神に信頼し、恐れることはありません

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第1礼拝(日本語)

第2礼拝(日本語・英語)

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第一礼拝 (日本語)

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神に信頼し、恐れることはありません

 前回の55編のメッセージで、もっと大胆に訴えることと、同時に信頼を言い表すことをお勧めしました。今日の詩は、内容的には似ていますが、構成をみると、56編がより祭儀的(ceremonial)で音楽的なことが、日本語・英語でもよくわかります。神様に訴える、信頼を言い表すことを、歌で表現することは詩編の時代も私たちも同じです。この詩は、すでにあった別の曲のメロディーを借りて歌われたことが最初に説明されていますが、もちろん残念ながら、どのような曲だったかはわかりません。またミクタムという言葉の意味についても、いろいろな説があってはっきりわかってはいません。
 私たちは年に52回、ユアチャーチ全体としての礼拝を捧げます。しかし礼拝とは、日曜日の朝のこの集まりのことだけを指すわけではありません。どんな時間でも場所でも、心を神様の前に持って行って、神様に語りかけ、神様から聞こうと心の耳を傾けることが礼拝なのです。それは一人でも、家族や友人など2、3人でも、10人、100人、もっと多くの人々と共にささげることができます。そうであれば、なぜこんなに寒い日に暖かい家を出て、ここに来てこの人たちと共に礼拝する意味はどこにあるのでしょうか?今日の詩編はそのことの意味を私たちに教えてくれます。まず全体を読んでみましょう。

1 【指揮者によって。「はるかな沈黙の鳩」に合わせて。ダビデの詩。ミクタム。ペリシテ人がダビデをガトで捕えられたとき。】2 神よ、私を憐れんでください。人が私を踏みにじり戦いを挑む者が日夜私を虐げ3 敵対する者が日夜私を踏みにじります。驕り高ぶる多くの者が私に戦いを挑みます。4 恐れに捕らわれる日 私はあなたに信頼します。5 神によって、神の言葉を賛美します。神に信頼し、恐れることはありません。肉なる者が私に何をなしうるでしょう。6 日夜、彼らは私の言葉を侮辱する。私に対する彼らの謀はすべて悪。7 彼らは争いを仕掛けては待ち伏せし私の歩みを見張っている私の命を狙うかのように。8 神よ、彼らの救いは悪事の上にあります。御怒りによってもろもろの民を倒してください。9 あなたは私のさすらいの日々を数えてくださいました。私の涙をあなたの革袋に蓄えてください。あなたの記録にはそうするよう書かれてはいませんか。10 私があなたを呼び求める日 その時、敵は退きます。私は、神がそばにおられることを知っています。11 神によって御言葉を賛美します。主によって御言葉を賛美します。12 神に信頼し、恐れることはありません。人間が私に何をなしうるでしょう。13 神よ、私にはあなたへの誓いがあります。私は感謝の献げ物によってそれを果たします。14 あなたは死から私の魂をつまずきから私の歩みを救い出してくださいました 神の前、命の光の中を進み行くために。


A. 主に向かって共に礼拝する

1. 私/私たち

この詩は、主語が全て「私」であって「私たち」ではありません。しかし表題にあるように指揮者がいるようなバンドが演奏して、礼拝の中で歌われたということは「私たち」として捧げられたということです。私たちもここで共に主に向かって共に歌います。そして私たちもまた、「私」とも、「私たち」とも歌います。このことには多くの意味がありますが、今日、心にとめたいことは、私たちがユアチャーチとしては同じ境遇に置かれて、良いことも悪いことも共に負っているのはもちろんなのですが、それぞれの独自の境遇についても担い合っているのだということです。
それは決して、互いに、何から何まで状況を知り合わなければならないということではありません。だいたい私たちは自分の置かれている境遇さえ客観的に、正確に見ることはできません。それでも、イエス以外に道も真理も命もないと信じている者同士は、その道、真理、命によって、つまり、イエスによって一体です。それはちょうど神様を主人とした家族のようなものです。実際の家族もその大きな家族の中に含まれています。遠く離れて住んでいる家族がいるように、いつも一緒に居られるわけではありません。それは当たり前のことです。私たちは自分の霊的な健康を維持するため、そして、ここにいない人を含めての私たちユアチャーチの霊的健康維持するためにここで礼拝をささげています。

2. 嘆願・信頼・感謝・賛美 (2-5)

お話ししてきたように、ここで私たちは、たった一人で主の前にいるということと、神様の家族として共にいるということを、今同時に体験しています。それぞれが心に願いと信頼と感謝と賛美を持ってここに集っているだけではなく、その全部が、ユアチャーチの嘆願・信頼・感謝・賛美としても捧げられています。2-5節をもう一度読みます。

