2016/11/27 イザヤインスティテュートインドネシアの過去, 現在、未来

カディール マーティン サヤカ
(マタイによる福音書19:13-15, 5:13-16)

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イザヤインスティテュートインドネシアの過去, 現在、未来

今日私たちが皆さんの前に立っている目的は、イザヤインスティテュートインドネシアのしてきたこと、またイザヤインスティテュートとは何なのか、また何をしようとしているのかを振り返り、皆さんにお伝えできればと思っています。

恐らくここにいらっしゃる半分の方はイザヤインスティテュートインドネシアの歴史をご存じないはずです。

それはこの教会にたくさん新しくいっらしゃった方がいるという証拠ですから、良いことです。

基盤

まず始めにイザヤインスティテュートの基盤である聖書の一部を開いていきましょう。

(マタイによる福音書19:13-15)

13 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。

14 しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」

15 そして子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。

この働きを始めた時に、この箇所のイメージが私の頭の中にわいてきました。私も自分の息子をイエス様の元へ同じように行かせた父親の一人だったかもしれません。

なぜ大人たちや両親たちではなくて子供たちを呼び、祝福したのでしょうか?この子供たちを想像してみてください。彼らはイエス様に何の疑いもありませんでした。  この子供たちはただイエス様の近くにいたかったのです。子供たちはイエス様がそこにいたのでただ駆け寄ったのでしょう。

私の今日のメッセージで最も大事なことで、伝えたいことです。 イエス様は子供たちを愛しています。イエス様は彼らの清さ、無知であることを愛しています。

子供たちがイエス様に駆けよっていったこの時に、弟子たちは子供たちを止めようとしました。しかしイエス様は子供たちに私のほうへ来るなとは言いませんでした。私は弟子たちのしたことは至って普通のことだと思います。 私たちが例えば先生という人に会うときに、先生に対して失礼のない態度を心がけます。この弟子たちはイエス様は人々と話をするのに忙しいと気を配ったつもりでした。弟子たちは子供たちがイエス様を困らせていると思ったのでしょう。 しかし実際はイエス様の方が、この子供たちを呼び寄せ祝福をしたかった者だったのです。

最後はイエス様がこの子供たちを呼び寄せ手をおいて祝福するという素晴らしいシーンで締めくくられています。イエス様にとって子供たちがどれだけ尊いか分かります。 これがイザヤインスティテュートインドネシアの基盤です。

イザヤインスティテュートインドネシアの現在についてですが、皆さんにとってイザヤインスティテュートインドネシアとインドネシアが一つの線上に結びつきやすくなると思うので、始めにもう少しインドネシアについてお話したいと思います。

インドネシアには5つの宗教が存在します。 (87.2%イスラム,0.7% 仏教, 1.7%ヒンデュー, 2.9%カトリック, 6.9%プロテスタント) ある一つの国の財団がこう言っています。真の一つの神、神様に関する物事を私たちインドネシア人は重要視しますと。

しかし一度国がこの神様という主義を抱いたことが、最も争いを起こす種になり、また違った宗教間で分けるための壁を造ってしまうことになりました。悲しいことです。 私はこの国が抱いた神という主義の被災者の例であると言えると思います。

私はインドネシアのBandung から来ました。Bandungはジャワ島西部、首都ジャカルタから南東180キロにある都市です。インドネシアで3番目大都市で240万人を超える人口です。私は多種文化のクリスチャンホームに生まれ、育てられました。中国系インドネシア人の父と日系と中国系インドネシア人の母です。 そういうわけで、私の肌の色は一般的なインドネシア人より明るい色をしています。

インドネシア人には2つのタイプがあります。元もとのインドネシア国民とその他の子孫である国民です。 誰と友達になるべきか、また私の宗教の方が優れている、あなたのは良くないといったような中で生まれ育ちました。このような事が私の心に植えつけられ、心をかたくされました。これは真実ではありません。成長するにつれて、他の宗教や人種の友達も出来ていく中で何かが間違っていると感じ始めました。彼らと過ごす中で何も誰ともひどいことは見つかりません。 ですが、実際はインドネシアでは宗教間、異なった人種間で争いが絶えません。私の家族もイスラムコミュニティで働くことを喜んではいません。

