私たちを神様の愛に導く聖霊様

The Trinity (1510) Guillaume Le Rouge
Cleveland Museum of Art, CC0, via Wikimedia Commons
見る
日曜礼拝・英語通訳付

❖ 聞く (メッセージ)

❖ 読む

私たちを神様の愛に導く聖霊様

(ヨハネ16:5-15)

吉野真理

 今日もヨハネによる福音書の続きで、今日は16章4節後半から15節までを読んでいきます。日本語の聖書でも英語の聖書でも、この箇所には「聖霊の働き」というタイトルがつけられている通り、この箇所はイエス様が聖霊様の働きについて弟子たちに伝えている箇所です。今日のメッセージノートは、イエス様の説明に従って、ノートを読めば聖霊様の働きが分かるようにしました。「A.目に見えないイエス様に代わって」「B.十字架の意味を説き明かし」「C.神様の不変の愛に私たちを導く」、それが聖霊様です。早速読んでいきましょう。まず4節後半から7節です。

A. 目に見えないイエス様に代わって、(4b-7)

「初めからこれらのことを言わなかったのは、私があなたがたと一緒にいたからである。5 しかし今私は、私をお遣わしになった方のもとに行こうとしている。それなのに、あなたがたのうち誰も、『どこへ行くのか』と尋ねる者はいない。6 かえって、私がこれらのことを話したので、あなたがたの心は苦しみで満たされている。7 しかし、実を言うと、私が去って行くのは、あなたがたのためになる。私が去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。私が行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。

 「弁護者」と訳されている言葉は、以前も紹介しましたが、法廷で弁護してくれる友人を意味する言葉で、ここでは聖霊様のことを指しています。イエス様はここで、自分が逮捕され殺されることが近いことを弟子たちに予告し、自分が去った後に聖霊様を彼らに送ると約束されています。聖霊様の働きの第一はまさにここにあります。目に見えなくなってしまったイエス様に代わって、私たちを弁護し、導く働きです。

 その聖霊様の働きがどのような結果をもたらすか、弟子たちにどんな変化をもたらしたのか、少しずるい気もしますが、私たちは先に確かめておきましょう。まず、聖霊様が降る前、イエス様が逮捕された場面の弟子たちです。マルコによる福音書14:50にこうあります。

弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。(マルコ14:50)

次に、聖霊様が降った後の弟子たちです。使徒言行録5:41-42です。

それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えずメシア・イエスについて教え、福音を告げ知らせていた。(使徒5:41-42)

私たちは、弟子たちとは違い、最初からイエス様の姿を目で見たことはありません。それでも、私たちも弟子たちと同じで、聖霊様の助けがなければ簡単にイエス様を見失って、不安や悲しみに支配されてしまいます。反対に、目に見えないイエス様をリアルに感じて、イエス様のことを喜び、人に伝えたいと願えるのは、私たちに聖霊様が働いているからです。その変化は、弟子たちに起こった劇的な変化と同じで、私たちが自分の力では決して起こせない変化です。聖霊様は私たちにイエス様の愛を人に伝えずにはいられない思いを与え、私たちの心を恐れや悲しみから解放し、動かしていきます。

 もし、今、イエス様がそばにおられることが分からないし希望も見えないと感じられているとしたら、聖霊様の助けを求めてください。聖霊様は、たとえ私たちの置かれている状況が何も変わらなくても、その中でイエス様がそばにおられ、私たちのことを決して忘れておられないことを、それぞれに分かるように教えてくださるはずです。

 さて、イエス様はここで、少し不思議なことを言われています。7節後半「私が去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである」という言葉です。これは、聖霊様の働きというのは、イエス様の死と復活の出来事に基づいているという意味だと思います。これに関しては、続く8−11節で説明されているので、読んでいきましょう。

B. 十字架の意味を説き明かし、(8-11)

8 その方が来れば、罪について、義について、また裁きについて、世の誤りを明らかにする。9 罪についてとは、彼らが私を信じないこと、10 義についてとは、私が父のもとに行き、あなたがたがもはや私を見なくなること、11 また、裁きについてとは、この世の支配者が裁かれたことである。

 なんだか分かるような分からないような難しい言葉だと思います。なので、少し丁寧に考えてみたいと思います。まず8節について。聖霊様は世の誤りを明らかにする、と言われています。世が何を間違えているのかというと、罪と義と裁きについて間違えていると言われています。つまり、私たちの罪や義のとらえ方が間違っていて、それを聖霊様が明らかにするということです。では、それぞれどう間違っているのでしょうか。

 まず9節「罪についてとは、彼らが私を信じないこと」とは、人々がイエス様のことを神様ご自身だと信じないことと言い換えられると思います。神様を神様と認識しないこと、または神様以外のものを神様とすること、それが聖霊様が明らかにする私たちの罪です。イエス様の時代も現代も、社会的には罪とは人の命や財産や名誉に対して害を与えるものとされますが、聖霊様が教える罪はもっと人間の生き方の根本に関わるものなのです。

 次に10節「義についてとは、私が父のもとに行き、あなたがたがもはや私を見なくなること」とは、イエス様が十字架の死と復活の後に天に帰られることを指していると思います。それが「義」または正しいことであるというのは、イエス様の十字架だけが私たちの罪を赦す根拠であるという意味だと思います。私たちは誰も、神様以外のものを神様として自分中心に生きる生き方を自分の力で完璧に修正することはできません。それができると思うのは、私たちの自惚れであり傲慢です。聖霊様は、私たちがそのように自分で自分を救う力のないということを明らかにし、私たちにただイエス様の十字架の愛に信頼するよう教えてくださいます。私たちの「義」(正しさ)は私たちの中にはなく、イエス様の十字架によってのみ私たちは義とされるということです。

