主の前に嘆きを注ぎ出せ

レンブラント – エレミヤの嘆き (1630)

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主の前に嘆きを注ぎ出せ

詩編 102

1. 嘆きも祈り (1-12)

1 苦しむ人の祈り。弱り果て、主の前に嘆きを注ぎ出すときに。 
2 主よ、私の祈りを聞いてください。
この叫びがあなたに届きますように。 
3 苦難の日に、御顔を隠さず、私に耳を傾け
呼び求める日に、速やかに答えてください。
4 私の日々は煙のように消え 
私の”骨は炉のように焼かれた。
5 私の心はい草のように日に焼かれて枯れ
私はパンを食べることさえ忘れた。 
6 呻きの声とともに
私の骨は肉に付く。 
7 私は荒れ野の鳥のように
廃虚のふくろうのようになった。 
8 私は眠らず 
屋根にいる孤独な鳥のようになった。 
9 敵は日夜私を辱め
嘲る者は私の名によって呪う。 
10 私は灰をパンのように食べ
飲み物に涙を混ぜた。 
11 これは、あなたの怒りと憤りのゆえ。
あなたは私を持ち上げ、投げ捨てられた。 
12 私の日々は夕暮れの影のよう。 
私は草のように枯れる

「この叫びがあなたに届きますように」と主に向かって叫んだことがあるでしょうか?喜びの叫びではありません。悲痛の叫びです。最初の一節に「 苦しむ人の祈り。弱り果て、主の前に嘆きを注ぎ出すときに。」とあります。体の中全体が、嘆きや悲しみでいっぱいになってしまうような状態の中で、ある人は「もはや祈る言葉もない」と表現するかもしれません。しかしここで私たちは、嘆きもまた主に向けられるなら祈りなのだと知るのです。

 しかし自分の感覚としては、そのような状態の中で主は本当に自分の注ぎ出す嘆きに気付いておられるのだろうかという疑問が常に湧き上がってきます。そのような絶望感が祈る言葉を失わせるのですが、主は必ず聞いていてくださいます。この詩人は、多くの人がなかなか遭遇することのない最悪のしかも孤独な状況の中で、感情としては神様ご自身に、持ち上げられたり投げ落されたりと思えるような中で、しかし、それでも、主は信頼に値する方だと確信しています。その信頼の告白の部分が13-23節で歌われています。


2. 主は変わらない (13-23)

13 しかし、主よ、あなたはとこしえに王座に着き
その名は代々に唱えられます。
14 あなたが立ち上がり、シオンを憐れんでください。
シオンを恵まれる時、定めの時が訪れました。
15 あなたの僕たちはシオンの石をもいとおしみ
その塵さえ慕います。
16 国々は主の名を
地の王たちは皆、その栄光を恐れるでしょう。
17 主はシオンを築き
栄光のうちに姿を現されます。
18 主はすべてを失った者の祈りを顧み
その祈りを軽んじませんでした。
19 このことは後の世代のために書き記されるべきです。
新たに創造される-民は主を賛美するでしょう。
20 主はその聖なる高き所から目を注ぎ
り天から地を見ました。
21 これは、主が捕らわれ人の呻きを聞いて
死に定められた子らを解き放ち
22 人々がシオンで主の名を
エルサレムでその賛美を語り伝えるためです。
23 その時、もろもろの民
もろもろの王国は共に集まって主に仕えます。

最初の部分と全く異なる調子で戸惑ってしまうかもしれません。13節の最初の「しかし」は私たちが逆境におかれた時、はっきり、きっぱり、力強くいうべき言葉です。この「しかし」は、イエスご自身も発せられた「しかし」であり、イエスを主と信じて歩む人の根本的な「しかし」なのです。

一同がゲッセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「私が祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく苦しみ悩み始め、彼らに言われた。「私は死ぬほど苦しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」少し先に進んで地にひれ伏し、できることなら、この時を過ぎ去らせてくださるようにと祈り、こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯を私から取りのけてください。“しかし”、私の望みではなく、御心のままに」(マルコ14:32-36)

詩人も置かれた最悪の状況の中で、それでも「しかし」と言って、主への信頼を歌い出します。

そして「私たちの主は決して私を見捨てない」と、まだ現れていない現実に期待します。そう期待できるのは、過去の記憶や民族の歴史があるからです。さらに私たちにはイエスという信頼できる主がおられるのですから、なおさらのことです。18,19節をもう一度読んでみましょう。

18 主はすべてを失った者の祈りを顧み
その祈りを軽んじませんでした。
19 このことは後の世代のために書き記されるべきです。
新たに創造される民は主を賛美するでしょう。

