神の力と言葉に頼れる幸せ

永原アンディ


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神の力と言葉に頼れる幸せ (詩編 49)

1 【指揮者によって。コラの子の詩。賛歌。】2 諸国の民よ、これを聞けこの世に住む者は皆、耳を傾けよ3 人の子らはすべて豊かな人も貧しい人も。4 わたしの口は知恵を語りわたしの心は英知を思う。5 わたしは格言に耳を傾け竪琴を奏でて謎を解く。

6 災いのふりかかる日わたしを追う者の悪意に囲まれるときにもどうして恐れることがあろうか 7 財宝を頼みとし、富の力を誇る者を。

8 神に対して、人は兄弟をも贖いえない。神に身代金を払うことはできない。9 魂を贖う値は高く とこしえに、払い終えることはない。

10 人は永遠に生きようか。墓穴を見ずにすむであろうか。11 人が見ることは知恵ある者も死に無知な者、愚かな者と共に滅び財宝を他人に遺さねばならないということ。12 自分の名を付けた地所を持っていてもその土の底だけが彼らのとこしえの家代々に、彼らが住まう所。13 人間は栄華のうちにとどまることはできない。屠られる獣に等しい。

14 これが自分の力に頼る者の道 自分の口の言葉に満足する者の行く末。〔セラ15 陰府に置かれた羊の群れ死が彼らを飼う。朝になれば正しい人がその上を踏んで行き誇り高かったその姿を陰府がむしばむ。

16 しかし、神はわたしの魂を贖い陰府の手から取り上げてくださる。〔セラ17 人に富が増し、その家に名誉が加わるときもあなたは恐れることはない。

18 死ぬときは、何ひとつ携えて行くことができず名誉が彼の後を追って墓に下るわけでもない。19 命のある間に、その魂が祝福され幸福を人がたたえても20 彼は父祖の列に帰り永遠に光を見ることはない。21 人間は栄華のうちに悟りを得ることはない。屠られる獣に等しい。

この詩も歌われたものらしい構造を持っています。

導入→慰め→結論A→現実→結論B→慰め→現実

歌としてのリズム感は損なってしまうかもしれませんが、内容を理解することを優先して、順番を変えてお話ししたいと思います。


A. 恐ろしくもあり、慰めでもある事実 (10-13, 18-21)

最初に10-13 (9-12)節と18-21 (17-20) 節を読みます。読めば、確かにその通りだけれども、「恐ろしいなあ、嫌だなあ、虚しいなあ」と感じてしまう事実が、いかにも歌詞の一節、二節といった感じで繰り返されている部分です。しかしここには、恐ろしさ、虚しさの陰で目立たないのですが、確かな深い慰めへの入り口があります。読んでみましょう。

10 人は永遠に生きようか。墓穴を見ずにすむであろうか。11 人が見ることは知恵ある者も死に無知な者、愚かな者と共に滅び財宝を他人に遺さねばならないということ。12 自分の名を付けた地所を持っていてもその土の底だけが彼らのとこしえの家代々に、彼らが住まう所。13 人間は栄華のうちにとどまることはできない。屠られる獣に等しい。

18 死ぬときは、何ひとつ携えて行くことができず名誉が彼の後を追って墓に下るわけでもない。19 命のある間に、その魂が祝福され幸福を人がたたえても20 彼は父祖の列に帰り永遠に光を見ることはない。21 人間は栄華のうちに悟りを得ることはない。屠られる獣に等しい。

1. 死を避けられる人は誰もいない

 誰でも、一度も自分のこととしては経験したことのない、死を迎えることを恐ろしく感じます。日常の連続が途絶えること、自分だけが突然世界に存在しなくなることに耐えられない思いがします。しかし、肉体の死は誰にでも平等に必ずやって来ます。死なない人はいないのです。死を超越しているはずの神様も、イエス・キリストとして死を通られました。イエスは復活して天に帰られた事が使徒言行録に記録されています。イエスは肉体の死が、悲劇の結末ではなく、次の章への入り口であることを教えるために、十字架の恐怖と死、そして復活と召天を経験されました。ここに慰めがあります。私たちもイエスに従って歩むことによってイエスが行かれた道を、死を超えて辿る事ができるからです。

 

2. 地位も名誉も財産も永続しない

 私たちの悩み、虚しさはどこから来るのでしょうか?必要を満たされていない、不当に扱われている、一方でそうではない人がいて羨ましいという気持ちもあります。この世界を見ていると、何と不公平なのかと思います。富む者は限りなく富み、貧しい者はさらに貧しくなります。富んだ強い者が、貧しく弱い者を、多数派が少数派を虐げます。しかしこの世界が全てではないのです。全てではないどころか、神様が与えてくださっている永遠に比べれば、瞬きする時間のようなもので、しかもここで得たものは、次の章に進むとき、財産も地位も名誉も、何も持っていけません。生きている間、それらを得ることに執着して、ある程度のもの手に入れたとしても、決して満足はなく、すでに得たものでさえ他人の手に渡ることになるのです。持たない人は人の持っているものを羨んで悩みます。持っている人は失うことを恐れて悩みます。どちらにしても、神様の時計から見れば一瞬の時間を、与えられている時間の全てだと誤解しているので悩みはつきないのです。

 