 詩編51編にこうあります。

神の求めるいけにえは砕かれた霊。
神よ、砕かれ悔いる心をあなたは侮りません。(詩編51:19)

 最後に11節「裁きについてとは、この世の支配者が裁かれたことである」とあります。「この世の支配者」とは、神様に敵対する者、悪魔のことを指します。悪魔が裁かれたというのは、イエス様の十字架において、悪魔は人間を通してイエス様を殺して神様に勝利したかに見えたけれども、実は裁かれたのは悪魔の方だったということを指しています。イエス様は、ご自身の命を献げることによって、全ての人の罪を赦し、すべての人を罪と悪魔の支配から解放されました。それは、私たちに罪の赦しと無条件の愛を与え、私たちが罪と悪魔の支配から解放されて、神様の愛の支配下に移れるように道を開いてくださったということです。このことも、聖霊様が私たちの心に働きかけて下さらなければ見えない、この世界の目に見えない現実です。

 このように、聖霊様の働きというのは、イエス様の十字架の出来事に基づいて、神様の思いを私たちに明らかにしてくださるものです。それは、父・子・聖霊の三位一体の神様が、すべての人にご自分の愛を明らかにしようとしておられる思いの現れとも言えます。最後の12-15節からもそれが分かります。読んでいきましょう。

C. 神様の不変の愛に私たちを導く。(12-15)

12 言っておきたいことはまだたくさんあるが、あなたがたには今はそれに堪えられない。13 しかし、その方、すなわち真理の霊が来ると、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれる。その方は、勝手に語るのではなく、聞いたことを語り、これから起こることをあなたがたに告げるからである。14 その方は私に栄光を与える。私のものを受けて、あなたがたに告げるからである。15 父が持っておられるものはすべて、私のものである。だから、私は、『その方が私のものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

 聖霊様はここで真理の霊とも呼ばれ、私たちをあらゆる真理に導いてくれると言われています。「あらゆる真理」と言われていますが、直訳だと「その真理に関する全て」という意味で、イエス様とイエス様のなさることに関する全てという意味だと思います。それはつまり、これまでもお話ししてきた通り、イエス様がこの世界を造られた神様ご自身であり、その方がご自分の命を十字架で献げられたということの意味についてです。

 13節に、「その方は、勝手に語るのではなく、聞いたことを語り、これから起こることをあなたがたに告げる」と言われています。これは、聖霊様は最初から神様とイエス様と一体であり、神様の救いの計画を私たちに明らかにしてくださるために来てくださるのだということです。世界の始まりの時から、神様は父と子と聖霊の三位一体の神様として存在しておられ、私たちを愛して共に生きていきたいと願っておられました。イエス様の十字架は、その神様の愛と願いに基づいた救いの計画でした。聖霊様はその計画の全てを私たちに明らかにしてくださいます。

 でも、この世界はあまりに神様の愛と願いからかけ離れていて、聖霊様の助けがなければ、私たちは何が神様の真理だったのかすぐに分からなくなってしまいます。どんな状況においても動かない真理はイエス様の十字架にしかないということを、私たちは聖霊様によって繰り返し確かめる必要があります。時代が移り変わっても、私たちの心が揺れ動いても、イエス様の十字架で証明された神様の愛という真理は決して変わりません。もし私たちがそれぞれが置かれた状況の中に神様の愛の証拠を探そうとしたら、それはとても不安定で頼りなく、実際すぐに消えてしまうでしょう。私たちが自分の立つべき真理はイエス様の十字架にしかないということを、もっと確信を持てるように、それによって弱くても強くなれるように、聖霊様の助けを求め続けましょう。

(祈り)主よ、どうぞあなたの霊を私たちに注いでください。聖霊様、どうぞ来てください。私たちの心はあなたを求めて渇いています。私たちの心を不安や恐れから解放して、あなたの愛という真理を目指して進み続けられるように、あなたの力を注いで助けてください。私たちの心があなたを見失わずに、行くべき方向を見続けられるように、強めてください。イエス様の十字架の愛の上に私たちは立たせていただいているのだということを、どうぞもう一度よく教えてください。それは、世界の状況がどうなろうと、私たちの心が揺れ動こうと、決して揺るぐことはないのだと私たちは知っています。主イエス様、あなたのお名前によってお祈りします。アーメン。


要約

聖霊様は、目に見えないイエス様に代わって、私たちにイエス様の死と復活の意味を説き明かし、私たちを神様の不変の愛に導いてくださいます。十字架で死なれたイエス様が実はこの世界を造られた神様ご自身であり、その神様が私たちのために自らの命を献げてくださったのだと理解できるのは、全て聖霊様の助けによります。私たちは、人の罪と悪魔が支配しているかのように見える世界の中で、この世界は神様の愛の支配下にあるということが真理であると、聖霊様の助けによって繰り返し確かめます。

話し合いのために

1) 聖霊様に関するあなたの経験を教えてください。?
2) 聖霊様はどのように私たちに神様の愛を教えてくださいますか??

子どもたち(保護者)のために

聖霊様の存在というのは大人にとっても説明が難しいものだと思います。でも、ここでイエス様が言われている通り、私たちは誰も聖霊様の助けなしにはイエス様のことを理解できません。反対に言えば、イエス様のことが好きで、一緒に生きていきたいという願いが心にあるとしたら、それはもう聖霊様が働いてくださっているということです。そして、聖霊様は私たちの考え方や思いにも働いて、私たちの心を神様の愛に向けて開かせてくださいます。読むとしたら13節だけピックアップしてみてください。「真理」というのは、神様は私たちのことを愛しておられて、そのことをちゃんと十字架を通して証明してくださっているということです。大人の皆さんの経験も語って子どもたちに聖霊様について伝えてみてください。