今年も主の名をほめ歌おう

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今年も主の名をほめ歌おう

詩編 92

永原アンディ

 今日から、詩篇のシリーズを再開してゆこうと思います。今日は92編です。 予定では一昨日の金曜日からPAWSを再開する予定でしたが、お知らせした通り、緊急事態宣言が解除されるまで行わないことになりました。皮肉なことに、今日の箇所は主に向かって歌うこと、礼拝することの素晴らしさが記されています。

 今まで通り、この礼拝同様、スタッフだけ集まって配信することも考えましたが、それでも、外に出る機会を減らすべきだと結論しました。どうぞ時々YouTubeのユアチャーチのチャンネルにある礼拝のビデオを開いて歌う礼拝を試してみてください。

 それではいつものように少しづつ読んでゆきましょう。まず7節(NIVでは8節)までです。

1. 礼拝 – 喜びの泉 (1-7)

1 【賛歌。歌。安息日のために。】
2 いと高き方よ、なんと喜ばしいことか 主に感謝し あなたの名をほめ歌うことは。
3 朝に、あなたの慈しみを 夜ごとに、あなたのまことを告げ知らせることは
4 十弦の琴に合わせ 竪琴に合わせ 琴の調べに乗せて。
5 主よ、あなたの働き私を喜ばせる。私はあなたの手の業を喜び歌おう。
6 主よ、あなたの業はなんと大きく あなたの計らいはいかに深いことか。
7 思慮なき者はそれを知らず 愚かな者は悟ろうともしない。

 

 この場所に集って共に集まることはできなくなっていますが、神様は私たちに知恵を与え、インターネットで繋ぎ、共に献げる礼拝をすることができることを感謝しましょう。今年になって私が思うことは、この事態が収まった時、私たちの献げる礼拝は、もっと素晴らしいものになっているだろうという期待です。私たちは、礼拝の大切さをコロナ禍を通して実感しました。いろいろな困難があり、直接互いの顔は見られなくても、この神様の前に心を合わせて礼拝できることが、この時の力となってきました。それが実際に声を合わせ、互いに聞き合いながら主に向かって歌う時、さらに大きな恵みと新しい力が注がれ、私たちの向かう方向が示され、もっとイエスの愛が見えるコミュニティーとして成長することになると思うのです。

 そして毎週ここに集まれない人も自分のいるところで共に礼拝を献げることのできる知恵がこの時を通して与えられたことも神様に感謝したいと思います。

 礼拝を通して、主の語りかけを聞き、慰められ、力付けられ、癒されることによってますます主の偉大さを覚え、安心して信頼できるという確信が強められます。ここに、生きる力の泉があることを多くの人は知りません。みなさんがそれを知っていることをとてもうれしく思います。しかし、私たちは、それを続けていかなければ簡単に「思慮なき者」、「愚かな者」にもなりうるものだということを覚えておかなければなりません。

それでは次の部分を読みましょう。


2. 思い通りにならない現実の中で

a. 悪は一時的に栄える (8-10)

8 悪しき者が野の草のように茂り 悪事を働く者が皆、花を咲かせても 彼らは永遠に滅ぼされる。
9 しかし、主よ あなたはとこしえに高きにおられる方。
10 主よ、あなたの敵は必ず あなたの敵は必ずや滅び 悪事を働く者は皆、散らされる。

 2016年の11月にはちょうどアメリカの娘の家に滞在していて、アメリカ史上初の女性大統領の誕生をお祝いしようとしていたのです。ところが結果はご存知の通り、総投票数は上回ったものの、選挙人の数では勝つことができず、私の感覚では暗黒の4年間が過ぎました。理由は様々ですが、彼女や政界への嫌悪が、まだその本性を知られていなかったアウトサイダーの当選を許しました。そしてアメリカは民主主義のお手本とは言えない国になってしまいました。

 しかし、彼も彼ですが、その彼に期待しなければならなかったほど、社会は人々に落胆を与えていたことも確かです。正直なところ、コロナ禍がなければ彼は再選されていたでしょう。私は神様の意思が働いたと思います。ある人々が言うように「彼こそ神の御心にかなった大統領」であったなら、神様は彼を失脚させないよう、もう少し賢くふるまわせることもできたはずです。

