主を頼みとする者になる

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主を頼みとする者になる

詩編91

永原アンディ

 教会のカレンダーでは、来週からクリスマスを待ち望むアドヴェントに入ります。コロナの騒ぎで空白の2020年といった感じですが、私たちがこの期間をともに過ごした事にも、きっと大きな意味があるのだと思います。プロテスタント教会の出発点となった宗教改革は、ペストの大流行が一つの引き金となったと言われています。 コロナは災いですが、主イエスの体が神様の意思にかなって新しくされるきっかけになるとも思います。しかし新しくなるという言い方は正確ではありません。むしろ、離れてしまった原点に近づくことを目指したいと思います。今日の詩編は、信仰の原点に近づくヒントを与えてくれます。

1. 主への信頼を言い表す (1-8)

 最初に8節までを読みましょう

9 あなたは、わが逃れ場である主 いと高き方を住まいとした。
10 災いはあなたに降りかかることはなく 病もあなたの天幕に近づくことはない。
11 主はその使いたちに命じて あなたのすべての道を守られる。
12 彼らはあなたを両手で支え 足が石に当たらないようにする。
13 あなたは獅子とコブラを踏みつけ 若獅子と大蛇を踏みにじる。

 人間関係では、コミュニュケーションを取らないと誤解が生じます。神様との関係も同じです。だから私たちは礼拝を何よりも大切にするのです。神様は、私たちのお世辞を必要とはしていません。私たちがこのように告白しなくても、避け所であることをやめてしまいはなさいません。しかし私たちの方が勝手にそう思い込んでしまうのです。「多くの人々が自分を受け入れてくれなくても、あなたは私とともにいる!」「主はこの疫病からも私を守ってくださる!」 これらのことを、目の前の状況によって簡単に忘れてしまう私たちなのです。私たちも「大丈夫、主は決して私に悪いようにはなさいませんから」と主への信頼を言い表しましょう。 毎週の、毎日の礼拝:主と過ごす時を大切にする人々の教会は原点から離れていかない教会です。

2. 主とともに歩む (9-13)

 9-13節を読みます。

16:1 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。2 そして、週の初めの日、朝ごく早く、日の出とともに墓に行った。3 そして、「誰が墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。4 ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石がすでに転がしてあった。5 墓の中に入ると、白い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、女たちはひどく驚いた。6 若者は言った。「驚くことはない。十字架につけられたナザレのイエスを捜しているのだろうが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。7 さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる。』」8 彼女たちは、墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

11、12節の表現に聞き覚えはありませんか?悪魔がイエスを試みるために引用した言葉です。悪魔はイエスをエルサレムの神殿の屋根に連れて行き、この言葉が本当だと信じるなら飛び降りてみろと言いました。それに対するイエスの言葉を覚えていますか?イエスは「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」と答えました。悪魔の使った聖書の言葉を聖書の言葉で否定したわけです。イエスは、11,12節の言葉を否定しましたが、それは、書かれている言葉自体ではなく、悪魔の使い方を否定したのです。

 確かに、イエスを知るのに聖書は最も重要なソースです。主とともに歩むために欠かせないものです。しかし使い方を間違えれば、いくら聖書を熱心に読んでも、主とともに歩くことはできません。 イエスが旧約聖書をどう引用したのか、イエスは様々な状況の中でどう発言し、どう行動されたのか?考えながら従ってゆくことが、主とともに歩むということです。

 災いも、病もやってくる世界で私たちは生きていますが、必要な助けは必ず与えられます。ただそれは、あなたの思い通りのタイミングや方法で来るわけではないのです。それは思い通りならいいなあと思うのは無理ありません。しかしそれは悪魔の勧めた信仰です。そしてそれに対してイエスは「試みてはならない」と言われました。神様は思い通りではなくもっといいタイミングでもっと必要なものを用意してくださいます。そのことを信じて、主とともに歩み続けてください。

3. 主の呼びかけを聞く (14-16)

14節以下は、詩人が聞いた神様の言葉として書かれています。読んでみましょう

14 「彼はわたしを慕う。私は彼を助け出そう。 彼は私の名を知っている。 私は彼を守ろう。
15 彼が私を呼び求めるとき 私は答えよう 苦難の時には彼と共にいる。 彼を助け出し、誉れを与えよう。
16 長寿を授けて彼を満し 私の救いを見せよう。」

神様はこのような意志を持っておられます。神様を慕い、呼び求める者の声を神様は聞き逃しません。助け、守るだけではありません。誉を与えようとあるように、これからの歩みを祝福してくださるのです。残念ながら地上での長寿は誰でも文字通り受け取る事はできませんが、すでに私たちには「永遠の命」として与えられていること指していると考えましょう。大切な事は、神様がこのように私たちに呼びかけておられるという事です。この声に耳を塞ぐ事は簡単です。礼拝することを生活の中心からはずしてしまえば、たちまち主の声はかき消され、その代わりに悪魔が魅力的な提案を聞かせてくれるはずです。

またか、と思うかもしれませんが、結局私はいつも通りのことをお勧めしています。何よりもワーシップすることを大切にするということです。日曜日の礼拝だけではなく、他の日も短い時間でも主と共に過ごす時を持つということです。それが、私たち、ユアチャーチが主から離れずに、与えられている役割を果たしてゆくための基本なのです。

(祈り) 神様、私たちがいつでもあなたの翼の下に逃げ込める者である幸せを感謝します。しかし、また同時に嵐の中を歩むことのできる力を与えてくださることもありがとうございます。私たちがあなたから離れず、いつもともに歩くことができるように、私たちに心の耳を、目を開いてください。そしてなすべき働きに忠実であることができるように、必要を満たしてください。心からの感謝と願いを主イエスキリストの名前によってあなたに捧げます。


メッセージのポイント

詩人の信仰がよくあらわされているこの詩を読み、正直に自分の信仰を顧みることで、本当に自分が主を頼って生きているのかどうかが分かります。そして、そのように主を頼みとする者の集まりが教会です。教会を通して神様はこの世界に働きかけられるのです。

話し合いのために
  1. 主とともに歩むとは実際にはどのような生活を指すのでしょう?
  2. 悪魔はどのような生き方を私たちに勧めたいのでしょうか?
子供たちのために(保護者のために)

 子供たちにわかる言葉に言い換えてこの詩を読んであげてください。今は主に配信での礼拝ですが、配信ではなく家庭で、歌ったり、聖書の物語を読み聞かせて、話し合ったり、祈りあったりする礼拝を持ってみてください。