とこしえに神様のテントに住む

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とこしえに神様のテントに住む

(詩編 61)

永原アンディ

1【指揮者によって。弦楽器で。ダビデの詩。】
2 神よ、私の叫びをお聞きください。私の祈りに心を向けてください。
3 心が挫けるとき、地の果てからあなたを呼びます。
私よりはるか高くそびえる大岩へと
私を導いてください。

4 あなたは私の逃れ場
敵の前に堅固なやぐらとなってくださいます。
5 私はあなたの幕屋にとこしえに宿り
あなたの翼を隠れ場として逃れます。〔セラ

6 神よ、あなたは私の誓いを聞き入れ
あなたの名を畏れる人に
継ぐべきものを与えてくださいます。
7 王の日々になお日々を加え
その年月を代々に長らえさせてください。
8 神の前にあって、王がとこしえの王座につき
慈しみとまことに守られますように。
9 私はいつまでもあなたの名をほめ歌い
日ごとに私の誓いを果たします。

A. 荒天の中でも(1-5)

1. 神さまとのチャンネルは常にスタンバイしておく (2,3)

2 神よ、私の叫びをお聞きください。私の祈りに心を向けてください。
3 心が挫けるとき、地の果てからあなたを呼びます。
私よりはるか高くそびえる大岩へと
私を導いてください。。

 携帯電話、スマートフォンは、いつでも、どこにいても遠く離れた人と言葉を交わすことができる便利な機械ですが、電源を切ってしまえば何の役にも立ちません。だから心配性の人は、電池が減っていないか?誰かが何かを言ってきていないか?としょっちゅう取り出して見ていたり、コンセントがあれば「充電していいですかー」となります。

 イエスも、そのくらい皆さんに、ご自身からのコールを注意深く待っていてほしいて思っています。イエスより誰かからの呼びかけの方が気になるなら、それは偶像礼拝の始まりです。この詩人から学び方向転換する必要があります。

 詩人から学ぶべきことは、彼が神様とのチャンネルを常にスタンバイさせていることです。1963年のキューバ危機 (Cuban Missile Crisis) の後、ホワイトハウスとクレムリンの間に直通電話が引かれました。ホットラインと言われます。それまでアメリカとソビエトの首脳が直接話しをする回線はなく、相手に意思を伝えるためには6時間かけて暗号電報 (coded telegraph) するしかありませんでした。あなたの神様とのホットラインはOFFでしょうか?待機モード(in standby mode)になっているでしょうか? 神様とのチャンネルで待機モードにしておくとは、この詩人のように、常に神様との対話を頻繁に持つ、つまり祈る、危機にあっては叫ぶ、呼ぶということです。日曜日の礼拝はそのための時間ですが、次回は来週の日曜日ということではホットラインとは言えないのです。パイロットが頻繁に地上と更新しながら安全にフライトするように、イエスとおしゃべりしながら毎日を過ごしてください。

2. 神様のテントに住む (4,5)

4 あなたは私の逃れ場
敵の前に堅固なやぐらとなってくださいます。
5 私はあなたの幕屋にとこしえに宿り
あなたの翼を隠れ場として逃れます。〔セラ

 先々週の詩編のお話で、教会は「避け所・神様の翼」であると話しました。先週のマルコでは、教会が「荒れた海を行く、イエスが後ろの方でお昼寝をしているボート」でもあることを知りました。今日の詩編は、教会が私たちの宿るべきテントであることを教えてくれています。

 NIVはテントと訳していますが、古い英語訳は、日本語の聖書のように、ちょっと聞きなれない「幕屋 (tabernacle)」という言葉を使っています。幕屋 (tabernacle)の元の意味は、ソロモンが神殿を建設するまで用いられていた移動式の神殿です。神様に会いに行く場所であって、人が住む場所ではないどころか、内部には許された祭司しか入ることができない神聖な空間です。ですから、ここで詩人はあり得ない比喩をしているとも言えます。しかしそのあり得ないこと「私たちが神の幕屋に入るだけでなく、そこに永遠に過ごせる」ようになるということが、イエスの十字架において実現したのです。しかしイエスに従う者の住まいは、外の天候がわからない大理石の壁で外と仕切られた神殿ではないのです。外の様子が手に取るようにわかる「テント」なのです。イエスのボートのように風が吹けば揺さぶられ、雷が起きれば、その稲妻も雷鳴も迫り、私たちは恐怖を覚えます。しかしこのテントでもイエスはスヤスヤと寝ているのではないでしょうか?それが私たちの教会です。しかし「とこしえに」とも書いてあります。そうするとユアチャーチがとこしえに存在するかといえば、ちょっと違うようにも思えます。

