イエス様に解放され、派遣される

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イエス様に解放され、派遣される

(マルコによる福音書 5:1-20)

池田真理

0. 「ゲラサ人の地方」(1)

 早速最初の1節を読んで、今日の箇所の状況を確認しておきましょう。

1 一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。

前回読んだように、イエス様と弟子たちはガリラヤ湖で嵐に巻き込まれましたが、イエス様がそれを静めたので、ここで無事に向こう岸に着いたとあります。それは「ゲラサ人の地方 the region of the Gerasenes」と書かれています。この「ゲラサ人の地方」というのが、聖書学者たちの間では長年問題になってきました。というのは、ゲラサ Gerasa という町はガリラヤ湖から60kmも離れており、今日のエピソードが起こった場所としてはおかしいからです。豚の群れが60kmもの距離を走って溺れ死んだというのはちょっとありえないことです。これに気が付いたマタイは、マルコの「ゲラサ人の地方」というのを修正して、「ガダラ人の地方 the region of the Gadarenes」と書き換えています。ガダラ Gadara はゲラサよりはガリラヤ湖に近い距離にありますが、それでも湖から8km離れていて、これも今日の箇所の現場としてふさわしいとは言えません。なので、学者たちは今日のエピソードが起こった現場はゲラサでもガダラでもなく、湖のすぐそばにある別の町だったと考えています。マルコがそれを「ゲラサ人の地方」と書いたのは、その町がゲラサ人の影響を受けている町だったからかもしれません。だとしたら、マルコの記述は完全に間違いとは言えません。でも、ゲラサではなかったことは確かです。
 こういう聖書学的な問題は、聖書が一言一句間違いのない聖なる書物だという思い込みを正してくれるので、出てきたときには紹介したいと思っています。聖書は人間の限界を反映した文書で、人間の学問的研究が必要です。それでも、聖書が全体として伝えている真理が全く変わらず揺り動かされることがないのが、聖書の本当にすごいところです。
 さて、イエス様と弟子たちは、これまでユダヤ人の地域しか行っていませんでしたが、ここから異邦人の地域での旅が始まろうとしていました。でも、それは結局叶いませんでしたよ、というのが今日の物語の結末です。なぜなら、事件が起きたからです。前半と後半に分けて読んで行きましょう。まず2-13節です。


1. 悪霊とイエス様(2-13)

2 イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場から出て来て、イエスに会った。3 この人は墓場を住みかとしており、もはや誰も、鎖を用いてさえつなぎ止めておくことはできなかった。4 度々足枷や鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり足枷は砕くので、誰も彼を押さえつけることができなかったのである。5 彼は夜も昼も墓場や山で叫び続け、石で自分の体を傷つけていた。6 イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、7「いと高き神の子イエス、構わないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい」と大声で叫んだ。8 イエスが、「汚れた霊、この人から出て行け」と言われたからである。9 イエスが、「名は何と言うのか」とお尋ねになると、「名はレギオン。我々は大勢だから」と答えた。10 そして、自分たちをこの地方から追い出さないようにと、しきりに願った。11 ところで、その辺りの山に豚の大群が飼ってあった。12 汚れた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願った。13 イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れは、崖を下って湖になだれ込み、湖の中で溺れ死んだ。

