世の光

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世の光

2023年待降節第一日曜日
イザヤ書 9:1-5、 ヨハネによる福音書 1:9-14

永原アンディ

 今日から、キリスト教会のカレンダーではクリスマスを待ち望む4週間、待降節と呼ばれる期間が始まりました。毎年この時期にはこのように4本のロウソクを置き、第一週の今日は一本のロウソクに火を灯し、週ごとに増やしてゆきます。待降節最後の日曜日のクリスマス礼拝の時には4本のロウソクに火が灯ります。待ち望むという気持ちを表現したものです。 

 今日初めに読むテキストは旧約聖書の中の預言の書の一つであるイザヤ書の9章に記されている預言です。このイザヤの預言は、紀元前8世紀頃になされたものです。当時のイスラエルの状況は、国が南北二つに分裂し、北の王国はアッシリアという強国の支配下に置かれているような状態でした。それがどのように悲惨なものであるかは、今この時この世界で起きているさまざまな地域の状況を考えるとよくわかると思います。キーウに暮らす人々、ガザ地区で生きる人々、その多くは逃げたくても逃げるところがありません。イザヤがこの預言をした時のイスラエルの人々もまた同様の恐怖の中に置かれていました。  

 それではまず全体を読んでみましょう。

1 闇の中を歩んでいた民は大いなる光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝いた。
2 あなたはその国民を増やしその喜びを大きくされた。彼らはあなたの前に喜んだ。収穫を喜ぶように戦利品を分けて喜び躍るように。
3 彼らの負う軛、その肩の杖、虐げる者の鞭をあなたがミデヤンの日のように打ち砕いてくださった。
4 地を踏み鳴らした兵士の靴と血にまみれた服はすべて焼かれ、火の餌食となった。
5 一人のみどりごが私たちのために生まれた。一人の男の子が私たちに与えられた。主権がその肩にあり、その名は「驚くべき指導者、力ある神永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

1. 暗闇のような世界に光の到来が預言された (1)

闇の中を歩んでいた民は大いなる光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝いた。

イザヤは当時の人々の置かれた状況を「かつて闇の中を歩んでいた、死の陰の地に住んでいた」と表現しています。しかし実際には闇の中を歩き続け、死の陰の地に住んでいるのです。待ち望んでいる光はまだ輝いてはいないのです。
 つまりイザヤはこの現実が克服された未来を、すでに起こったかのように表現して、預言が成就することを強調したのです。続く節も全て、すでに起きたことのように表現されていますが、実際にはどれも起きてはいないことでした。

 次の三つの節で人々が待ち望んでいる状況がどのようなものであるかを知ることができます。読んでみましょう。

2. 暗闇の中で人が期待すること (2-4)

2 あなたはその国民を増やしその喜びを大きくされた。彼らはあなたの前に喜んだ。収穫を喜ぶように戦利品を分けて喜び躍るように。
3 彼らの負う軛、その肩の杖、虐げる者の鞭をあなたがミデヤンの日のように打ち砕いてくださった。
4 地を踏み鳴らした兵士の靴と血にまみれた服はすべて焼かれ、火の餌食となった。

 彼らが期待しているのは、国が栄え強くなること。奴隷や捕虜とされた状態から解放されること、侵略者の攻撃、暴力がなくなることでした。国を占領した敵の兵士の服や靴が火に焼かれるとはイスラエルが勝利して、周辺国からの侵略を許さない強国になることでした。

 ところで、それらのことは現代に生きる人々が期待していることと変わりはありません。国の指導者たちは、そのような状況に置かれていればもちろんのこと、まだ攻撃を受けていないうちから、それを恐れ、相手以上の力を持つこと、仲間を増やすことに力を注ぎます。 このことは国に限らず、もっと小さな集団でも同じことが起こります。1950年代のマンハッタンのウエストサイドのストリートギャングの抗争も、70年代の日本の暴走族の抗争でも同じ思考がはたらきましたが、どんなレベルであれ軍拡競争は平和をもたらすことはありませんでした。
 それは全て、その集団だけの繁栄、平和、強化を目指すものであって、他の国、他の民族、他の人々の不幸の上にしか成り立たない利己的な願いだからです。
 暗黒の時、人々は強い指導者を期待するのです。そのようにしてヒットラーとナチスは”合法的に”政権について、平和をもたらすどころかさらに深い闇に人々を突き落としました。同時期に日本の軍事政権はアジアの多くの国を侵略し、非人道的な行いで、今でも苦しむ人々が多くおられます。この政権が苦しめたのは他国民だけではありません。自国民の多くを戦死させ、餓死させさせました。
 戦争が終わった時、日本人は二度と戦争を仕掛けないと誓い、それを約束する新しい憲法を持って再建の道を歩み始めました。しかし現在、世界中のさまざまな地域で、その国だけの繁栄、平和、強国化を主張する政党、政治家が支持されて政権につく傾向が際立っています。日本でも、前の総理大臣は「憲法を変え、戦争できる”普通の”国にしたい」と言い出しました。