 私たちは教会といっても二つのレベルがあることを知っておくべきでしょう。イエスは世界にたったひとつの普遍的な教会(Universal Church)をおかれました。イエスに従って生きる者は皆その教会のメンバーです。しかし、イエスは、普遍的な教会に属する私たちが、目に見える特定のひとつの教会(Local Church) に連なる者であることも求めておられます。それは人間の組織としての教会であり、罪の性質を持った者たちの集まりである以上、その限界は目に見えています。目に見える教会では、初めの1世紀から、とても人間的な争いや、醜い弱い者いじめが怒っていた事が、パウロの手紙を読んでみるとよくわかります。それでは、厄介なローカルチャーチとはおさらばして普遍的な教会に属していればいいのでしょうか?それはできません。互いに愛し合いなさい、というイエスの命令に背を向けることになります。

 今でも、ある人が教えてくれた教会についての例えを気に入っています。教会は「ダンス教室」だというのです。私たちは、愛というダンスを自由に踊れるようになるために、教会の人間関係の中で練習しています。ダンスですから。互いに息を合わせて、注意深く、それでも慣れてくれば大胆に踊れるようになっていきます。しかしそこに至るまでには、何度も相手の足を踏んづけたり、すねを蹴っ飛ばしてしまうことでしょう。それでも私たちは、どちらも「愛する人となるために」という共通目的を持っているかぎり、赦し合うことが出来ます。

 しかし目に見える教会では、その目的がしばしば見失われ、それがリーダーであれメンバーであれ、自分の目的のツールとして見てしまうようになる危険があります。そこに集う人々を自分のツールとして見るなら、愛のダンスは成立しません。立ち直るチャンスはありますが、そのままなら普遍的な教会の一部とは言えないのです。
 今年は、今二十人強の人がメンバーの誓いをしてくれています。まだ締め切っていませんから、署名して献金ボックスに入れてください。どんな誓いか覚えていますか? 「神様を愛します→互いに愛し合います→世界を愛します」です。このことに誠実である限り、ユアチャーチは完全には程遠いとしても、普遍的な教会につながっている、安心して愛することのレッスンを続けられる、健康な教会でいられます。


B. 自分の地位を知る(6-9)

6 神よ、あなたは私の誓いを聞き入れ
あなたの名を畏れる人に
継ぐべきものを与えてくださいます。
7 王の日々になお日々を加え
その年月を代々に長らえさせてください。
8 神の前にあって、王がとこしえの王座につき
慈しみとまことに守られますように。
9 私はいつまでもあなたの名をほめ歌い
日ごとに私の誓いを果たします。

 私たちは、幕屋の住人、神様の家族の地位を、創造の時から十字架の時まで、長い間失っていました。しかし、神様はイエスとして世界に入ってきてくださり、背を向けていた私たちをもう一度、家族として天幕の中に招き入れてくださったのです。私たちは、罪を赦されことを感謝して、喜んであなたについていきますと誓い、新しい人生を生き始めました。それは、神と共に生きる者として、神様の持つ資源をフルに使って、神様の意思を行う人生です。そのような意味で、私たちは神様の恵みを受け継ぐ者、地上での神様の代理人、王としての地位が与えられています。
 私たちは、この神様にいただいた地位を、個人としての自分、教会としての自分という両方のレベルでの生き方に活かしていただきたいのです。

 最初にお話ししたように、皆さんがパイロットです。牧師だけがパイロットで皆さんが乗客なのではありません。皆さんが、神のテントで生活している祭司です。牧師だけが祭司なのではありません。私たち一人一人は個人でありつつ、目に見える神の教会でもあるのです。個人の歩みと、教会の歩みは重なるものではなく、どちらかを重視すべきものであるということではありません。どちらかを犠牲としてどちらかが成り立つような関係でもなく、織物の縦糸、横糸のように両方で素晴らしい絵柄が出現するような調和した関係です。あなたの人生が教会の一部であると同時に、教会はあなたの人生の一部とも言えるのです。天と地は王の賢い治世によって繋がります。イエスは、ユアチャーチを、そしてあなたを、そのような王の一人として、任命しました。 私たちは、イエスの持つ豊かな資源を自由に活用して、世界を愛で満たす働きを、与えられたところでしているのです。


メッセージのポイント

神様は、あなたを家族として、個人として、両方の視点で見ておられます。神様は誰かを通して語られるだけではなく、あなたにも直接語られます。私たちは個人としても、教会としても、神様の恵みの相続人であり、神様に統治を嘱託された王でもあるのです

話し合いのために
  1. ユアチャーチは神様の翼と思えますか、そうでないとしたらどこに問題があるのでしょうか? 
  2. 私たちはどのような意味で神様の相続人なのでしょう??
子供たちのために

イエス様と一緒にキャンプしていることを想像させて、楽しく話し合ってください。テントの外が、晴れでも、雨でも、嵐でも、雷が鳴って恐ろしくても、イエス様が一緒です。また教会のお友達も一緒です。そして住まいは宮殿のようではなくても、王子、王女であることも伝えてください。