あなたはどちらの招待に応えますか?

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日曜礼拝・英語通訳付

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あなたはどちらの招待に応えますか?

(箴言 9)

永原アンディ

 シリーズで読んでいる箴言、今日は9章です。

箴言は全体で31章あり、大きく5つの部分に分けることができますが、今日のテキストは第一部の最後の章です。擬人化された知恵が私たちに語りかけるという書き方が第一部の特徴の一つでしたが、ここでは、知恵と共に、その正反対の概念である「愚かさ」も擬人化されて、しかも同じような語り口で人々に語りかけ誘っています。

 この9章は最初に「知恵の招き」が紹介され、最後に「愚かさの招き」が紹介されています。その間に、愚かさではなく知恵を求める事を、父あるいは知恵の教師が強く勧める部分が置かれている三層の構造で、第一部のまとめ、結論といえる内容を持っています。

 皆さんは、二つのパーティーに招かれてどちらかを選ばなければならなかったという経験があるでしょうか?私たちは「知恵」と「愚かさ」両方のパーティーに招かれています。しかし「知恵」と「愚かさ」は全く相容れないので両方に付き合うというわけにはいかないのです。

 パーティーの原語はラテン語で同じ思想を持つグループを意味する言葉です。  それは単に招いてくれた人と楽しい時を過ごすだけでなく、共に歩むことを意味しています。

 ですから、わたしたちは双方の招待状の内容をよく読んで、比較して正しい判断をしなければなりません。

1. 二つの招待状 (1-6, 13-18)

 比較を始める前に、以前にもお話ししてきた、擬人化された「知恵」、「愚かさ」の正体について確認しておきましょう。

 知恵は神様が与えてくださるものです。一方、愚かさを人にもたらすのは誰でしょう。聖書においてそれは伝統的にサタン・悪魔と呼ばれてきた人格的存在です。私たちがその実態を肉眼で見ることができない存在です。しかしその影響力は、私たちを残忍で利己的で自己中心的に振る舞わせて、その人自身を含め社会を破滅に至らせてしまいます。

 福音書記者のルカとヨハネは、あの最後の晩餐のときに、イエスを裏切ったイスカリオテのユダに「サタンが入った」と表現しています。人に愚かさをもたらすのはこのサタンです。

 しかし、この愚かさとは知識や常識や判断力に欠けていることを指しているのではありません。むしろサタンは蛇の姿でエヴァを唆したように非常に狡賢く、悪知恵にあふれた存在です。

 ですから、ここでいう「愚かさ」とは、神様に背を向けて歩もうとする態度自体を指しているのです。それではまず1-3節と13-15節を比較してみましょう。

1 知恵は自らの家を建て七本の柱を刻んだ。
2 いけにえを屠り、ぶどう酒を調合しさらに食卓を整え
3 若い娘たちを町の高き所に遣わして呼びかけさせた。

13 愚かな女は騒々しい。未熟で、何も知らない。
14 家の扉のところに座り町の高き所にも席を取り
15 道行く人に呼びかける自分の進路をまっすぐ進む人に。

 知恵は、神様から来るものにふさわしく、彼女に頼る者を守る堅固な家を持ち、食卓に招き、十分な霊的栄養と変わることのない確かで大きな喜びをあたえようと、その恵みを知った人々を通して、人々に呼びかけます。一方、愚かさは、人々を神様の恵みから迷い出させて、破滅の道に向かわせるために人々に声をかけるのです。
 呼びかけられている人々は、まだどちらのパーティーに参加するか決めてはいない人々です。それが二者択一の選択で、他には道のないことを知らない人々です。
 今でも多くの人は、神様にも関わらず、もちろん悪に意図的に関与することもなく歩むことのできる道があると思い込んでいます。しかし、選択肢は三つありません。問われているのは神様に従うか、背を向けるかの二者択一です。

 それではそれぞれの呼びかけの後半を比べてみましょう。

4 「思慮なき者は誰でもこちらに来なさい。」浅はかな者にはこう言った。
5 「来て私のパンを食べ私が調合したぶどう酒を飲むがよい。
6 思慮のない業を捨て、生きよ。分別の道を進み行け。」

16 「思慮なき者は誰でもこちらに来なさい。」浅はかな者にはこう言った
17 「盗んだ水は甘く隠れて食べるパンはうまい。」
18 そこに死者の霊がいることを彼女に誘われた者が陰府の深みにいることを知る者はない。

 4節と16節を見ると、神様とサタンが全く同じ言葉で私たちを招いていることが分かります。「思慮なき者」「浅はかな者」とは、先にお話しした二者択一の現実を知らない者です。それは悪い意味ではありません。すでに悪魔の虜となって神様に聞く耳を持たない者ではなく、選択することのできる者なのです。
 知恵は私たちに、はっきりとした意思を持って神様の知恵に耳を傾けながら生きることを勧めます。それによって、神様の知恵という霊的な糧を得て、満たされず、心休まらない人生ではなく、創ってくださった神様の祝福にあふれた人生を、そして永遠の命を得ることができるからです。
 イエスの地上での歩みを知っている私たちにとって5節は特別な意味を持っています。私たちにとっては知恵が与えるパンとぶどう酒は、聖餐式でいただく、イエスの体、イエスの血に他ならないからです。この恵みはあの十字架の出来事によって現実に私たちが与ることができるものとなったのです。

