、夫によって聖なる者とされているからです。そうでなければ、あなたがたの子どもは汚れていることになりますが、実際には聖なる者です。(コリント人への第一の手紙7:14)
私たちができること、すべきことは自分の子に限らず次世代に対して、自分の神様に対する信頼、神様からの知恵によって歩んでいる姿を見せることだけです。 背伸びすることも、後ろめたく思うこともありません。
2. ゆくべき道か避けるべき道かを知る知恵 (10-19)
10 子よ、聞け、私の言葉を受け入れよ。それはあなたの命の歳月を増す。11 私はあなたに知恵の道を教えまっすぐな道のりを示した。12 進み行くとき、あなたの歩みを妨げるものはなく走っても、よろめくことはない。13 諭しを捕らえて放さず、それに従え。それはあなたの命だ。14 悪しき者の道筋を進むな。邪悪な者の道を歩むな。15 それには目もくれず、そこを通るな。そこからそれて、通り過ぎよ。16 彼らは悪事を働かずには床に就かず誰かをよろめかさずには眠らない。17 悪しき者のパンを食べ暴虐の酒を飲む。18 正しき者の行く末は輝き出る光のようだ。進むほどに光を増し、真昼の輝きとなる。19 悪しき者の道は闇のようだ。何につまずくのか、知ることさえできない。
“父”は、神様に教えられながら人生の歩みを進めることがどれほど大きな恵みであるかを、自身が享受したものとして、息子にもそれを失わないように熱心に勧めています。そして反対に、神様を離れて生きる悪い者がどのような道を歩むのか、その悲惨さについて述べ、そんな道に向かわないようにほとんど懇願しているようです。
そして、17、18節では「光」と「闇」という最大級のコントラストを示す言葉で、知恵の道を進むことと、それを無視して進むこととが比較されています。この光は神様の光です。それは物事を正確に見えるように照らす光です。この光によって迷わずに歩めるのです。闇は光の不在です。それは神様の不在です。神様の光に照らされなければ、つまづきの石がどこにあるかもわかりません。聞こえてくる声が誰のものなのかもわからないので、悪意を隠した招きの声になびいて手ひどい目に遭うのです。
“父”が、これほどまでに言葉を尽くして伝えるのは、神様と共に歩む道を迷いでる危険は誰にでもあり、神様から引き離そうとする罠は多く、しかもそれは巧妙に仕掛けられているからです。そこで「父」は残る部分でどのように知恵をしっかりと抱きしめてはなさないために、さらに言葉を尽くして語りかけます。読んでみましょう。
3. 全身で表される信仰 (20-27)
20 子よ、私の言葉に思いを向けよ。私の語りかけに耳を傾けよ。
21 目から離すことなく心の内に守れ。
22 探し出す者にとって、それは命。心身を健やかにする。
23 守るべきものすべてにも増してあなたの心を保て。命はそこから来る。
24 ねじ曲がった言葉をあなたの口から退けゆがんだ言葉を唇から遠ざけよ。
25 目は正面を見据えまなざしを前にまっすぐ向けよ。
26 あなたの道のりに気を配れあなたの歩みは確かなものとなる。
27 右にも左にも偏ることなく足を悪から遠ざけよ。
ここには、原語では私たちの体の部分がいくつも挙げられています。どの部分が記されていましたか?
現代語訳では意訳されていて、すべてが明らかではありませんが、耳(英語では意訳)、目、心(心臓)、全身、口、唇、まつげあるいはまぶた(日本語ではまなざし、英語では gazeと意訳されている)そして足が含まれています。NIVでは意訳されていて耳は出てきません。またまつ毛、あるいはまぶたは、日本では「まなざし」、英語では「gaze」と訳されています。
神様に聞き従って生きる、神様の知恵によって生きるということがそれほど気楽にできるわけではなく、少なくとも心の持ち方といった観念的なものではなく、あらゆる器官の機能、感覚をフル回転させて、全身全霊で受け取り、保ち、活用するものであることを、この表現から感じていただけるでしょうか?
私たちが実際に聞く人々の言葉を通して、神様は語りかけられます。この目で誰かによって実践されている神様の知恵を見ることができます。私たちの口から出る言葉を制することによって知恵は私たちのうちにとどまります。いただいた知恵を用いて人々の助けとなるように、わたしたちの足は必要な人のところに出向くのです。それは、まさに
心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くしてあなたの神、主を愛しなさい。(申命記6:5)
ということです。神様の与えてくださろうとしている恵みを受け取り損ねないように、今朝も心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして礼拝を捧げましょう。
(祈り)神様、私たちを日々導いていてくださることをありがとうございます。
私たちがあなたからよく聞くことができるように私たちの心を整えてください。
重要な判断をするときに、あなたからの知恵を働かせて正しい判断ができるように助けてください。
そして私たちが’いただいた知恵を用いて、人々に仕えることができるように用いてください。
イエスキリストの名前によってお祈りします。
要約
私たちが知り、保ち、用いるべき知恵は神様が日々の歩みの中で教えてくださるものです。それは神様が直接、心に語りかけて教えてくださることもありますが、人々の言葉や行動を通して教えられることもあります。
この知恵の原点は主を知ることです。そのために私たちは心を込め魂を尽くし力を尽くし主を礼拝することを何よりも大切にするのです。
話し合いのために
1. 神様からの知恵によって助けられたことをシェアしてください
2. あなたが次世代に伝えたいことはどのようなことですか?
子どもたち(保護者)のために
保護者は自分の持つ信仰について、大切にしていて子供たちに伝えたいことを平易な言葉で子供達に伝えてみてください。わからないことを質問させたり、なぜそれが大切なのかを伝えてください。