クリスマスの二つのエピローグ

Rembrandt – Simeon and Anna Recognize the Lord in Jesus, 
Public domain, via Wikimedia Commons

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日曜礼拝・英語通訳付

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クリスマスの二つのエピローグ

マタイ2:16-18, ルカ2:25-38
池田真理

 今日はクリスマス当日なのですが、教会のカレンダーでは正式には先週がクリスマスで、今日はもう一年の最後の礼拝ということになっています。そこで今日は、クリスマスの物語のエピローグとも言える箇所を読むことにしました。二箇所あり、内容は正反対で、一つは悲劇、もう一つはハッピーエンドと言えます。この二つを比べると、私たちが人生をどう歩むべきかを教えていることに気がつきました。今日は、この二つのエピソードを読みながら、クリスマスの出来事と、今年一年のそれぞれの歩みを振り返ってみていただければと思います。まずは悲劇の方、マタイ2:16-18から読んでいきましょう。

A. ヘロデ王の悲劇(マタイ2:16-18)

16 さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、激しく怒った。そして、人を送り、博士たちから確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいる二歳以下の男の子を、一人残らず殺した。17 その時、預言者エレミヤを通して言われたことが実現した。18 「ラマで声が聞こえた。激しく泣き、嘆く声が。ラケルはその子らのゆえに泣き/慰められることを拒んだ。/子らがもういないのだから。」

 ヘロデは当時ユダヤを支配していた王で、博士たちからイエス様という新しい王が生まれたと聞いて、恐れていました。そして、博士たちにイエス様の居場所を確かめて、殺してしまうつもりでいましたが、それが叶わなかったので、その地域一帯の2歳以下の男の子を皆殺しにしてしまいました。ひどい殺戮行為です。ヘロデは、自分の権力や地位を失うことを恐れて、自分を脅かす可能性のある者を排除せずにはいられませんでした。その恐れと妬みは非常に大きく、幼児まで皆殺しにせずにはいられなかったということです。
 私たちは誰でも、このヘロデと同じ性質を持っています。自分の強さを失うことを恐れて、邪魔者を排除しようとする性質です。私たちは、自分が手に入れた権力や地位や財産、名誉を失うことを恐れます。他人にそれを奪われたり、奪われそうになったりすれば、その人に敵意と憎しみを持ちます。また、そのような敵意は、自分が持っているものを奪う人に対してだけでなく、自分が持っていないものを持っているように見える人に対する妬みになることもあります。自分の幸福を他人との比較で見ようとしている限り、私たちは恐れと妬みから自由になれません。そして、たとえヘロデのように子供を大量虐殺するようなことを実際にはしないにしても、心の中で人を呪います。このような生き方をしている限り、おそらくヘロデが一生心からの安らぎを感じることができなかったように、私たちも一生満足することはできません。そして、自分も他人も悲劇に導いてしまします。

B. シメオンとアンナの幸福(ルカ2:25-38)

 それでは、もう一つのクリスマスのエピローグを読んでみましょう。ルカ2:25-38です。

25 その時、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。26 また、主が遣わすメシアを見るまでは死ぬことはない、とのお告げを聖霊から受けていた。27 この人が霊に導かれて神殿の境内に入った。そして、両親が幼子イエスを連れて来て、その子のために律法の定めに従っていけにえを献げようとした時、28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。29 「主よ、今こそあなたはお言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。30 私はこの目であなたの救いを見たからです。31 これは万民のために備えられた救いで/32 異邦人を照らす啓示の光/あなたの民イスラエルの栄光です。」33 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いた。34 シメオンは彼らを祝福し、母マリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。35 剣があなたの魂さえも刺し貫くでしょう。多くの人の心の思いが現されるためです。」