 私たちにとっては遠い過去も、未来も自分とはかけ離れたものなので、どうしても、自分が置かれている現実に目を奪われ、それが厳しいものであれば絶望的になるのも無理はないことです。嘆き、呻きしか出てこなくても、神様は決してあなたを見捨てることはありません。主への信仰の歴史全体がそれを証明しているのです。

 嘆きという形であれ、祈りは主に届いています。そして、主は必要な助け、隠れ場、逃げ道を用意してくださいます。

次の部分を読みます。


3. 私たちは永久の住まいを得ている (24-29)

24 主は道半ばで私の力を挫き
私の生涯を短くされた。
25 私は言う。
「わが神よ
生涯の半ばで私を取り去らないでください。
あなたの歳月は代々にわたります。
26 かつてあなたは地の基を据えられました。
天もあなたの手の業です。
27 天地は滅びるが、あなたは立っておられます。
これらはすべて、衣のように朽ち果てます。
あなたが上着のように取り替えると
これらは消え去ってしまいます。
28 しかし、あなたは変わることなく
あなたの歳月は終わることがありません。」

29 あなたの僕の子らが住まいを得
その子孫が御前に堅く立てられますように。

 この部分で詩人の恐れが死への恐怖でもあることがわかります。神様への信頼だけが、私たちの死に対する恐怖を耐えられるものとしてくれます。その恐怖には大きく分けて二つの要素があります。一つは地上での歩みが続けられなくなること、そしてもう一つは自分という存在が消滅するということです。しかし神様は、聖書の言葉を通してそれが事実ではないと教えてくださいました。

 確かに地上での歩みは終わります。しかし、それが全ての終わりではないことをイエスご自身がその十字架と復活によって証明してくださったのです。

 私たちは、歩めなくなるわけでも、消滅してしまうわけでもありません。地上での第一章を終え、永遠の第二章に進むことになるのです。

ですから、人生の価値はその長さにはありません。24節を見ると詩人も、その時代の平均的な寿命を待たずに世を去ることを自覚しているようです。イエスご自身は30年ほどで天に帰られました。

 何度も言いますが、恐怖の感覚は無くなりません。様々な方法で麻痺させることはできますが、なくすことはできないので何度でも舞い戻ってきます。ですから、すべきことは感情をコントロールすることではなく、今はやがて終わる一章を過ごしているのだと心に留めておくことです。28節にまたあの「しかし」が出てきました。27−29節をもう一度読みます。

27 天地は滅びるが、あなたは立っておられます。
これらはすべて、衣のように朽ち果てます。
あなたが上着のように取り替えると
これらは消え去ってしまいます。
28 しかし、あなたは変わることなく
あなたの歳月は終わることがありません。」

29 あなたの僕の子らが住まいを得
その子孫が御前に堅く立てられますように。

“しかし”皆さんには、永遠の主とともにいる第二章という永遠の住まいがそなえられているのです。 

(祈り)神様、あなたの私たち一人一人に対する深い愛と配慮をありがとうございます。あなたにいただいた新しい命を生きているにもかかわらず、目の前の苦難や、死の予感に心が乱される私たちですが、あなたが永久に変わらない方であることを信頼しています。地上には永遠の住まいはなくても、やがて移される新しいステージに備えられている住まいがあることをありがとうございます。どうか私たちが置かれている状況によらず「しかし」と言い、あなたに信頼を置き続けることができるよう守ってください。また、私たち自身を、誰かにあなたのおられる喜びと確信を運ぶ者とさせてください。


メッセージのポイント

苦しむ時、悩む時の祈りは、その心の嘆きを注ぎ出すようなものであっていいのです。祈りは本来、人に聞かせるためのものではなく、神様への語りかけです。気の利いた言葉、美しい言葉を使う必要はありません。神様が求めるのは率直な心の思いです。イエスだけが聞いていてくださいます。心の底から喜怒哀楽を伝えましょう。


話し合いのために

  1. この詩のどの部分に一番共感しますか、それはなぜですか?
  2. 11-12節と17-19節はどう整合しますか?

子供たちのために(保護者のために)

1-3から苦しい時に、イエス様に向かって叫んでいいんだよ。きっときいてくださるからと伝えて下さい。
また7,8の孤独を考えさせてみましょう。
そしてイエスは見えなくても、いつもあなたとともにいるのだから、どんなに困ったことがあっても、悲しいことがあっても大丈夫なのだと伝えて下さい。

死について、すぐに触れる必要はありません。しかし、ペットを失った時、近い方が亡くなった時などには、第二章の希望があることを話してみましょう。