 各国の指導者たちが、強くなることによって平和を保とうと考えている限り、この世界に平和は決して来ないでしょう。ではどうしたら本当に平和は来るのでしょうか?
 先週のメッセージを覚えていますか?「強者であろうとする私たちと弱者を選んで愛するイエス様」についてのお話でした。このことを知って強者になることを諦めない限り、争いは国家間でも、民族間でも、個人間でもなくなることはありません。

 しかし、平和はもう世界に到着しているのです。ただ多くの人がそれを受け取ろうとしないので、世の闇は続いています。この預言の最後の一節をもう一度読みます。

3. 人の期待をはるかに超えた光 (5)

5 一人のみどりごが私たちのために生まれた。一人の男の子が私たちに与えられた。主権がその肩にあり、その名は「驚くべき指導者、力ある神永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

 イザヤの預言はすぐには成就しませんでした。そのように優れたリーダーは生まれることなく、イスラエルはそれから800年の間、その時々の周辺の強国に支配され続けました。そのために、彼らはメシア・救世主を待ち続けていたのです。

 ですから、先週学んだように、イスラエルの人々はイエスが現れて今までに聞いたこともないような力ある教えや、しるしや、奇蹟によってイエスがメシアであることを最初は期待したのです。しかし、人々はすぐにイエスに失望しました。イエスが軍事的指導者でも、政治的指導者でもなかったからです。このことをヨハネによる福音書は、イエスの誕生についての記述でこのように説明しています。

まことの光があった。その光は世に来て、すべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は自分のところへ来たが、民は言を受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には、神の子となる権能を与えた。この人々は、血によらず、肉の欲によらず、人の欲にもよらず、神によって生まれたのである。言は肉となって、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。 (ヨハネによる福音書1:9-14)

ヨハネは、2000年前の世界で最初のクリスマスに生まれたイエスこそ、イザヤが預言した救い主・メシア、驚くべき指導者、力ある神永遠の父、平和の君なのだと、紹介しているのです。それは、先に触れたように、当時であれ現代であれ、自分が力を持つことを願う者にとっては受け入れ難いものでしょう。イエスの教えはシンプルです。誰もが自己中心的にではなく神様が中心と知って生きることによって、その心の闇が晴れる。そして、心の闇が晴れ、イエスの言葉を頼りに生き始めた者が世の光となって世界の闇を照らすのです。

 イエスという世の光は2000年前に世界に来ました。ちょうどキャンドルサービスの中でするように、人から人へと伝えられ、2000年かかって最近皆さんにも手渡されたということです。そして今度はみなさんが誰かにこの光を手渡す番です。それは愛すること、イエスを紹介することです。イエスは世の光りですが、その光で世を照らすことは私たちに委ねられています。

(祈り)神様、私たちにイエスという希望の光を与えてくださってありがとうございます。 
この社会も、また私たちの心にも闇の力ともいうべき悪が今も大きな影響力を持っていますが、どうか私たちのうちにもっとあなたが輝いてくださり、闇を追い出し、あなたの光で満たしてください。
私たち一人一人を、あなたを指し示す世の光としてください。
私たちの主、イエス・キリストの名によって祈ります。


メッセージのポイント

イザヤの預言は、当時の人々の時代には成就することはありませんでした。それはイエスの降誕として成就したのです。しかし、イエスは人間の期待をはるかに超えた方だったので、イエスの時代のほとんどの人々が彼をメシアと認めることはできませんでした。特に、彼が求めた、民族、国籍、宗教さえ超えて愛し合うということは受け入れ難いことでした。イエスの方法は、目に見える力で政治的、宗教的リーダーシップをとることではありません。イエスは私たち一人ひとりの心の闇に光を灯し、その光を灯した者たちを闇の世の至る所で輝かせることによって、世に平和をもたらそうとされるのです。 

話し合いのために

1. 闇とは社会の中のどのような状況を表していますか?

2. イエスが来たのに、民が彼を受け入れなかったのはなぜですか?

子どもたち(保護者)のために

実際の闇と光についてどのような印象を持っているか話し合ってみましょう。それから、社会の闇、心の闇について話してください。そして、ヨハネによる福音書1:9-14を読んで、イエスが世の光りあることを伝えましょう。最後にイザヤ書9:5を読んで、イエスの降誕、その800年ほど前に預言者によって語られていたことを伝えましょう。