2 神よ、私を憐れんでください。人が私を踏みにじり戦いを挑む者が日夜私を虐げ3 敵対する者が日夜私を踏みにじります。驕り高ぶる多くの者が私に戦いを挑みます。4 恐れに捕らわれる日 私はあなたに信頼します。5 神によって、神の言葉を賛美します。神に信頼し、恐れることはありません。肉なる者が私に何をなしうるでしょう。

「憐れんでください」という率直で短い嘆願の後、自分が感じている困難な状況を神様に伝えています。しかしそれだけでは終わってはいません。信頼を言い表し、賛美と感謝の思いで前半を終えています。
 直面する出来事は違っても、私たちも同じように、人が自分をどのように扱うかで、喜んだり、悲しんだり、怒ったり、軽蔑したり、尊敬したり、恐れたり、失望したりするのです。神様に助けを求めるしかないのに、その前に出てゆく気力さえ失っている時もあります。しかし、あなたと同じ体に連なっている人々が、あなたに代わって神様の前に立ち、あなたの快復についても、自分のことして祈り願い、このような力強い宣言がなされているのです。


B. ユアチャーチカヴェナント

1. 個であり家族である私たち

 今日は午後、今年最初のメンバーのミーティングがあります。今年もユアチャーチのメンバーとして歩みたい方だけではなく、ユアチャーチのメンバーシップに興味のある方にも出ていただいて判断してもらいたいなと思っています。教会のメンバーになるという事は、ここで個人としてだけでなく、ユアチャーチとして礼拝する者となるという事です。自分のことだけでなく、人々のことを、喜び、心配し、願い、叫び、感謝する者となるということなのです。みんながここに個人としてしかいないとすれば、それが何百人であったとしても「教会」は存在していないということになってしまいます。一人でも多くの方が、イエスがユアチャーチに与えている「くびき」(yoke) を共に負っていただけたら嬉しいです。

2. “ある”ことと“する”こと (10-14)

10 私があなたを呼び求める日 その時、敵は退きます。私は、神がそばにおられることを知っています。11 神によって御言葉を賛美します。主によって御言葉を賛美します。12 神に信頼し、恐れることはありません。人間が私に何をなしうるでしょう。13 神よ、私にはあなたへの誓いがあります。私は感謝の献げ物によってそれを果たします。14 あなたは死から私の魂をつまずきから私の歩みを救い出してくださいました 神の前、命の光の中を進み行くために。

 会社や学校などの組織と、教会が大きく異なる点は、そこに属する一人一人が求めれれていることが、何かをして結果を出すことではなく、そこにありのままで「存在する」ということだということです。もちろん、ユアチャーチとしてすることはたくさんあるのですが、することが目的なのではありません。カヴェナント(メンバーとしての約束)の内容は、神を愛します、互いに愛し合います、世界を愛しますという三つの「愛します」です。やっぱり「する」ことなんじゃないか、と思わないでください。何かしてあげることは、愛することの本質ではありません。病でベッドから起き上がることができなかったら誰かを愛することはできないのでしょうか?そんなことはありません。その相手と共にあることが愛することの本質です。イエスと共にあること、この家族と共にある、世界の人々や自然と共にあることです。同じ場所にいなくても共にあることはできます。心を共にして神様の前に立つのに、物理的な距離は関係ありません。
 神様も、ユアチャーチも、世界も、あなたの存在を必要としていることを忘れないでください。自分に何が出来るか出来ないか、持っているか、持っていないか、どのような存在かは問われないということです。イエスは、どんな者であっても私のもとに来なさいと招かれたのです。イエスが共にいてくださるので、私たちは、すべての被造物と共に、恐れることなく「ある」ことができるのです。


メッセージのポイント

共に神様を礼拝する時、一人一人は「私」であると同時に「私たち」でもあります。神様から見れば、「あなた」であると同時に「あなたがた」です。それが意味することは、一人一人が個人であることと教会であることは切り離せないことだということです。私たちは世界に一つの教会に、その一部分である目に見える一つ一つの教会に連なることによって、連なっています。ユアチャーチカヴェナントは、「それが私にとってはユアチャーチです」という神様と人に対する宣言であり告白なのです。

話し合いのために

1) 最近、どのような事で神様に叫び求めましたか?
2) あなたは神様への誓いを何によって果たしますか?

子供たちのために

すごく困ったこと、苦しかったこと、悲しかったことをシェアして、それでもこうして共に礼拝できること、祈りあい、助け合えることを確認してください。今日、ユアチャーチの大人たちがカヴェナントにサインして、私たちが大きな家族であることを伝えて下さい。