私たちがイザヤインスティテュートインドネシアのプロジェクトを始めたときに、多くの違う民族、人種、宗教そして社会的地位の違いという問題に直面するだろうと認めていました。 きっと私たちのこの社会福祉に関連した活動に対して、多くの人達が疑いの心をもっているだろうと思います。 多くのインドネシアのクリスチャンがするように、この働きは彼らを改宗させるための道具でしかないだろうと心配しているのだと思います。

そうではありません。イエス様は言いました。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。世界を愛する、それが私たちの働きです。

私たち、皆さんがこの7年を超えて続けてくださっている、全てのイベント、献金、祈り、全てはイエス様が彼らを愛しているように愛するという基盤から成り立っています。 イエス様は誰が優って誰が劣っていると人を選びません。イエス様にとっては私たちみんな同等です。

過去/現在/未来

ここでイザヤインスティテュートインドネシアの歴史と今までの活動を振り返ってみたいと思います。 

2004  インド洋沖地震発生、津波が襲いました。私たちのベストフレンドであるアレックス、ヴァレリー ガーザ夫妻はこの時にタイへ旅行に行って、この津波の被害に遭いました。この事が彼らの人生を大きく変えました。 この体験によってスリランカの津波の被災者を助けたいと願い働き始めました。

2005 ~2007 イザヤインスティテュートがスリランカで設立されました。イザヤインスティテュートは津波の被災者と特に子供たちのために働きを始めました。 教育支援と医療扶助という働きです。デンタル・メディカルキャンプ を開き、 スリランカで300人以上の子供たちの歯科検診、内科検診とスクリーニングを行いました。

2009~2010  イザヤインスティテュートインドネシア インドネシアのBandungでストリートチルドレンのための働きを始めました。いくつかのNPO団体を訪ねました。パウドヌルフダのための初めてのプロジェクト。学用品を贈りました。

2011イザヤインスティテュートスリランカ創立者ヴァレリーガーザが亡くなり、多くの課題が残されました。そしてこのことでイザヤインスティテュートスリランカは働きを続けることが出来なくなりました。またこのことで私たちはいっそうインドネシアのストリートチルドレンのために働きたいという思いが強くなりました。

2011~2016 パウドヌルフダプロジェクト 学用品、オフィス用品、を贈り、ケンタッキーフライドチキンへの遠足、プレイランド、ほかほか弁当日本レストラン、スイミングプール遠足を実現しました。

2014  パウドヌルフダの建物を買い取りインドネシアの人権を司る法務省に公的に登録することができました。

多くの方がもう私たちがインドネシアに帰るという計画をご存知だと思います。私たちがインドネシアに帰る理由の一つは、そこにいるということです。 そうすることによってイザヤインスティテュートインドネシアのスコープがもっと広がると私たちは信じています。イザヤインスティテュートインドネシアは主にBandungのスラムに住むストリートチルドレンへの働きを続けます。

2012年の調査によるとBandung のストリートチルドレンの数は4000人になりました。ヌルフダでは167人の子供たちをみています。Bandung のストリートチルドレンのうち70%が経済的な問題で学校に通うことができなくなり、辞めてしまいます。そして親は子供たちを物乞いをさせるために道に行かせます。物乞いというのは大人よりも子供のほうがお金をもらうことが出来るからです。 Bandung のストリートチルドレンの年齢層は5歳から17歳だそうです。

私たちの次のゴールは今よりも良い場所を見つけることです。今の厳しい状況に変わる新しい気持ちと、今と同じ状態でいるのではなく、良くしようという気持ちを持てるように支えたいと思っています。そして身体的、精神的な発達のために必要な安全で十分な支援を得られる場所を作ることが出来るように続けたいと思います。このコミュニティの人達やまたこの子供たちの代表者の人々もこのようなシェルターから支援を得られることを願っています。

最後であって最低限ではないことは、現地の行政がこういったコミュニティにもっと関わって支援していくように訴えていきたいと思っています。 

皆さんがこれまで積み上げてきてくださったご協力に本当に感謝しています。  インドネシアの子供たちの将来についても引き続きお祈りとサポートをよろしくお願いします。 今日はアドヴぇント1週目です。このクリスマスの時に貧困に苦しむ人々を祈りに覚えてたいと思います。ありがとうございました

「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。 また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。(マタイ 5:13-16)