a. 悪霊は私たちを自滅に導く

悪霊に取りつかれたことはありますか?と聞かれたら、皆さん困ると思います。そもそも、人間に危害を及ぼす悪霊なんているのかどうか疑わしいし、そんな存在は信じていないという人の方が多いかもしれません。でも、聖書は悪霊の存在を認めています。今日の箇所のように、イエス様が悪霊の追放をしたという話はたくさん記録されていますし、そういう悪霊たちの頭は悪魔(サタン)だということも書かれています。聖書は、サタンや悪霊というものがこの世界には存在していて、人間に悪影響を及ぼしていると教えているのです。でも、それ以上詳しくは教えていません。サタンはどうやって生まれたのかとか、悪霊とサタンの関係はどうなっているかなどは、聖書には何も書かれていません。聖書にないということは、私たちはそれ以上知る必要がないということです。ただ、その存在を認めて、私たちに悪い影響をもたらすと知っていればいいのです。
 では、サタンや悪霊は私たちにどんな悪い影響を与えるのかというと、私たちを自滅させることです。今日の箇所の悪霊に取りつかれた人の状態は明らかに異常な状態ですが、サタンは大抵はもっと分かりにくいやり方で私たちの間に入ってきます。私たちは墓場に住んでいないかもしれませんが、サタンは私たちの心をまるで死んだ状態にすることができます。お前のことを分かってくれる人は誰もいない、神様もお前には興味がない、それではお前の生きている意味はない、とささやきます。私たちはその声に耳を傾けてしって、夜も昼も誰に向けていいか分からない叫びを叫び続けます。さらに、そんな状態になったのは、自分が悪いからだと自分を責め続けてしまうこともあります。こういうことは、誰にでも起こり得ます。こういうことが全て悪霊のせいとかサタンの働きだというわけではありません。でも、少なくとも、私たちがそういう状態になれば、サタンを喜ばすでしょう。サタンは私たちに、もっと自分を責め続けろ、傷つけろ、孤独になれ、と誘ってきます。その結果、この人のように、誰も私たちを止めることができなくり、誰も私たちを助けることができなくなってしまうかもしれません。サタンは私たちが自滅するように導くのです。
 サタンは、私たちが神様から離れることなら何でも喜びます。だから、私たちが神様から離れるなら、それは間接的にサタンに近づいていることになります。私たちは、神様に従うか、サタンに従うか、どちらか一方の生き方しかできないのです。それは、クリスチャンかどうかという単純な話ではありません。イエス様を知っていても、サタンを喜ばせてしまうこともあり、逆にイエス様を信じていなくても、神様を喜ばせている人たちはいます。ですから、私たちは自分が何に仕えているのか、誰を喜ばせようとしているのか、時々考えてみる必要があります。

b. でも、悪霊はイエス様に逆らえない

 でも、忘れてはいけないのは、サタンも悪霊もイエス様には決して逆らえないということです。6節。

6 イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、7「いと高き神の子イエス、構わないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい」と大声で叫んだ。

悪霊は、イエス様から隠れることはできないと分かっていました。そして、イエス様の命令に逆らうことができないことも分かっていました。それは、サタンが最初から神様と対等な関係にはあるのではないからです。そして特に、イエス様の十字架と復活後は、サタンの敗北はもう完全に決まっています。
 私たちがサタンの誘いに乗って自滅への道を歩んでいたら、誰も助けることはできなくなるかもしれないと言いました。でも、人間には助けることができなくても、イエス様にはできます。この悪霊に取りつかれた人は、人間には完全に見捨てられた絶望的状況にありましたが、イエス様によって救われました。重要なのはサタンのことを知ることではなく、イエス様のことをもっとよく知り、イエス様の与える救いと希望の確かさを知ることです。それが何より、私たちがサタンの誘いに乗らないないで、絶望的な状況でも希望を失わない方法です。
 それでは続きを読んでいきましょう。


2. イエス様とイエス様に解放された人(14-20)

14 豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。人々は何が起こったのかと見に来た。15 そして、イエスのところに来ると、レギオンに取りつかれていた人が服を着、正気になって座っているのを見て、恐ろしくなった。16 成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれた人に起こったことや豚のことを人々に語って聞かせた。17 そこで、人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと願い始めた。18 イエスが舟に乗ろうとされると、悪霊に取りつかれていた人が、お供をしたいと願った。19 しかし、イエスはそれを許さないで、こう言われた。「自分の家族のもとに帰って、主があなたにしてくださったこと、また、あなたを憐れんでくださったことを、ことごとく知らせなさい。」20 そこで、彼は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことを、ことごとくデカポリス地方に言い広め始めた。人々は皆驚いた。

a. 追放されるイエス様

 人々は何が起こったのかを知って、恐ろしくなってイエス様を追い出しました。豚2千匹が突然狂ったようになって、みんな死んでしまったというだけでも恐ろしいのは当然です。それだけでなく、豚は食用肉として売られるために飼われていたはずなので、その経済的損失も大きいものです。豚飼いたちにすれば非常に迷惑な話です。現代人の感覚からすれば、豚たちもかわいそうです。イエス様はなぜ悪霊が豚に乗り移ることを許したのでしょうか。豚飼いたちや豚たちのことを気の毒に思わなかったのでしょうか。その答えは私たちには分かりません。でも、悪霊に取りつかれた一人の人を救うことが、イエス様にとって最も重要なことだったのは間違いありません。そして、その結果、イエス様はこの地方で活動することはできなくなり、追い出されてしまいましたが、それでも良かったのだと思います。なぜなら、この一人の人をサタンの支配から解放し、神様に属する大切な人の一人に回復させることができたからです。