 日本では、大正時代に民主主義が紹介されて、さあこれから民衆の時代になると期待されたのですが、昭和の初期に軍国主義が台頭して自由のない国になり、1945年に戦争に負けてやっと民主主義の国として再出発しました。それまでは、天皇の名によってイエスを第一とすることは許されなかったことを覚えている必要があります。天皇は自分が人間であることを宣言しましたが、もう一度神にさせたい人はいくらでもいることもです。

 神様はどんな独裁も、見過ごしにはなさらないことを歴史が証明しています。人権を抑圧する為政者は必ず散らされます。

そして、彼らが栄えている時期でさえ、信じて従う者に、神様は希望を与え続けてくださいます。 希望を与えるだけではありません。神様は、私たちを悪が栄える中で、それに苦しむ人々の希望としてこの世界においていてくださるのです。そのことを残りの部分から確かめてゆきましょう。

b. 主はあなたを良いもので満たす (11-16)

11 あなたは私の角を野牛の角のように上げ 新しい油で私を潤した。12 私の目は敵を見据え 私の耳は悪者の来襲のとどろきを聞く。
13 正しき人はなつめやしのように茂り レバノンの杉のようにそびえる。
14 主の家に植えられ 我らの神の庭で茂る。
15 年老いてもなお実を結ぶ 命豊かに、青々として
16 そして告げ知らせる、「主はまっすぐな方 わが岩、御もとには不正がない」と。

 

 国家的な悪について触れてきましたが、私たちの周りには、別の意味での悪に直面している人が多くいます。教会のウエッブサイトやFacebookのページに「私たちは、イエス・キリストが性自認、性指向、人種、国籍、婚歴、思想・信条などを問わず、すべての人をありのままで招いておられることを信じ、様々な違いを超えてイエスの表された愛、共感、正義を実現する共同体を目指すキリスト教会です」 と書かれているのをご存知でしょうか?それらの事柄で差別され苦しむ人々の側に立つという私たちの宣言です。また、DVや学校職場でのいじめ、病という苦しみに直面している人もいます。神様は私たちを守るためのシェルターを用意する代わりに、私たちに力を満たし、あえて悪の前に戦う者として立たせたのです。だから敵の姿は目の前にあり、その怒号は耳に届きます。それが、神様は私たちに希望を与えるだけではなく、私たちを悪が栄える中で、それに苦しむ人々の希望としてこの世界において下さったということです。イエスは悪が栄えるこの世界に、人々をあらゆる悪から解放するために来られ、私たちを解き放してくださった上で、その解放の働きをするために今いるところに立たせてくださっています。私たちは映画のヒーローのようなことを期待されているわけではありません。皆さんの身近にいる方が、その苦しみから解放されるために、今自分にできることを精いっぱい行いましょうということです。

(祈り)
祈ります。主よ、あなたは私たちを悪から救い出すために来てくださった方であることを感謝します。私たちの愛する人々を苦しめるものから速やかに解放してください。あなたはあなたの解放の計画のために、私たちを用いてくださるとおっしゃいましたが、私たちは自分が無力で、また下手をすると人に悪を働いてしまう者であることを自覚しています。ですから、どうか私たちをあなたの霊で満たし、清め、力を与えて用いてください。感謝して、期待して、主イエスキリストの名によって祈ります。


メッセージのポイント

まだしばらくコロナのために困難を強いられている状況ですが、私たちはこの一年、礼拝することを全ての営みの中心とすることをあきらめずに歩んできました。そこに神様の祝福があります。原因が何であれ、全てを主に委ねて期待し、主と共にこの時を乗り越えましょう。

話し合いのために
  1. あなたにとって、滅ばされるべき悪しき者とは?
  2. なぜ礼拝が生活の中心であるべきなのでしょう?
子供たちのために(保護者のために)

ぜひ子供と共に礼拝してください。日曜日の朝は大人だけで配信の礼拝に参加してもいいと思いますが、あとでメッセージを子供にわかりやすくアレンジして話してあげてみてください。また、楽器がなければYouTubeの礼拝のビデオを利用して一緒に歌い礼拝してください。