B. これらのことに関して、神様と取引きすることはできない (8, 9)

ここで、8,9節に注目しましょう

8 神に対して、人は兄弟をも贖いえない。神に身代金を払うことはできない。9 魂を贖う値は高く とこしえに、払い終えることはない。

 どんなにお金を持っていても、お金を払って自分あるいは誰かの命を伸ばしてもらうことはできません。それだけではなく、人間の魂の所有権を神様から譲り受けることも誰にもできません。つまり、誰も自分が自分の主になることはできないし、もちろん他の人の主になることも出来ないのです。これがもう一つの平等な点です。

 人間の幸せを決めるのは、どれだけ長く生きたかでも、どれだけの仕事をしたかでも、どれだけの財産を築いたかでもありません。誰を信頼して歩むのかによるのです。そして、その正しい答えを知っている人は、地上での歩みの終わりに、永遠に向かって開くドアがあることを知っている人です。その人は地上での悩みや虚しさに支配されません。

 


C. これらの事実の受け止め方次第で人生は変わる
1. 自らを頼みとするなら、人生は本当に虚しいものとなる (14-15)

14 これが自分の力に頼る者の道 自分の口の言葉に満足する者の行く末。〔セラ15 陰府に置かれた羊の群れ死が彼らを飼う。朝になれば正しい人がその上を踏んで行き誇り高かったその姿を陰府がむしばむ。

誰でも、人を恐れること、人生を虚しいと感じることがあります。それらを自分の力で解決しなければならないなら、ここに書かれているように私たちは絶望するしかありません。しかし、幸いなことに私たちは、この「自分の力と言葉に頼る者の道」とは正反対の道があることをイエスとの出会いによって発見しました。「神の力と言葉に頼る道を知っています」だから詩人は、恐れることはないというのです。6-7, 16-17節を読みます。

 

2. 人を恐れるのではなく、神様を信頼する(6-7, 16-17)

6 災いのふりかかる日わたしを追う者の悪意に囲まれるときにもどうして恐れることがあろうか 7 財宝を頼みとし、富の力を誇る者を。

16 しかし、神はわたしの魂を贖い陰府の手から取り上げてくださる。〔セラ17 人に富が増し、その家に名誉が加わるときもあなたは恐れることはない。

私たちが神様の永遠を思う時、短い地上での思い煩いから解放されます。本当に恐ることはないのです。先週、何の予備知識もないまま一冊の童話を読みました。「チャーちゃん」という題です。猫のチャーちゃんの独白という形式で書かれています。最初の6ページで引き込まれました。「ぼく、チャーちゃん。/ はっきり言って、いま死んでます。/ てか、踊っています」そして「死ぬと生きるの、違い?よくわかんないな。/ 死んでも生きても、ぼくはぼくだからね。/ ぼく?なんで悲しいの? パパとママだって、こっちにくるんだから」童話を解説してもつまらなくするばかりですから、一言だけ。チャーちゃんは、恐れも悩みも虚しさもなく幸せだった。で、いまも幸せなのです。人間は、中途半端にいろいろな知識があって、できれば神様になってしまいたい位なのでかえって、恐れに持ちた、虚しい人生を過ごしてしまうのです。ただイエスとしてご自身を表してくださった神様を信頼しましょう。それでは最後に“最初の部分”を読みましょう。

 

3. 神様の言葉を聞きながら生きる (1-5)

1 【指揮者によって。コラの子の詩。賛歌。】2 諸国の民よ、これを聞けこの世に住む者は皆、耳を傾けよ3 人の子らはすべて豊かな人も貧しい人も。4 わたしの口は知恵を語りわたしの心は英知を思う。5 わたしは格言に耳を傾け竪琴を奏でて謎を解く。

 イスラエルの民は、詩人の歌に、神様の意志を聞いて、慰められ、励まされました。詩人は、自分の役割を理解して、「俺の歌を聴け」と竪琴をかきならして歌うのです。イエスは、ご自身の言葉を伝える働きを教会に委ねて天に帰られました。私たちは礼拝の中で、主に出会いその言葉を聞くのです。今日、主はあなたの心を慰めてくださったでしょうか?励ましてくださったでしょうか?虚しさから救い出していただけたでしょうか?そのような実感がなくても心配しないでください。ここまでは、至らない者による言葉での説明でしたが、これからの共に歌う時、イエスはもっとあなたに親しく語りかけてくださいます。心の目を、耳を良く開いて、主の間近に立って、親しく語りかけてくださることに期待して歌いましょう。

 


メッセージのポイント

誰でも、人を恐れること、人生を虚しいと感じることがあります。それらを自分の力で解決しなければならないなら、私たちは絶望するしかありません。しかし、自分で解決できないと知ることの先に、恐れや虚しさから自由になる道があります。神様の力と言葉に頼るという道です。

 

話し合いのために

1) あなたは何が今一番恐ろしいですか?
2) 何を根拠に詩人は「恐れる必要はない」と言うのでしょう?

 

子供たちのために

今、恐れていること、嫌なことを聞いて見ましょう。深刻なことは出てこないかもしれませんが、小学生には、新学期ですから、深刻に学校に戻りたくないと感じているお友達がいるかもしれないこともいることも触れたらいいと思います。学校へ行けることが絶対ではありません。登校困難に限らず、とても自分ではどうすることの出来ない悩みや、苦しみでも、イエスが一緒にいてくださるから「恐れなくても」大丈夫だということを伝えてください。また、だから、イエスを知らない人にイエスを紹介することが大切なのだということを伝えてください。