 それに引き換え、サタンの提供するするものの酷さが、17,18節でよく分かります。確かに 「盗んだ水は甘く隠れて食べるパンはうまい。」のです。だからある人々は捕まるかもしれないリスクを取っても盗みます。人の目からはうまく逃げおおせるかもしれません。しかし、神様の目を誤魔化すことはできません。
それが何であれ、人のものを盗み自分のものとすることを神様は許せません。 
 サタンは私たちをその共犯者としようとし、その誘いを受け入れれば、神様との関係は切れるのです。それがもたらすのは「陰府の深みにいる」状態、魂の死んだ状態です。

2. 知恵を得て、それを伝える (7-12)


それでは、知恵の誘いと愚かさの誘いの間に置かれた部分を読んでみましょう。

7 嘲る者を諭す者は屈辱を受け悪しき者を懲らしめる者は自ら傷を受ける。
8 嘲る者を懲らしめるな、彼に憎まれないために。知恵ある人を叱れ、彼はあなたを愛するであろう。
9 知恵ある人に与えよ、彼は知恵をさらに得る。正しき人に知らせよ、彼は判断力を加える。
10 主を畏れることは知恵の初め聖なる方を知ることが分別。
11 私によって、あなたの日は増しあなたの命の歳月は加わる。
12 知恵を得るなら、自分のために知恵を得よ。嘲るならばその責めを自分独りだけで負うことになる。

 ここには、知恵を得ることの勧めと、知恵を得ることを人に勧めることについて記されています。7-9節にどのような人に知恵を伝えるかについての教えが記されています。不思議なことに、知恵のない者ではなく知恵のある者に知恵を伝えなさいと言っています。

 サタンの処世訓を受け入れて歩んでいる者に、神の知恵を勧めても、聞く耳を持たないばかりか、却って彼らから侮辱されたり、憎まれたり、へたをすれば傷つけられることになるからというのです。そして、それよりも知恵を慕う者に向かって、もっと知恵を求めるように勧めなさいと言っています。それは、私たちが互いに成長できるように励まし合いなさいということでしょう。

 最後に、箴言第一部の核心として、10−12節に記されている真理をもう一度読んで、心に刻んでおきたいと思います。

10 主を畏れることは知恵の初め聖なる方を知ることが分別。
11 私によって、あなたの日は増しあなたの命の歳月は加わる。
12 知恵を得るなら、自分のために知恵を得よ。嘲るならばその責めを自分独りだけで負うことになる。

 皆さんが、神様との健康な関係を保ち、人々の中で神様の祝福を伝える者として生きるために最も大切なこと、それは主を畏れること、聖なる方を知ることです。主を畏れる人、聖なる方を知る人に神様の知恵は注がれます。神様の与えてくださる命は肉体の死を超えた永遠の命です。
 しかし神様と繋がっていることを軽んじ侮るならその命は取り去られることになるのです。
 皆さんは「知恵」「愚かさ」どちらの招待に応えますか?

(祈り) 神様、あなたが私たちの魂に住まいと豊かな食卓を備えて招いてくださったことをありがとうございます。
あなたの知恵、サタンの愚かさ、どちらに転んでもおかしくなかった私の魂に、語りかけてくださり、それに応える決心を与えてくださったことをありがとうございます。
私たちが与えられた知恵を、あなたによって整えられた人々の魂に伝え、あなたの知恵が、この世界の愚かさによって生み出された多くの悲惨を解消し、あなたによって創られた被造物の全てがあなたを讃えて喜ぶことができるように、私たちを用いてください。
それぞれが置かれている場で小さな光ととして、塩として用いてください。
そのためにまず私たちの心にあなたにある喜びを豊かに満たしてください。
イエス・キリストの名によって祈ります。


要約


知恵は神様の被造物であるわたしたちが創られた神様の意思にふさわしく歩むために欠かせないものです。この知恵の核心は神様としっかりと繋がっていることです。イエスは「私に従ってきなさい」と言われました。サタンはこの関係を破壊する目的で私たちの心に語りかけます。非常に狡猾で魅力的に感じさせる誘いですが、その内容は最初にエヴァに囁いたことから全く変わってはいません。「神様なしで、自分の欲望に従って生きるほうがいい」と。あなたはどちらの招待に応えますか。

話し合いのために

1. 「知恵」と「愚かさ」、両者の招きの共通点(相違点)は?

2. なぜ「主を畏れることは知恵の初め」なのでしょうか?

子どもたち(保護者)のために


神様が招いてくださっていること、同時に悪魔も私たちを神様から引き離そうと、私たちを誘いかけていることを知らせましょう。そしてなぜ自分(保護者)がイエスに従って歩んでいるのか伝えてください。
 また10節の「主を畏れることは知恵の初め 聖なる方を知ることが分別」を取り上げて、なぜイエス様の言葉をよく聞き、彼に従うことが大切なのかを伝えてください。