b. 私たちが代わりに派遣される

 私たちは、この人ほど劇的な出来事を経験することはないかもしれませんが、イエス様によってサタンの支配から解放されて、新しい人生を与えられることは同じです。「あなたと一緒に行きたいです」という私たちの申し出に対して、イエス様は何と答えるでしょうか?ペトロたちに呼びかけたように、一緒に来なさいと言われる時もあります。でも、今日のイエス様は違います。

19 自分の家族のもとに帰って、主があなたにしてくださったこと、また、あなたを憐れんでくださったことを、ことごとく知らせなさい。

 これは、イエス様が自分について行きたいと願った人に対して言われたこととしては、とても珍しいケースです。マルコではここだけです。イエス様は他の箇所では全て「黙っていなさい、誰にも言ってはいけない」と命じました。なぜこの人には、大いに言い広めなさいと言ったのでしょうか?その答えは推測するしかありませんが、おそらく一つの理由は、イエス様がこの土地に入れなかったからです。自分が行けない代わりに、この人に役割を委ねたということです。考えられるもう一つの理由は、この人がこの土地でこそ伝えられることがあったからです。この人が悪霊に取りつかれて狂ってしまったようになったことを知っている人たちだからこそ、その人が正気になってイエス様を称えるのを見て、驚き、やがてイエス様のことを信じるようになるかもしれません。そして、もう一つの理由は、もしかしたら一番重要かもしれませんが、この人自身にとっても、家族や友人との辛い記憶を乗り越えて、彼らとの関係を回復することが重要だったからです。この人が本当の意味で癒され、再生していくためには、壊れてしまった人間関係を修復させることが必要でした。そして、彼の回復を通して、家族や友人もイエス様のことを知ることになります。

19 自分の家族のもとに帰って、主があなたにしてくださったこと、また、あなたを憐れんでくださったことを、ことごとく知らせなさい。

 イエス様を信じて従うということは、サタンの影響の残るこの世界の中に、イエス様の代わりに出ていくということです。私たちは他の人よりも少し早く、イエス様に解放されて、神様の愛を知ることができました。あなただからこそ届くことのできる家族や友人がいます。どうぞイエス様の代わりに出て行って、その人たちを愛してください。イエス様があなたにどれだけ素晴らしいことをしてくださったか、言葉で言わなくても行動で示すことができます。私たちはここにとどまり、イエス様の代わりに、イエス様が私たちにしてくださったように、互いに愛し合い、世界を愛しましょう。


メッセージのポイント

私たちは皆、イエス様に従うか悪魔に従うか、どちらかの生き方しかできません。悪魔は私たちを自滅に誘います。でも、悪魔は神様に逆らうことは決してできません。イエス様は私たちを悪魔の支配から解放して、神様の支配に戻すためにこの世界に来られました。先にイエス様と出会い、イエス様に解放された者は、目に見えないイエス様に代わって、この世界に神様の憐れみを伝えるために派遣されています。「自分の家族のもとに帰って、主があなたにしてくださったこと、また、あなたを憐れんでくださったことを、ことごとく知らせなさい。」

話し合いのために
  1. 悪霊(悪魔)の存在についてどう考えていますか?
  2. イエス様はなぜこの人が一緒に来ることを認めなかったのしょうか?それは私たちにどう関係ありますか?
子供たちのために

悪魔(悪霊)は神様に逆らう者で、私たちの罪の性質につけ込んで神様から離れるように誘う存在です。私たちは悪いことを全て悪魔のせいにすることはできませんし、自分の間違いを認めることも大事です。でも、「神様はあなたを愛していないよ」とか「あなたは誰からも愛されていないよ」とか、そういう気持ちが出てくるのは悪魔の仕業だと言っていいかもしれません。悪魔は確かに私たちを滅ぼそうと今も働いています。でも、悪魔もイエス様に逆らうことは決してできません。子供達が悪魔の存在を怖がりすぎることなく、同時に正しく理解できるように助けてください。大切なのは、私たちはもう悪魔の支配かではなく神様の支配下(神様の愛の内)にいると知っていることです。