 シメオンとアンナという人が登場しています。この二人は聖書の中でここにしか登場しません。二人に共通していたのは、やがて人々を罪から救う救い主が現れるという旧約聖書の預言を信じて、その実現を待ち望んでいたということです。二人とももう歳をとっていましたが、若い頃からずっと神様を礼拝してきた信仰熱心な人だったと紹介されています。二人は神様の特別な導きを受けて、イエス様に会いに来ました。そして、会って非常に喜び、神様をほめたたえ、神様に感謝を捧げたとあります。二人には神様の不思議な力が働いて、まだ何も成し遂げていない無力な赤ちゃんの中に、神様の偉大な計画が始まっていると信じたのでした。二人は人生の最後に、大きな喜びを味わうことができました。
 少し想像してみていただきたいのですが、このシメオンとアンナは、先ほど読んだヘロデ王を当然知っていたはずです。二人がイエス様に会えたのが、ベツレヘムで子供の虐殺が起こった前だったのか後だったのかは分かりません。でも、二人はヘロデ王の支配下の社会で生きてきたことに間違いはなく、その社会には不正義が満ちていたことが想像できます。また、ヘロデ王の上にはさらにローマ帝国があり、ユダヤの政情は不安定で、将来への不安も大きかった時代です。そのような中で、身分の低い若い夫婦の元に生まれた一人の子供に希望を置くということは、常識的に考えればとても愚かなことです。それでも、それが神様が二人に与えた希望であり、私たちにも与えられた希望です。
 私たちの希望は、この世界に人としてこられた神様、私たちのためにその命を捧げてくださった神様の愛にあります。私たちは恐れと不安の中に生きていて、他の人を苦しめ、他の人に苦しめられながら生きています。自分自身の人生でさえ正しく導く力はなく、社会の不正義を一瞬で変えられるような力もありません。それでも、あきらめずに確かな目標を持って歩み続けられるのは、神様は本当におられて、私たちのことを愛しておられると信じているからです。シメオンとアンナが信じてきた、旧約聖書の時代から伝えられてきた救い主を送るという約束は、イエス様によって実現しました。私たちは、そのイエス様がやがて十字架でその命を捧げられたこと、三日後によみがえられたことを知っています。目に見えなくても、状況が変わらなくても、神様は確かに私たちと共におられると信じられること、それが私たちの希望です。

C. 私たちは誰でも両方の面を持っている

 それでは、私たちはどのようにヘロデのような恐れと妬みに取りつかれた心から自由になって、シメオンとアンナのように神様の憐れみに希望を置いて喜びに満たされることができるのでしょうか?それは、毎日、一瞬一瞬、そのように自分で選んでいくことによると思います。私たちはヘロデの性質を一生持っていて、シメオンとアンナのように生きたくても、どうしてもヘロデの方に流れてしまうもので、それは仕方のないことです。でも、そのことを知っていて、自分の弱さを受け入れて、過ちを認めて、神様に助けを求めるなら、それで私たちはシメオンとアンナになれます。そのような生き方を一瞬一瞬選びとっていくことは、私たち自身の決断ですが、神様は、聖霊様を送って私たちの判断を助けてくださいます。それも、シメオンとアンナの場合と同じように、神様の憐れみに希望を置く者を、神様は必ず導いて助けてくださるからです。そして、まだ生まれたばかりの無力な赤ちゃんのイエス様を見た二人が喜びに溢れたように、私たちも、小さな出来事の中に神様の計画が確かに進んでいることを見て喜ぶことができるはずです。
 どうぞ、この1年が終わるに当たって、今年一年のそれぞれの歩みに、神様の愛と憐れみが確かに働いていたということを、私たちがたくさん発見できますように。今年最後の1週間を、どうぞシメオンとアンナに倣って過ごしてみてください。

(お祈り)神様、どうかあなたの霊によって、私たちを恐れと不安から解放してください。あなたの前に、弱さと過ちを隠しません。自分の力でどうしようもないことでも、希望を失わずに、あなたを信じて、あなたの良い計画を信じて歩むことができるように、助けてください。今年一年のそれぞれの歩みの中で、あなたがくださったたくさんの恵みに、私たちが気がついて、感謝することができますように。主イエス様、あなたの大きな愛と憐れみに感謝して、あなたのお名前によってお祈りします。アーメン。


メッセージのポイント

クリスマスの物語には二つのエピローグがあります。一つはヘロデ王の悲劇で、もう一つはシメオンとアンナの幸福な結末です。この二つのエピローグは、私たちの人生の歩み方には二つあることを示しています。ヘロデのように、自分の強さを失うことを恐れて自分に従わない者を排除する生き方と、シメオンとアンナのように、自分の弱さも人の過ちも受け入れて神様の憐れみに希望を置く生き方です。私たちの心はヘロデの方に流れがちですが、シメオンとアンナのように生きることもできるのです。

話し合いのために
  1. 今年一年の自分の歩みを振り返って、ヘロデのようだったこと、シメオンとアンナのようになれたことは?

  2. どうしたらシメオンとアンナのように神様に希望を置くことができますか?

子どもたち(保護者)のために

子どもたち(保護者)のために
子どもたちの理解力に合わせて、ヘロデの話とシメオンとアンナの話をしてみてください。なぜヘロデはこんな酷いことをしたのか、シメオンとアンナはイエス様に何を期待していたのか、話してみてください。そして、今年一年のそれぞれの歩みを振り返って、自分がヘロデだったと思うことや、シメオンとアンナのように神様を信じることができたと思うことを、話してみてください。